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M3
1985年9月のフランクフルト・ショーで発表



そもそもBMWのモータースポーツ部門として独立したBMWモータースポーツ社は、1980年代に入るとF2エンジンの供給に加えて、直4DOHCターボのF1エンジンの供給もスタート。また1982年からスタートしたグループAのツーリングカー選手権には3.5リッター直6SOHCを搭載する「635CSi」を投入して活動を続けてきた。
しかしながら1983年にメルセデス・ベンツがコスワースと共同開発の2.3リッターの直4DOHCユニットを積む「190E 2.3-16」を擁して、1955年以来となる本格的なモータースポーツ活動を再開したことが大きな転機となった。
それを受け、BMWのエーベルハルト・フォン・クーエンハイム社長は、パウル・ロシェらにE30型3シリーズをベースとした対抗車種の開発を指示。ロシュはM635CSiおよびM5用の3.5リッター直6DOHC“M88/3”の2気筒分を切り落とした(実際にプロトタイプはそうやって作られたという)2302cc直4DOHC16バルブ“S14B23“エンジンを作り上げた。
彼らはそのエンジンを10インチ幅と15インチ径のホイールを装着できるようブリスターフェンダーを装着するだけでなく、ベース車よりもCピラーを寝かせ、トランクリッド高を上げ、フロント、サイド、リヤにスポイラーを装着することでCd値を0.38から0.33へと低減するなど大幅に改良を加えたボディに搭載。さらにフロントバンパー、トランクリッドなどにプラスチックパネルを採用して軽量化、フロントブレーキキャリパーをE28型5シリーズから流用するなどのモディファイを施した「M3」を1985年9月のフランクフルト・ショーで発表した。
グループAに専念する体制


グループAでは連続する12ヵ月間に5000台以上生産された4座以上の車両をホモロゲーションの対象としていたため、BMWはM3のエンジン生産をBMWモータースポーツ社、車体とアッセンブリーを本社で行う体制を整え、1987年に生産台数をクリア。BMWモータースポーツ社としても1987年いっぱいでF1へのエンジン供給を終了し、ホモロゲ用に210PSのエンジンと大型のスポイラーを装着した「M3エボリューション」を用意するなどグループAに専念する体制を築き上げた。
M3は、シュニッツァー、リンダーによって同年から世界ツーリングカー選手権(WTC)、ヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETC)、ドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)、スパ・フランコルシャン24時間といったツーリングカー・レースへの参戦を開始。またプロドライブの手によって世界ラリー選手権(WRC)にも出場したほか、全日本ツーリングカー選手権(JTC)にもシュニッツァー製のマシンがオートビューレックから出場。初年度からWTCでドライバーズ・タイトル、ETCでドライバーとチームのダブルタイトル、DTMでドライバーズ・タイトル、JTCディビジョン2タイトル、スパ24時間総合優勝のほか、WRCで1勝を挙げるなど大成功を収めた。
そして1988年には最高出力を250PSにアップした「M3エボリューション2」を500台限定で発売。その甲斐もあって1988年のETCではドライバーズ・タイトル、1989年のDTMではドライバーズタイトルを獲得した。
世界中のツーリングカーレースで活躍




しかしながらDTMにおいてはメルセデス、アウディの前に苦戦を強いられるようになり、1990年に排気量を2.5リッターに拡大し、専用のエアロパーツを備えた「M3エボリューション3」を601台限定で発売するも、王座を奪還するには至らなかった。
またM3のワンメイク状態となったJTCディビジョン2ではグループAが終わる1993年まで7年連続でタイトルを獲得したほか、スパ24時間では1987年、1988年、1990年、1992年と4勝を達成。さらにニュルブルクリンク24時間においても1989年から1992年まで4連覇を飾るなど、世界中のツーリングカーレースで長きにわたって活躍を続けた。
一方ロードバージョンにおいては、1985年から1990年にかけて195PSの2.3リッターエンジンを搭載したスタンダードのM3を販売したのに加え、グループA用のホモロゲモデルとして1987年に210PSのエボリューション、1988年に250PSのエボリューション2、そして1990年にDTM用の2.5リッターエンジンを積むエボリューション3を限定発売。さらにいくつかの限定車のほか、1988年から1991年にかけては油圧式電動ソフトトップを備えた「M3カブリオレ」を発売している。