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膝(ヒザ)だけでなく、今では肘(ヒジ)を擦りながらコーナリングするのは当たり前!
ロードレースの最高峰であるMotoGPを見ていると、コーナーではほとんどのライダーが、まるで路面に寝そべっているかのような深いバンク角で走行。バイクを傾けているのか? はたまた転んでいるのか? 判断に迷うほどの傾斜でコーナーを攻めています。
現在のMotoGPライダーは、膝(ヒザ)どころか、肘(ヒジ)を擦りながらコーナリングするのは当たり前。速く走る=レースで勝つためには、この乗り方は欠かせないものになったのかもしれません。
近い将来は肘を超え、ヘルメットを路面に当てながら走るライダーも当たり前になるのでしょうか。
バンク角の深さは、タイヤ・サスペンション・電子制御システムの進化も要因
“曲芸”とも呼べるライディングを可能にしたのは、ライダーの勇気・工夫・試行錯誤はもちろん、バイクの性能向上も大きな理由でしょう。具体的には、サスペンションシステムの進化。次にバイクの挙動をフォローする、トラクションシステムなど「電子制御システム」の進化。加えてタイヤの進化。
現在のレーシングタイヤは昔に比べると、なぜグリップが高くロングライフになったのか? その理由として、かつてはオイルを混ぜていたが、現在は樹脂に変わったことが指摘されます。
なお、オイルを混ぜた昔ながらの市販タイヤは、タイヤや路面温度が低くても、極端なグリップ低下を起こさない。つまり許容範囲が広いのです。
一方、樹脂を混ぜたレーシングタイヤは、温度が低いと極端なグリップ低下を起こしてしまう。そのため、今時のレーシングタイヤは、昔以上にタイヤの選択(ドライ、ミディアム、ウエット等)や、タイヤの温度管理がシビアになっている模様です。
乗り物の足周りの進化は、四輪のF1を見みても凄さが分かる!
現在MotoGPマシンの最高速度は、350km/hに到達。コーナリングスピードも最高速度と同様、確実に向上しています。
やや話はそれて……バイクとはジャンルは異なりますが、筆者的に「乗り物の足周りの進化」が顕著に伺えたのが、四輪レースの最高峰であるF1の車載映像(下記のYou Tubeで公開中)。ここでは鈴鹿サーキット国際コースの超高速コーナー「130Rコーナー」を曲がるF1マシンの車載映像を、年代別に紹介しています。
過去の資料をリサーチしたところ、F1史上最高のパワーを誇ったエンジンは、1986年にウイリアムズに供給されたホンダの水冷4ストローク80度V型6気筒DOHCツインターボ。排気量は1494cc、ボア径×ストローク長は79.0mm×50.8mmのショートストローク型です。
ホンダが作ったこのツインターボエンジンは1500馬力を発生。1988年にはマクラーレンに供給され、16戦中15勝。1988年、鈴鹿サーキット国際コースで開催された「F1日本GP」では、天才と呼ばれたアイルトン・セナが1分41秒853でポールポジションを獲得。
ホンダのエンジンがあまりにも強すぎ、1989年にはターボ(過給機)が禁止されるなど、“日本車イジメ”が行われたのは有名なお話(F1は欧州発祥であり欧州主体のモータースポーツであるため)。
で、下記のYou Tubeの映像。鈴鹿サーキット国際コースで開催された1989年の「F1日本GP」において、アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)は、1988年を上回る1分38秒041でポールポジションを獲得。「130Rコーナー」通過時は、一瞬アクセルを緩め、右手で瞬時にミッションを1速落し、減速して通過しているのが分かります(ブレーキングの有無は不明)。
映像では1990年より全車、パドルでシフトするセミオートマチックを採用。エンジン音で判断する限り、2000年までは「130Rコーナー」の手前で一瞬アクセルを緩め、手前でシフトを1速落とし、減速して通過しているのが分かります(ブレーキングの有無は不明)。
ところが2001年の「130Rコーナー」の映像では。ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)は、セミオートマチックのミッションを落とすことなく、ほぼ全開で通過。2002年の映像では一瞬アクセルを戻しますが、2001年と同様にミッションを落とすことなく130Rをクリア。なお2001年にミハエル・シューマッハは1分32秒484、2002年は1分31秒317という驚異的なタイムでポールポジションを獲得しました。
