「メルセデス・ベンツ」チーフデザイナーを務めたブルーノ・サッコが逝去

「メルセデスはメルセデスらしくあるべき」、元チーフデザイナーのブルーノ・サッコが90歳で帰らぬ人に

1999までメルセデス・ベンツのチーフデザイナーを務めた、ブルーノ・サッコが90歳で帰らぬ人となった。
1999までメルセデス・ベンツのチーフデザイナーを務めた、ブルーノ・サッコが90歳で帰らぬ人となった。
メルセデス・ベンツのチーフデザイナーを務め、初代Eクラスをはじめ、多くのモデルに携わったブルーノ・サッコ(Bruno Sacco)が、2024年9月19日に帰らぬ人となった。享年90歳。彼は1958年から1999年にかけてメルセデス・ベンツに在籍し、現代にも続くデザインアイコンを形作ってきた。

1999年までチーフデザイナーとして活躍

1999までメルセデス・ベンツのチーフデザイナーを務めた、ブルーノ・サッコが90歳で帰らぬ人となった。
多くの受賞歴を持つ自動車デザイナー、ブルーノ・サッコ。彼は1975年から1999年にかけて、メルセデス・ベンツのチーフデザイナーとして多くのモデルを手掛けてきた。

2024年9月19日、自動車史上最も著名なデザイナーのひとり、ブルーノ・サッコが、90歳でドイツ・ジンデルフィンゲンにおいて亡くなった。イタリア・ウーディネ出身でドイツ国籍を持つサッコは、1975年から1999年に引退するまで、メルセデス・ベンツのチーフデザイナーを務めている。

W124型Eクラス、W126型Sクラス、W201型190、R129型SLなど、サッコがデザイン部門のトップとして手がけたモデルは枚挙に遑がない。彼は「メルセデス・ベンツは、常にメルセデス・ベンツらしくあるべき」というポリシーを掲げ、多くの乗用車や商用車を世界へと送り出してきた。

メルセデス・ベンツ・グループのチーフ・デザイン・オフィサーのゴードン・ワグナーはサッコの逝去を受けて、哀悼の意を表した。

「ブルーノ・サッコ氏は、象徴的なデザインと美に対する情熱を持って、メルセデス・ベンツに永続的な足跡を残しました。彼の死は、類まれな個性と素晴らしい審美眼を失うことを意味します。あらためて、ご家族とご友人の皆様に心よりお悔やみ申し上げます」

メルセデス・ベンツ・ヘリテージのCEOを務めるマーカス・ブライトシュベルトは次のように付け加えた。

「メルセデス・ベンツはこの非凡で謙虚なデザイナーを、いつまでも忘れないでしょう。ブルーノ・サッコ氏は、メルセデス・ベンツに関する数多くのアイコンを作り上げました。その多くは今日でも公道で目にすることができます。もちろん彼が手がけたモデルの多くは、ヒストリックカーとして人々を魅了し続けているのです」

1958年に2人目のデザイナーとして入社

1999までメルセデス・ベンツのチーフデザイナーを務めた、ブルーノ・サッコが90歳で帰らぬ人となった。
サッコはカロッツェリア・ギアから、1958年に立ち上げられたばかりのメルセデス・ベンツのデザイン部門に、二人目のスタイリストとして加入を果たした。写真はW124型Eクラスを見守るサッコ。

ブルーノ・サッコは、1933年11月12日に山岳歩兵大隊の司令官の息子として、イタリアのウーディネで生まれた。故郷で幾何学を学んでいた彼は、1951年にトリノ・モーターショーを訪れる。モダンデザインのアイデアの中心地であるトリノでは、イタリアの偉大な自動車デザイナーたちが、新しいモデル、研究、デザインを発表していた。

初めて訪れたトリノ・モーターショーで、自動車デザインの世界に魅了されたサッコは、デザインを本格的に学ぶべく1952年にトリノ工科大学に入学。1955年にはトリノに拠点を置くカロッツェリア・ギアに入社し、モデル製作の経験を積んだ。

