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バイクとクルマを作るメーカー
かつて中日本重工(現:三菱自動車工業)や富士産業(現:SUBARU)という、今や誰もが自動車メーカーと認識しているメーカーが、太平洋戦争後の1946年〜1960年代まで、それぞれ「シルバーピジョン」「ラビット」というスクーターを製造していたことがあった。
また現在はバイクのみを製造する英国のトライアンフも、1930年代に分離されるまではひとつの会社としてバイクとクルマを製造していた。余談だが、自動車のトライアンフブランドは1980年代に消滅したが、その商標はBMWが所有している。
そして2023年となった現在、世界でクルマもバイクも自社で製造するメーカーは有名なところではBMW、ホンダ、スズキの3社と、そしてバイクメーカーながら少数の四輪ロードモデルを市販するオーストリアのKTM、そして自動車部門と別会社ではあるが、実は世界最古のバイクメーカーでもあるプジョーくらいである。(著者註※量産車メーカーを考えた時)
どちらもレシプロエンジンを搭載する乗り物であるけれど、クルマとバイクは車両の構造も運転操作もまったく異なる。エンジンにしても、そのレスポンスをダイレクトに右手で感じ、フィーリングを体全体で味わう野蛮なバイクと比べ、クルマは一部のスポーツモデルを除いてエンジンにおだやかさやジェントルさを求められ、快適な乗り物であることが優先される。
最高速は680km/hを主張!?
そういった意味で、クルマより先にバイクを作っていたBMW、ホンダ、スズキ、KTMはスポーティなバイクを作り続けているのに対し、クルマを先に作り、バイクが軸足になったことのないプジョーのバイクラインナップがほぼスクーターというのも何となく腑に落ちる。また三菱もスバルもスクーターの製造を止め、自動車メーカーとなってから現在まで再びバイクを作ることは無かったし、これからもきっと無いだろう。
自動車メーカーがバイクメーカーとコラボレーションすることなく、新たなバイクを開発するということは無い。そう誰もが思っていた2003年1月。アストンマーティンの3代目ヴァンテージがデビューしたデトロイト・オートショーの会場に、その異形のバイクは現れた。その名も「ダッジ・トマホーク」だ。
米クライスラー社のダッジブランドで発表されたそれは、同ブランドのマッスルカー、バイパーの排気量8277ccのアルミシリンダー&ヘッドの水冷4ストローク90度V型10気筒OHVエンジンを搭載。前後2つずつのバイク用タイヤを装着する、規格外の4輪のバイクだった。
コンセプトモデルにありがちな「ハリボテ」ではなく、実際に走行できることに驚かされる。車体はエンジンをストレスメンバーとしたモノコック構造、フロントサスペンションは通常のフォークではなくハブステアを採用。エンジンの駆動力は2本のチェーンを介して後輪に伝える。バイクであることの証左として、コーナリング時には車体を左右に傾けてコーナリングするという。
実際にテストはしていないものの、約680kgというバイクとしては規格外に重い車体ながら、507PS/5600rpmのパワーと、72.45kgm/4200rpmのトルクを誇るエンジンだから、0-60mph(約96.6km/h)加速2.5秒、最高速は後に480km/hへと下方修正されたが、当初は680km/h出ると夢のある主張をしていた。
もっともこれはいずれもエンジン回転とギヤ比、タイヤの大きさといった少ない要素だけしか考慮しない机上の計算値で、社内テストでは160km/h以上出したことがないという。しかしながらこの完成度なら320km/hくらいは出るのではなかろうか。
9台のレプリカが存在
更に驚くべきなのは、RMモータースポーツ社によって作られたオリジナルのプロトタイプ4台の他に、9台のレプリカが製造され55万5000USドル(当時約6000万円)で個人オーナーの手に渡ったこと。こんなクレイジーなバイクを作り上げ、それを受け入れて購入するユーザーがいる。そんなアメリカのクルマ文化、バイク文化の懐の深さをこのバイクは教えてくれた。
個人的には、ダッジ・チャレンジャーのSRTエンジンを積み、フルカウルの車体で本当に500km/hを狙えるトマホーク2の登場を熱望している。