素人である筆者が見ても、1989年と2001年の「130Rコーナー」の映像は、ラップタイムだけでは窺い知れない、F1マシンの足周り(シャシー)の進化を顕著に物語っています。
※注:2003年に「130Rコーナ」は、85Rと340Rの複合コーナーに改修され(2002年、F1日本GPでA・マクニッシュ/トヨタがスピンし、コース外の土手に乗り上げる大クラッシュを起こしたため)、安全性が向上しました。
ちなみに2023年8月現在、鈴鹿サーキット国際コースのファステストラップは、2019年にセバスチャン・ベッテル(フェラーリ)が記録した1分27秒064です。
ライダーたちが築き上げたコーナリングポジションの変遷と進化をプレイバック
バイクのコーナリングスピードの向上を証明しているもの。その1つがバンク角の深さや、コーナリングポジションの過激さです。ここからは天才と呼ばれ、時代を牽引し、ロードレースに革命をもたらしたGPライダーたちのコーナリングポジションに注目。その変遷と進化を、年代順にプレイバックしてみましょう。
“ハコスカ”を操るドライバーとしても活躍した伝説の日本人GPライダー!高橋国光
国内における世界GP(MotoGPの前身)ライダーの先駆けは、四輪レースでも活躍した高橋国光。わずか18歳で浅間火山レースなどで活躍した氏は、ホンダの創業者である本田宗一郎の「世界一のバイクを作る!」という目標のもとに、ホンダのワークスライダー(テストライダー)に抜擢されました。
20歳になった高橋国光は、1960年よりロードレース世界選手権(世界GP)に出場。1961年には西ドイツGPの250ccクラスにおいて、日本人初の世界GP優勝を成し遂げました。
高橋国光は四輪レースに移行後も、日本のバイクレースを牽引した伝説の世界GPライダーとしてリスペクトされています。
当時の定番はリーンウィズだが……海外のライバル勢も驚きのテールスライドを多用
高橋国光は当時、ロードレースの常識であったグリップ走行派が台頭する中、「テールスライド」を多用。誰も全開にできないようなコーナーを、時にリアタイヤをドリフトさせながら走行するなど、驚きの速さを披露しました。
世界チャンピオンクラスの海外のライバルからも、「タカハシの走りはクレイジーだ」と言わしめるほど、アグレッシブな走りを見せつけたのです(しかし1962年にはマン島TTレースで転倒クラッシュを起こし、意識不明の重体となる)。
高橋国光が駆った当時のホンダワークスマシンは、シート位置をツイン型リアショック上まで後退。現代ではカフェレーサースタイルと呼ばれるこのポジションは、リアに過重を置いているのが特徴です。
筆者が過去の動画や写真をリサーチしたところ、高橋国光や当時のGPライダーは、当時のセオリーである車体の傾きに合わせた「リーンウィズ」でコーナリング。
時代が進むにつれ、GPマシンの仕様やポジショニングは下記のように大きく変化してゆきます。
「キング・ケニー」と呼ばれたGPライダーの革命児!ケニー・ロバーツ
少年時代からダートトラックレースで活躍したケニー・ロバーツは、1973年にアメリカのAMAグランドナショナル選手権において、21歳で史上最年少のチャンピオンを獲得。
1974年より世界GP250ccクラスに出場。1978年にヤマハワークスライダーとして世界GP500ccクラスにフル参戦。初年度から3年連続で500ccチャンピオンという偉業を成し遂げ、WGPにおいて初のアメリカ出身のチャンピオンに輝き、その強さから「キング・ケニー」と呼ばれました。
今では基本中の基本!ダートレースのテクニックを応用、キング・ケニーが生み出した「ハングオフ」
それまでのロードレースのコーナリングは、車体の傾きに合わせた「リーンウィズ」が定番。これはタイヤや足周りの性能が、排気量500ccの2ストロークエンジンから繰り出される強大なパワーに追いついていなかったのが1つの要因。
しかしダートトラック出身の米国人であるケニー・ロバーツは、ダートの手法をロードに応用。臀部を内側に落とし込み、地面に膝を擦りつけてバンク角を探る、これまでのコーナリングスタイルとは明確に異なる「ハングオフ(国内ではハングオンとも呼称)」と呼ばれる独自のコーナリングスタイルを確立。これにより、“既存のGPライダーやメーカー開発陣が考える、タイヤのグリップ力や足周りの限界値”をクリアしました。
