車名:TRACYROSE(トレイシー・ローズ) ベース車両:ホンダ ドリームCB750FOUR 出展:フジヤモーターサイクルズ
ガソリンタンク・シート・サイドカウル・テールカウル・リアフェンダーは、1970年代に北米で販売されて流行した、タンク~リアフェンダーが一体となった『TRACY BODY(トレイシー・ボディ)』を採用。
流れるようなラインを描くCB750FOUR改のトレイシー・ボディは、セクシーで肉感的な女性を彷彿。トレイシー・ボディという名称と、’80年代に活躍したアメリカのポルノ女優「トレイシー・ローズ」を掛け合わせ、同車は『TRACYROSE(トレイシー・ローズ)』と命名。
ホンダ ドリームCB750FOUR。写真は「K0(ケーゼロ)」と呼ばれる初期型の1969年モデル。
「K0(ケーゼロ)」と呼ばれる初期型の1969年モデルは、シービーナナハンフォアの中でも元祖としてリスペクトされている。
「ホンダ ドリームCB750FOUR」は、1969年(昭和44年)に誕生した、空冷4ストローク並列4気筒SOHC 2バルブエンジン搭載の伝説のモデル。市販の量産オートバイでは、世界初の時速200㎞/hオーバーを実現。
当時はその過激な走りに、「日本国内メーカーの国内仕様モデルの排気量上限は750㏄まで」という、メーカー自主規制を作るきっかけにもなった。CB750FOURは日本国内はもちろん、輸出先の北米でも高評価を獲得。カワサキZ2などとともに「ナナハンブーム」を巻き起こすなど社会現象にもなった。
写真のカスタムはCB750FOURをベースに、「これがシービーナナハン?」と思わせる衝撃的なフォルムにアレンジ。製作したのは茨城県のバイクショップ『フジヤモーターサイクルズ』。またオーナーは長きに渡り、チョッパーシーンを牽引し続けてきたバイカーズブランド『EVILACT(イーブルアクト)』の山本港人(ヤマモト・ミナト)氏。
ガソリンタンク・シート・サイドカウル・テールカウル・リアフェンダーは、1970年代に北米で販売されて流行した、タンク~リアフェンダーが一体となった『TRACY BODY(トレイシー・ボディ)』を採用。
当時トレイシー・ボディは、ダートトラッカー、チョッパー、カフェレーサーなど幅広く対応し、ハーレーダビッドソン用、トライアンフ用、ホンダのCB用、カワサキ用などがラインナップされていた。
流れるようなラインを描くCB750FOUR改のトレイシー・ボディは、セクシーで肉感的な女性を彷彿。トレイシー・ボディという名称と、1980年代に活躍したアメリカのポルノ女優「トレイシー・ローズ」を掛け合わせ、同車は『TRACYROSE(トレイシー・ローズ)』と命名。外装も淡いピンクカラー&妖艶なデザインにペイントされた。
フレームやステアリングステムは、ド派手な外装に合わせてフルメッキ加工。前後ホイールは純正のスポーク仕様から、エレガントなデザインのキャスト仕様に変更され、ワイルドなブロックパターンタイヤをチョイス。ワイドハンドルやベーツライトでフロントマスクのイメージも一新させている。
各部に補強を施したフレームはすべてメッキ処理済み。
エンジンは内部・外観ともフルレストアして新車のような美しさを実現。ポイントカバーは横長フィン付きタイプに変更してカスタム度をアップ。
シリンダーヘッドにはカスタム度の高い、ビッグフィン付きのタペットカバーをコーディネイト(吸気側4個・排気側4個)。
前後ホイールは純正のスポーク型からカスタム度の高いキャスト型に変更。正立フロントフォークはフォークブーツレス型にチェンジ。
ガソリンタンク・シート・サイドカウル・テールカウル・リアフェンダーは、タンク~リアフェンダーが一体となった『TRACY BODY(トレイシー・ボディ)』を採用。
右サイドカバーに施された、違和感のない「オイルキャップ」の逃がし処理もお見事!
量産初の並列4気筒車となった、ホンダCB750フォアを知る。|旧車探訪記①-1|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]第二次大戦後の1948年に創業したにも関わらず、1960年代初頭に2輪車生産台数世界一の称号を獲得し、1966年には世界グランプリ全クラス制覇を成し遂げたホンダ。そんな同社が、欧米の古豪メーカーに真っ向勝負を挑んだ初の大排気量車が、1968年の東京モーターショーで公開され、翌1969年から発売が始まったCB750フォアである。量産初の並列4気筒エンジンを導入したこのモデルの大成功で、ホンダは名実共に世界ナンバー1メーカーの地位を確立したのだ。REPORT●中村友彦(NAKAMURA Tomohiko)PHOTO●富樫秀明(TOGASHI Hideaki)
https://car.motor-fan.jp/article/10013981
1960年代末のライダーの気持ちになって、ホンダCB750フォアに接してみた。|旧車探訪記①の2|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]1969年のデビューと同時に、世界中で爆発的なヒットモデルとなり、2輪市場の勢力図を塗り替えたCB750フォア。もっとも当時は一部のライダーから、“バイクらしくない”、“エンジンの回り方がモーターみたいで味気ない”などという異論も挙がったらしい。その評価をどう感じるかはさておき、量産初の並列4気筒を搭載するCB750フォアが、既存の2気筒車では絶対に実現できない、圧倒的なパワフルさとスムーズさを備えていたのは事実だ。REPORT●中村友彦(NAKAMURA Tomohiko)PHOTO●富樫秀明(TOGASHI Hideaki)
https://car.motor-fan.jp/article/10013983
現ホンダCB750フォアが500kmツーリングに持っていくものは意外と少ない。│旧車探訪記①-3|Motor-Fan Bikes[モータファンバイクス]1969年から発売が始まったCB750フォアは、どんなバイクだったのか。当企画の目的はその背景を探ることなのだが、歴史解説と試乗だけでは物足りなさを感じる人もいるだろう。そこで今回は、試乗&撮影用の1972年型K2を貸してくれた、CB750ドリームオーナーズクラブ(http://www.amy.hi-ho.ne.jp/club-750-dream/)西東京支部長の小川曻治さんに、現役時代と現代のCB750フォア事情を聞いてみることにした。REPORT&PHOTO●中村友彦(NAKAMURA Tomohiko)PHOTO●富樫秀明(TOGASHI Hideaki)
https://car.motor-fan.jp/article/10014056