1957年末、サッコはトリノでカール・ヴィルフェルトと出会う。ヴィルフェルトは1950年代半ばから、ジンデルフィンゲン工場でメルセデス・ベンツの車体設計を担当していた。当時、ヴィルフェルトはフリードリヒ・ガイガーをトップに据え、新たにスタイリング部門を立ち上げている。

サッコはジンデルフィンゲン工場に招かれた後、1958年にポール・ブラックに続く2人目のスタイリストとして採用。サッコはボディ開発に携わり、後にボディデザイン・寸法コンセプト部門の責任者となった。この間、メルセデス・ベンツ 600(W100型)、230 SL(W113型)など、優れたモデルを送り出している。彼はコンセプトカーも担当しており、ヴァンケル・ロータリーエンジン実験車両「C 111(1969年)」と「C 111-II(1970年)」も彼のデザインだ。

メルセデス・ベンツのスタイルを確立

1999までメルセデス・ベンツのチーフデザイナーを務めた、ブルーノ・サッコが90歳で帰らぬ人となった。
サッコは、現代のメルセデス・ベンツにもつながる、数々のデザイン要素を確立。誰もがひと目でメルセデス・ベンツだと分かるディテールを作り上げた。写真は1996年の『CAR MAGAZINE』による、デザイン&テクノロジー・アワードを受賞したサッコ(左)。

1975年、主任エンジニア(Oberingenieur)に任命されたサッコは、フリードリッヒ・ガイガーの後任として、スタイリング部門の責任者に就任。彼が責任者として最初に担当した車両が、1977年にメルセデス・ベンツ初のステーションワゴンとして発表された、W123型ワゴンだった。

彼は、1979年から1992年まで製造されたW126型Sクラスのデザインを最も気に入っていたという。「W126型Sクラスは、デザインに関するあらゆる面において、私が手がけたメルセデス・ベンツの中で最高の1台だと言えるでしょう」と、後年語っている。また、規律を重んじるサッコは、メルセデス・ベンツの社内において、スタイリング部門に適切な地位を与えるべきだと考えていた。彼の働きかけもあり、1978年にスタイリング部門が専門部門へと格上げされ、サッコがそのトップに就任した。

サッコは、表現とシンボルの強さに価値を置いていた。彼の主張のひとつに、新型モデルの発表後、旧型モデルが古く見えないよう、「モデルシリーズのアイデンティティを世代から世代へと引き継いでいくべき」というものがあった。1979年以降、サッコが導入したメルセデス・ベンツのデザイン上の特徴のひとつが、W126型のフロントバンパーサイドの保護ストリップだ。このデザイン要素は、その後、W201型、W124型Eクラス、W140型Sクラス、R129型SLにも採用されている。

サッコが確立したシグネチャースタイルは、1990年代半ばのニューモデル攻勢において、特に顕著になった。W168型Aクラス、W163型Mクラス、R170型SLK、W638型Vクラスなど、多くのモデルがメルセデス・ベンツらしいディテールを携えて新たなカテゴリーへと打って出ている。そして、サッコが退職前に担当した最後のモデルは、W220型SクラスとC215型CLクラスとなった。

1999年3月31日、数々の受賞歴を残したサッコはメルセデス・ベンツを退職。後任として、チーフデザイナーにピーター・ファイファーが就任した。 20年間の引退生活を経て、生前のブルーノ・サッコは次のように語っている。

「メルセデスは私の人生であり、その時代を100%代表するデザイナーだと自負しています」

6代目に当たるW214型メルセデス・ベンツEクラス ステーションワゴン。

「メルセデス・ベンツ Eクラス」に試乗で自他共に認めるど真ん中のアッパーミディアムステーションワゴンを堪能

年初の東京オートサロンで発表された新型メルセデス・ベンツEクラス。 先月号ではE350eセダンの試乗記をお届けしたが、 今号では同時にフルモデルチェンジしたステーションワゴンを取り上げる。かつて「理想のステーションワゴン」と称された名車の進化とは、果たして。(GENROQ 2024年5月号より転載・再構成)

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ゲンロクWeb編集部

スーパーカー&ラグジュアリーマガジン『GENROQ』のウェブ版ということで、本誌の流れを汲みつつも、若干…