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今日は何の日?■510型ブルーバード1600SSSがサファリラリーで完全優勝

1970年(昭和45)年3月30日、日産自動車の3代目ブルーバードで設定された高性能スポーツモデル「1600SSS」が5日間開催された第18回東アフリカ・サファリラリーで総合およびクラス優勝、チーム優勝を飾った。雨に見舞われた悪条件のレースだったが、ポルシェとの一騎打ちで、最後は振り切って1、2、4、7位でフィニッシュした。
64ヶ月間小型乗用車トップに君臨した初代ブルーバード
1950年代後半は、「トヨペット・クラウン」に代表される純国産車が登場し始めた自動車黎明期。トヨタから1957年に初代「トヨペット・コロナ」がデビューし、それに対抗する形で1959年に日産の初代「ダットサン・ブルーバード」が誕生した。

初代ブルーバードは、セミモノコックボディの親しみやすい丸みを帯びた4ドアセダンで、パワートレインは1.0L&1.2L直4 SOHCエンジンと3速MTの組み合わせで、駆動方式はFR。自家用車として家族が乗って楽しめる室内空間と優れた乗り心地、さらに俊敏な走りが市場で高い評価を受けた。

その結果、初代ブルーバードは1ヶ月で8000台を受注する大ヒットを記録。ライバルの「トヨペット・コロナ」を圧倒し、連続64ヶ月間小型乗用車のトップに君臨したのだ。

ところが、初めてのモデルチェンジで1963年に登場した2代目(401型)は、初代のキープコンセプトだったが、ライバルのコロナにトップの座を奪取され、1967年に首位奪回にために登場した3代目(501型)にバトンを渡した。

ブルーバードを代表するヒットモデル3代目ブルーバード

3代目ブルーバードは、“新しい時代の新しいセダン”のキャッチコピーでプラットフォームやエンジンなどを一新。ロングノーズ・ショートデッキに、高性能時代にふさわしいスーパーソニックラインと呼ばれるシャープなフォルムが特徴だった。

標準モデルのパワートレインは、最高出力72psを発揮する新開発の1.3L直4 SOHCエンジンと3速MTの組み合わせで、駆動方式はFRレイアウトを踏襲。さらに、当時としては先進の4輪独立サスペンションなどを採用した。1.3Lエンジン搭載車は、2ドアセダンと4ドアセダンが設定され、車両価格は52万~64万円に設定された。

注目されたのは、最高出力100ps/最大トルク13.5kgmを発揮する1.6L直4 SOHC SUツインキャブ仕様の高性能エンジンを搭載したスポーツモデル「1600SSS」であり、トランスミッションは4速MTが組み合わされ多くの若者の熱視線を集めた。
走りを極めたSSS(スリーエス)は、“スーパー・スポーツ・セダン”の略であり、1600SSSの車両価格は75.5万円。当時の大卒初任給は、3.1万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約560万円に相当する。
一見ごく普通のセダンでありながら、優れた走りで多くの人を魅了した1600SSSは、3代目ブルーバードの人気を加速、2代目でコロナに奪われた小型乗用車トップの奪回に大きく貢献した。
ブルーバード1600SSSが成し遂げたサファリ完全優勝


日産は、高性能スポーツモデル1600SSSで1970年3月26日から5日間かけて行なわれたサファリラリーに、満を持して参戦した。サファリラリーは、東アフリカのケニアとウガンダ両国の約5000kmの悪路コースで行なわれる、当時最も過酷なレース。ここで優勝することは、市販車の実力の高さを実証することになるため、日本メーカーに限らず世界中の主要メーカーが果敢にチャレンジした。
第18回サファリラリーは雨に見舞われた悪条件で開催され、ライバルはポルシェ、フォード、プジョー、ボルボなど外国勢だった。レースはポルシェとの一騎打ちとなり、1600SSSがポルシェを追走する形の展開。2位と3位でポルシェにプレッシャーをかけた。逃げるポルシェは、逃げ切りを図るが、無理がたたったのかついにエンジンが焼き付きを起こしてしまった。

その結果、ブルーバードがトップを奪取、さらに2位と4位、7位も占めて念願の完全優勝、世界制覇を成し遂げたのだ。
【日産ヘリテージコレクションより、栄光の日産ラリー車をドーンと見せ!】













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その後も、日産はサファリラリーで1971年にフェアレディ240Zで連勝、1979年から4連勝(PA10型バイオレット)を飾るなどして、“ラリーの日産”の名声を獲得した。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。




