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BMW M Motorsport GmbH
ツーリングカーからフォーミュラに活動範囲を拡大



BMWのモータースポーツの歴史は古く、戦前にまで遡る。といってもそのスタートは4輪ではなく2輪で、初の単気筒モデル「R32」のレースモデル「R37」が1925年にデビュー。その年から連続で国内250ccクラスチャンピオンを獲得する活躍をみせた。
また1926年に最初の4輪車の「3/15HP」が登場すると、4輪のレースにも進出。1929年のADACアルペンラリーでチーム優勝したり、翌年のモンテカルロラリーでもクラス優勝を果たすなど、着実に結果を残していった。
そして1936年、BMWは当時としては先進的な内容をもつ2シータースポーツカー「328」を発表。1938年のミッレミリアでは初出場でクラス優勝、1939年のル・マン24時間では総合5位、クラス優勝、1940年のミッレミリアでは総合優勝と大活躍を果たした。
第二次大戦後、BMWはしばらくモータースポーツ活動を封印していたが、1959年に「700」が登場したのを機にワークス活動を再開。デビュー戦となったニュルブルクリンクの6時間レースでクラス優勝する。
そんなBMWのコンペティション部門にはアレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンの元にパウル・ロシェらが集結。1966年には「2000TI」でヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETC)のタイトルを獲得すると、1969年には初のターボエンジンを搭載した「2002TiK」を投入。さらにスポーツカー、F2にもその活動範囲を広げていった。
アルピナやシュニッツァーとともに

1972年5月1日、BMWはワークス活動や、プライベーターへのエンジン、パーツ供給といった事業を統合した子会社、BMWモータースポーツ社(BMW Motorsport GmbH)を設立する。当初代表に就いたのは営業部門の出身で、のちにフォードやクライスラーで副会長を務めたボブ・ラッツことロバート・アンソニー・ラッツで、実戦部隊の監督にはライバルであるドイツ・フォードから名将ヨッヘン・ニーアパッシュが移籍。間もなくニーアパッシュがBMW本社のモータースポーツ・ダイレクターを兼任する形で、責任者としてBMWモータースポーツ社を率いるようになる。
実は1970年にBMWがF2活動を本格化させた際に、ツーリングカーのワークス活動はアルピナに委託されていたのだが、BMWモータースポーツ社の設立後もアルピナ、そしてプライベーターとして活躍していたシュニッツァーと協力しながら、レース活動を開始。1973年にはアルピナの「2800CS」がETCでタイトルを獲る一方、ワークスからはトリコロールのBMWカラーに彩られた「3.0CSL」がデビューし、1974年にタイトルを獲得した。
その後石油ショックを理由にETCからワークスが撤退。代わりに3.0CSLで北米IMSAシリーズに出場。さらに1976年からスタートしたシルエット・フォーミュラの世界スポーツカー選手権にGr.5仕様へ改造した「3.5CSL」と「3.2CSL」で参戦し、ポルシェ・ワークスとの死闘を繰り広げる。
本格的F1参戦も


また一方でBMWモータースポーツ社は、新しい2.0リッターF2既定に合わせたギヤドライブの16バルブDOHCヘッドをもつ直列4気筒のM12/6エンジンを1973年に発表。1970年代のF2を席巻するとともに、E21型「3シリーズ」のシャシーに搭載してGr.5仕様とした320iはIMSAやドイツ国内選手権のアンダー2.0リッタークラスで大成功を収めた。
さらにBMWモータースポーツ社はM12ユニットをベースにギャレット製ターボチャージャーを装着した1.5リッターのM12/13エンジンを開発。ブラバムチームと提携し、1982年から本格的にF1への参戦をスタート。同年のカナダGPでネルソン・ピケが初優勝を飾ると、1983年にはピケと「BT52」のコンビがドライバーズ・チャンピオンに輝いている。
こうしたレース活動の一方で、ミッドシップ・スポーツカー「M1」の開発を機に、市販車をベースとしたハイパフォーマンスモデルの開発、製造にも着手。そして1993年、レース部門がBMWモータースポーツ社として独立したのを契機に、市販車を扱うセクションは現在のBMW M社(BMW M GmbH)と改称された。