モテの象徴だった「デートカー」という文化

1980年代末から1990年代にかけて、日産「シルビア」、トヨタ「ソアラ」、ホンダ「プレリュード」といった“デートカー”と呼ばれる車種が、若者のあいだで高い人気を誇っていた。低い車高に2ドアクーペのボディ。夜景を見に行く、海までドライブするといったロマンチックなシーンと相性のいいデザインや走行性能が重視されていた。
背景には、車を所有することが「かっこよさ」と直結していた当時ならではの時代性がある。バブル経済の熱気が残る中で、車は単なる移動手段ではなく、ステータスであり、自己表現のツールとしても機能していた。とりわけ男性にとっては、「いい車=いいデート=いい男」という図式が、半ば無意識のうちに共有されていたように思われる。
自動車雑誌では「モテる車特集」が定番企画となり、テレビCMでも「この車で彼女を迎えに行く」という場面が成功の象徴として描かれていた。つまり車はコミュニケーションの媒介であり、恋愛の“入口”としての役割も担っていたのだ。
車が“恋愛ツール”でなくなった理由
一方、現代の若者にとって、車はもはや恋愛の前提条件ではない。各種調査でも、20代〜30代の男女のあいだで「車を持っていることが魅力に直結する」と感じる人は減少傾向にあり、その代わりに重視されているのは、気遣い、価値観、生活スタイルの一致といった“中身”の部分である。

かつては、ドライブが関係を深めるきっかけだった。都市近郊の海岸道路や峠道は、非日常の高揚感をともなった“恋愛の舞台”として機能していた。しかし今では、渋滞の常態化や交通安全対策の強化により、そうした開放感は薄れつつある。加えて、カーシェアや公共交通の普及により移動手段の選択肢は広がったが、「自分の車で連れて行く」ことの特別感は以前ほど強くない。
さらに、恋愛の“入口”自体がオンラインへと移行したことも大きい。マッチングアプリやSNSが出会いの主流となった現在、ドライブやナンパに時間とエネルギーを割く必要性は低下した。関係構築の起点は、リアルな移動よりも、タイムライン上の「いいね」やDMの応酬へとシフトしている。
そうした変化のなかで、デートカーは“恋愛を演出する舞台装置”としての役目を、静かに終えつつあるのかもしれない。
とはいえ、車離れが語られる一方で、現代の若年層にも車を所有する動機は確かに残っている。それは「モテたいから」ではなく、「自分だけの空間を手に入れたいから」という、より内向的な欲求に支えられている。
バンライフやソロキャンプなど、一人の時間を重視するライフスタイルのなかで、車は移動手段という役割を超え“個室”としての意味を持ちはじめている。
車が「誰かと過ごす場所」ではなく、「自分と向き合う空間」として再評価されている点は見逃せない。
かつてのデートカーが“他者との距離を縮める装置”だったとすれば、いまの車は“自分との距離を調整する道具”へと変化しつつある。そこに宿るのは恋愛ではなく、心地よさや安心感といった、よりパーソナルで静かな価値観だ。
デートカーが走った記憶の先にあるもの
近年、「デートカー」という言葉を口にする人はほとんどいない。だが、それは単に車が売れなくなったからではない。恋愛や人間関係のかたちそのものが変化し、車の役割もまた、静かに変わっていったのだ。
これからの車は、“誰かを喜ばせるための道具”ではなく、“自分自身を快適に保つ場所”として再定義されていくのかもしれない。車内は、パーソナルな空間であり、他者とのつながりよりも、自分との向き合い方を支える場へと役割を移しつつある。
デートカーという文化は、たしかに過去のものになった。しかしその変化は、単なる言葉の消失ではなく、ライフスタイルや価値観の変化を反映したものだ。車の位置づけは、時代ごとの社会構造や人間関係のあり方とともに常に変化している。
いま求められているのは、かつてのような“演出装置”としての車ではなく、より個別化された目的に応える移動と空間の設計である。