ケニー・ロバーツが生み出した「ハングオフ」と、既存の「リーンウィズ」とのコーナリングスピードの差は歴然で、ケニー・ロバーツは他のライダーを圧倒。また、ケニーの華麗なハングオフを見た人たちは、「世界一美しいライディングフォーム」と絶賛しました。
1983年にフレディ・スペンサーと歴史に残る激戦を繰り広げ、僅差で世界GP500cc王座を逃したケニーは、世界GPライダーを引退。しかし1985年には人気の日本人ライダー・平忠彦とペアを組み、ヤマハワークスから鈴鹿8時間耐久レースに出場。
同レースでは、後に世界GP500ccの王者となるホンダワークスのスター選手、ワイン・ガードナー(ペアは日本人ライダーの徳野正樹)がケニーを追撃。
なお、首位を独走していたペアの平忠彦がレース終了の約30分前、惜しくもエンジンオイル噴出によるマシントラブルによりリタイア。とはいえ、ケニー・ロバーツは圧倒的な“キング”の速さを披露してファンを熱狂させました(最終的にはワイン・ガードナーと徳野正樹のペアが優勝)。
筆者は1985年の鈴鹿8時間耐久レースをビデオに録画し、何度も閲覧しましたが……すでに世界GPを引退していたものの、ケニー・ロバーツの速さは、後々世界GP最速となるワイン・ガードナーを圧巻。特にS字コーナーでの切り返しは、他のライダーとは比較にならない、驚くほど素早いものでした。
世界GP500ccと250ccのWタイトルを獲得した天才ライダー!フレディ・スペンサー
フレディ・スペンサーは4歳からバイクに乗り始め、5歳でダートトラックレースに初参戦。テキサスやルイジアナのダートトラックレースで数多くの勝利を挙げ、「神童」として多くの人に知られました。
1982年にホンダワークスから世界GP500ccにフル参戦。1983年にはヤマハのケニー・ロバーツと、年間12戦のうち6勝ずつ分け合う激しいチャンピオン争いを展開し、21歳8ヶ月の最年少でシリーズを制しました。
1985年シーズンは、WGPの500ccと250ccの両クラスにダブルエントリーし、両クラスとも年間チャンピオンを獲得。世界GPにおける500ccと250ccのWタイトルは、世界GP史上でスペンサーのみ。なお現在のMotoGPでは、ダブルエントリーが認められていません。
フレディにとって両膝は3本目のタイヤ!コーナーではリアタイヤをパワースライドし、マシンの向きを自由自在に操作
フレディ・スペンサーの身長は、ロードレーサーの中では大柄な178cm。長い手足でバイクを自在に操り、コーナー終盤の立ち上がり加速を重視するライディングが特徴的でした。
フレディ・スペンサーのポイントは、子供の頃から培ったダートトラックレースの走法である、リアタイヤを滑らせる「パワースライド」をロードレースに取り入れたこと。これにより旋回時間を短縮化。またコーナリングの立ち上がり時には、他のライダーよりもエンジンを高回転域まで使用することで有名でした。
フレディ・スペンサーの膝は「3本目のタイヤ」と呼ばれ、パワースライドとの組み合わせにより、どの走行ラインからでも確実なコーナリングを実現。パワースライドによって路面に残るリアタイヤの黒い跡が、周回ごとに変わっているという(走行ラインが周回ごとに異なる)、既存のロードレースの常識を完全に打ち破った“離れワザ”も披露しました。
なおフレディ・スペンサーが繁用したパワースライドは、今ではMotoGPの定番のテクニックとなっています。
MotoGPでは7回、通算9度のタイトルを獲得!史上最強と呼ばれるバレンティーノ・ロッシ
バレンティーノ・ロッシは幼い頃より、ポケバイやミニモトクロッサーで経験を積み、14歳の時、イタリア選手権のスポーツプロダクションクラスで本格的にレースデビュー。
2000年には世界GP500ccクラスにホンダワークス(ナストロアズーロ・ホンダ)として参戦し、2年目の2001年にはシリーズチャンピオンを獲得。また世界GP最高峰クラスが2ストローク500ccクラスから、上限4ストローク990ccの「MotoGPクラス」へと変わった初年度の2002年、ロッシはシリーズチャンピオンを獲得しました。
続く2003年も連覇しますが、この年限りでホンダを離れ、2004年にヤマハに移籍。ヤマハ移籍1年目では、16戦中9勝を上げてチャンピオンを獲得し、2005年も連覇を達成。MotoGPでは7度、通算9度のタイトルを獲得するなど、「史上最強のGPライダー」と呼ばれています。
今ではMotoGPライダーの定番!ロッシが生み出した「足出し走法」とは?
