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今日は何の日?欧州基準のFFワールドカーを目指した2代目パルサー
1982年(昭和57)年4月27日、日産自動車初の小型FF車「チェリー」の後を継いだ「パルサー」の2代目がデビューした。“ファンタスティックNEWパルサー”のキャッチコピーのもと、欧州基準のFFワールドカーを目指した2代目は、先進的でスポーティな小型FF車として国内外で高い評価を受けた。

チェリーの後継車パルサー誕生

「チェリー」は、1970年に日産初のFF小型車として誕生した。そのチェリーの最終モデル「チェリーFII」の後継モデルとして、1978年にデビューしたのが「パルサー(N10型)」だ。

パルサーは、FF方式のエンジンレイアウトやパワートレイン、足回りなどをチェリーFIIから受け継ぎ、“パルサー・ヨーロッパ”のキャッチコピーの通り、欧州車を意識したシャープなスタリングが特徴。当初は、4ドアファストバックのセダンだけだったが、4ヶ月後に3ドアハッチバックとクーペがラインナップに追加された。

パワートレインは、1.2L&1.4L直4 OHVと4速および5速MTの組み合わせを基本とし、1.4L搭載モデルには“日産スポーツマチック”を設定。これは、2ペダル仕様のいわゆる自動MTである。

その後、1980年5月のマイナーチェンジではヘッドライトが丸型2灯から角型2灯へ変更され、さらにエンジンが1.3Lと1.5Lに換装されるなど、市場のニーズに合わせて商品強化が図られた。
欧州車風のスタイリングと俊敏な走りのパルサーは、日欧で人気を獲得して堅調な販売を続けた。
先進のFFワールドカーを目指した2代目

1982年4月のこの日、パルサーは初めてのモデルチェンジで2代目(N12)に移行。3ドア/5ドアハッチバックとクーペが用意され、すべてにおいて世界をリードする先進のFFワールドカーが目標だった。

スタリングは、スラントノーズとテーパードフード、リアにかけてはダックテール風のリアエンドを採用した欧州風フォルムで、フラッシュサーフェス化を徹底したボディで優れた空力性能が実現された。


パワートレインは、最高出力75psを発揮する1.3L直4 SOHC、85psの1.5L直4 SOHC、95psのそのEGI(電子制御噴射)仕様の3種エンジンと、5速/4速MTおよび3速ATの組み合わせ。


なかでも大きな注目を集めたのが、サブネーム“エクサ(EXA)”を冠したクーペ「パルサー・エクサ」だ。クラス初のリトラクタブルヘッドライトを搭載し、専用サスペンションや走りに特化した各種チューニングが施された。また、オレンジ透過のメーターやツートンカラーのボディ色を採用することでスポーティさをアピールした。


車両価格は、3ドアハッチバック(1.5Lエンジン+5速MT)の標準グレードが105.3万円、エクサは117.5万円。当時の大卒初任給は、12.5万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で3ドアハッチバックが194万円、エクサが216万円に相当する。

”ファンタスイックNEWパルサー“のキャッチコピーで登場した2代目も、先進的でスポーティなモデルとして高く評価されて、日欧米で堅調な販売を継続した。
マイナーチェンジでミラノを冠するミラノX1登場
2代目パルサーも、好調な販売を維持するために積極的に改良やラインナップの強化が進められた。その代表的なモデルが、1984年のマイナーチェンジで追加された3ドアハッチバック「ミラノX1」だ。

1983年に、欧州での販売強化を目論む日産とアルファ・ロメオが設立した合弁会社ARNA(アルナ)によるコラボを機に設定されたグレードがミラノX1で、“ミラノ”はアルファ・ロメオの本拠地であり、“X1”はチェリーの高性能グレードの名称に起因する。

ミラノX1は、パルサーの3ドアハッチバックの上級グレード1500に、エアロパーツやブラックとグリーンの2トーンカラーの専用シートなどを装備して、内外装がスポーティに仕立てられた。ミラノX1は、1986年に登場した3代目でも継承されたが、その後アルファ・ロメオがフィアットの傘下となり、日産との提携が解消されたこともあって、1990年に登場した4代目ではその名は消えた。
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2代目パルサーは、欧州イメージとスポーツ色を強めて、またモータースポーツでの活躍で特に若者から支持された。しかし、絶対的な人気大衆車「サニー」の存在があったが故に爆発的な人気とはならず、堅調な人気にとどまってしまった。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。
