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[Day 3] ハンターカブはフィナーレへ向かう
3日目の朝、メインキーをひねると、目をさましたインパネにフューエルメーターが浮き上がった。最後の1目盛りがすでにピコピコ点滅している。オドメーターは5395km、日本橋からの距離230km、あとどれくらい走れるのかわからないが、とにかく出発だ。
昨日までの雨はすっかりあがって青空が広がる。再び丸子を過ぎてバイパスをさらに西へ。内子インターの直前で「125ccは降りろ」という標識をみつけ、あわてて降りたが、その先の道がわからない。当てずっぽうに県道81号を西へ進む。
その県道81号の雲行きまで怪しくなって本格的に迷子になりかけたところで、黄色い看板のバイク店に目がとまった。店先でバイクをいじくっていた、どことなく赤ひげっぽく、青シャツっぽく、赤い男爵っぽさ漂う店員に道を訊くことにした。
道に迷ったら、バイク乗りはバイク乗りに訊くのが鉄則だ。125ccがどうこうなんて細かい規制、非バイク乗りはまず知らない。「歩いていれば歩行者に、クルマに乗っていればドライバーに、バイクに乗っていればライダーに道を訊け」、これは迷子旅の鉄則だから、諸賢もついでにおぼえておくといいだろう。
いかにも気のいいバイク乗りらしく、思いやりにあふれた赤い男爵店員に見送られ、彼に教わった京都への道、静岡県道381号を進むことにした。
東海道の痕跡をたどる
その道ばたには、謎の数字が書かれた道標らしきものが立っていた。どうやら日本橋からの距離表示っぽいが、数字の意味も単位も書いてない。案内標識の「県道381号」の表示は、もとある文字の上に貼り付けたものだった。下に隠れているのは、たぶん「国道1号」の表示だろう。つまりこの道は、もと国道1号だったのが県道に格下げされた路線、ようするに、由緒正しいかつての国道1号そのものなのだ。
さて、いくらメーターのピコピコ点滅が始まっても、最後まで京都めざして走り続けるタカハシのミッションに変更はない。が、さすがにこの先バイパスに乗るのはやばそうだ。大型トラックが突っ走る高速道路じみた路上でいきなりガス欠停止なんて、へたすれば命に関わる。タカハシが浮かばれないのはもちろん、こんなAFOチャレンジのために大事なバイクを貸してくれた故・本田宗一郎氏(とその一党)だって浮かばれないだろう。この先はバイパスを避け、すでに国道ですらなくなった旧国道1号/県道381号を走り続けよう。
それにしてもフューエルメーターのピコピコが始まってから走れる距離が異常に長い。ホテルを出たらすぐ止まるくらいの勢いで身構えてたのに、CT125ハンターカブはいっこう止まらず執拗に走り続けている。
担当編集モジャ山田ヒゲ男くんは、人の顔さえ見ればワンタンクで京都へたどり着けと言い張るちょっとイカれた燃費野郎だが、もし京都に到達できなかったら、ガス欠地点の名物を(経費で♪)食べていいと言ってくれる情け深い男でもある。
はるかな浜名湖をめざせ
こんなに長くピコピコが続くなら、京都はともかく、60km先の浜名湖のウナギくらいは手が届くんじゃね?
そうだ、せっかくここまで走ってきたんだ。どうせならウナギ食べよう! 炭火であぶられたタレの香ばしいにおい、ふわふわの白い肉質、とろりと舌にほどけるうるわしき脂。夏の滋養はやっぱりウナギ! 昼メシはウナギウナギウナギ、ウナギったらウナギ、浜名湖名物夜のお菓子じゃないほうのガチリアルのウナギだあああぁぁぁぁ!!
炎天下をひた走るタカハシの頭は、高温むれむれヘルメットに焼き焦がされ、熱中症寸前まで追い詰められていたせいか、重度の脳内ウナギ化が止まらない。
フューエルメーターのピコピコにもすっかり慣れ(というか感覚が麻痺して)、まったく気にならなくなってきた頃、東海道は金谷宿を抜け、小夜の中山(さよのなかやま)の峠にさしかかった。江戸時代には、箱根峠、鈴鹿峠にならび、東海道の難所として知られた峠だが、道路が整備された現代では、難所らしさのカケラもないただのワインディングだ。
この小夜の中山の峠には「夜泣き石」伝説が残っている。あるとき峠で盗賊に斬殺された母親の腹から赤ん坊が生まれたが、母の霊が近くの石に取りついて夜ごと泣き、それを聞きつけた寺の住職が赤子を拾って飴で育てたという話だ。
夜になると石が泣く伝説も、死んだ母親から生まれた赤子が飴で育てられる伝説も、よく似た話が全国各地に散らばっていて小夜の中山オリジナルというわけじゃない。だが、東海道という地の利もあって、小夜の中山はこの説話で世間にひろく知られている。
小夜の中山トンネルに入る直前、峠の飴屋がちらりと視界に入ったが、脳内ウナギ熱でそれどころじゃないタカハシはガン無視で先を急ぐことにした。
トンネルを抜けると道路は下り坂に。さあ一刻も早くウナギ湖……じゃなく浜名湖へ!! だが、ガバッとスロットルを開けたタカハシの耳に、でょろでょろでょろ、がくんがくんと聞きなれない音が。これまでひたすら頼もしくパワフルだったCT125ハンターカブが、いきなり虚弱体質なんで今日の体育は見学ですっぽい息継ぎをはじめ、加速したかと思うと減速し、止まるのかと思うとまた走り出して、超不安定な挙動をみせはじめた。
「ああ、ダメだ、ガス欠だ……」
がらがらと崩れゆくウナギの夢。認めたくはないが認めねばならない。浜名湖は遥かに遠い。熱暑の夏の向こう側、このゆるやかな丘をこえたあのお花畑の彼方に、浜名湖はまんまんと冷ややかな水をたたえ、蜃気楼のごとくかすみ、ゆらゆらと揺らめきながら夢のように浮かんでいる。(←注・すでに完全な熱中症。諸賢がこうなったら迷わず病院へ)
日坂宿ちかくの路傍でCT125ハンターカブはついにその鼓動を止め、酷暑と雨の熱闘3日旅が終わった。本日の走行44km、日本橋からの全走行距離274km、全行程の通算燃費51.7km/lだった。
えっちらおっちらと、重い足取りで通り過ぎたばかりの小夜の中山の峠へ戻る。トンネルわきの飴屋で子育て飴を一袋買い、バイクのそばにへたり込んでひとつ舐めた。
カラカラの喉に張り付く飴。時代を超えて母の愛を伝えるやさしい甘みだが、ウナギと比べてどちらが炎天下のランチに適切だったかは、万一飴屋に失礼になるといけないから、このまま墓まで持っていく秘密にしたい。
もし、いつかどこかの町はずれで、タカハシが静かに眠る墓石が夜ごとすすり泣いているのを見かけたら、そっとウナギのひと切れも供えてやってもらえれば幸いだ。