天才と呼ばれたバレンティーノ・ロッシは、182cmの長身を活かした卓越の荷重コントロールにより、タイヤのスライド感覚に優れ、現役時代はスリップダウンやハイサイドでの転倒が極端に少なかったのが特徴です。
長いレース人生の中、バレンティーノ・ロッシは幾度かコーナリングポジションを変更。その中で多くのライダーに影響を与えたのが、ブレーキング時にイン側の足をステップから大きく外す「足出し走法」。
足出し走法は2009年あたりからバレンティーノ・ロッシが独自に始めたもの。以来、彼をリスペクトする若手ライダーを中心に拡大。MotoGPでもすっかり浸透し、現在ではほとんどの選手が足出し走法を駆使しています。様々な現役ライダーやレース経験者、解説者いわく、足出し走法のメリットは、
1:MotoGPマシンは減速時のGがあまりにも大きく、足が自然とステップから浮いてしまう。それを意図的に回避できる
2:重心を下げることで、ブレーキング時の安定感とパフォーマンスが向上する
3:荷重がリアに移動しやすい
4:体全体で減速Gを受け止めることができる
5:重心よりも低い位置にある足に空気抵抗がかかることで、ライダーの体をバイクの後ろ側に留めておこうとする力が働き、さらにバイクの車高を下げる力が働く
などなど。これを生み出した当のバレンティーノ・ロッシは、足出し走法を行う理由として、「バイク上で、さらに前輪へ荷重がかかるように感じるから」とコメント。なおデータロガーの回収情報等では、通常走法と差はなく、ラップタイムが詰まることもないという。それでも各選手が今でも足出し走法を用いるのは、感覚的に1~5のメリットが大きいのだと予測されます。
驚異的なバンク角でフロントのスライドもコントロール!マルク・マルケス
スペイン出身のマルク・マルケスは、5歳の時からバイクに乗り始め、エンデューロレースで活躍。2001年にはカタルーニャ州の地方選手権・ジュニアクラスでチャンピオンを獲得。
2011年、Moto2に出場してシリーズチャンピオン。2013年シーズンはレプソル・ホンダチームに所属し、ワークスマシンのRC213VでMotoGPに参戦。当初から大型ルーキーとして注目を集め、MotoGPクラスデビューとなった開幕戦のカタールGPでは3位表彰台をゲット。2022年現在、2013年・2014年・2016年・2017年・2018年・2019年と、MotoGPでは「史上最強」と呼ばれるバレンティーノ・ロッシに次ぐ、6度のチャンピオンに輝いています。
今や肘擦りは主流!MotoGPの走りに革命をもたらした、マルケスの驚愕コーナリング
マルク・マルケスがMotoGPにデビューした2013年、「路面に肘を擦りながらコーナリングする速い新人がいる」と話題になりました。マルク・マルケスのライディングは、ホンダのモンスターワークスマシン・RC213Vを70°近くまで傾け、「落車するのでは?」と思わせるほどの体勢で膝と肘を路面のターマックに擦り付け、頭部も大幅にイン側へ落とし込むという、これまでにない超過激なものでした。
人々を驚かせたのは、超過激なライディングだけでなく、驚異的な速さとその実力を、結果として証明したこと。マルク・マルケスはMotoGPのデビューイヤーから、圧倒的な強さを発揮。2013年・2014年・2016年・2017年・2018年・2019年にシリーズチャンピオンを獲得し、王者の座を確立しました。
既存のライディングスタイルを持つライダーたちにとって、フロントのスライドは即転倒を意味。しかしマルク・マルケスは、進化したタイヤのグリップ力や、先進のシャシー・足周り技術を最大限に活用。これまで考えられなかった「フロントエンドのスライドをコントロールする」という、異次元のライディングを可能にしたのです。
マルク・マルケスが生み出したライディングは、「史上最強のGPライダー」とも呼ばれたバレンティーノ・ロッシの走行スタイル変更にも寄与。MotoGPに新たな走法をもたらしたマルク・マルケスは、2023年現在もMotoGPのステージで活躍中です。