現代に受け継がれる「ジープ」の精神は、軍用車から始まった

ジープの原点は軍用多目的車両としての開発にあった

ジープの歴史は、第二次世界大戦前夜に遡る。現在ではSUVの代名詞ともいえる

1939年、アメリカ陸軍はヨーロッパでの戦況を踏まえ、険しい地形を問わず走破できる小型四輪駆動車の必要性を求めていた。

陸軍は「重量1,300kg以下」「最大積載約270kg」「四輪駆動」「耐久性重視」という厳しい条件を提示し、各メーカーに開発を打診。この要求に最初に応じたのがアメリカン・バンタム社(American Bantam)だった。彼らは、わずか2ヶ月間程度で試作車を完成させたことが、ジープ誕生の大きな契機となった。

しかし、バンタムは小規模メーカーで生産能力に限界があったため、フォードとウィリス・オーバーランドも開発競争に参入することになる。最終的に、耐久性とパワーで優れていたウィリス社の「MA(Military model A)」が正式採用され、改良版「MB」として大量生産が開始された。

フォードも並行して「GPW」と呼ばれる同型車を生産。結果として、ウィリスとフォードの両社がジープの原型車を大量供給する体制が整った。第二次世界大戦で大活躍したジープは、終戦後もその高い走破性と耐久性が評価され、民間市場への展開が始まった。

1945年、ウィリス社は軍用ジープ「MB」をベースにした民間向けモデル「CJ-2A」を発売した。ここでいうCJはCivilian Jeepの略で、「一般市民のためのジープ」を意味する。

当初は農業・林業・建設業などの作業用車両として注目され、頑丈なボディと四輪駆動性能を活かして重作業に活躍した。軍用車両で培われた設計思想を活かしながらも、シートや収納スペースなど、日常利用を想定した機能が追加されたのが特徴だ。

アメリカ国内での人気を背景に、ジープは各国でもライセンス生産されるようになった。日本では戦後、進駐軍のジープをベースに三菱重工が1953年からライセンス生産を開始。三菱ジープは長らく国内の山岳地帯や林業で愛用され、「オフロード=ジープ」というイメージを定着させた。さらに、フランス・インド・ブラジルなどでも現地生産が進み、ジープは世界中のオフロード市場を席巻していく。

1970年代以降、アメリカではレジャー志向の高まりとともに、ジープは「働く車」から「楽しむ車」へと進化する。代表的なのが「ジープ・チェロキー(XJ)」や「ラングラー(YJ/TJ)」といったモデルだ。

これらはオフロード性能を維持しつつ、快適性やデザイン性を重視したSUV路線へシフトし、現代のジープブランドの基盤を築いた。

複数説が存在する、ジープという名前の由来

ポパイに登場したユージーン・ザ・ジープ(Eugene the Jeep)

ジープという名称には、主に4つの説が存在する。いずれも第二次世界大戦期のアメリカ文化と軍事事情が絡んでおり、ブランドの成り立ちを語る上で欠かせないエピソードを紹介する。

軍用車両コード名「G.P.」説

最も有名な説が、「GP(ジーピー)」説である。もっとも広く知られているのが、アメリカ陸軍による軍用車両の呼称に由来する説だ。第二次世界大戦中、陸軍は高い汎用性を備えた小型四輪駆動車を開発。正式名称はGeneral Purpose Vehicle(汎用車両)であり、その略称としてG.P.(ジー・ピー)が使用されていた。

これが米兵たちの間で発音されるうちに「ジーピー」から「ジープ」へと変化したという説だ。ただし、当時の資料を見ると、正式には「General Purpose」よりも「Government Purpose」だったという説もあり、実は軍内部でも呼称が統一されていなかった可能性がある。

『ポパイ』のキャラクター「ユージーン・ザ・ジープ」説

1930年代のアメリカンコミック『ポパイ』に登場したキャラクターが由来とされている説も存在する。

ユージーン・ザ・ジープ(Eugene the Jeep)は、作品内に1936年に登場し、小柄で俊敏、どこにでも自由自在に行ける不思議な生き物だった。兵士たちは新型の軍用車が険しい地形をいとも簡単に走破する様子を見て、「まるでジープ(ユージン)のようだ」と表現したといわれる。

この説は特に当時の兵士の間で広く語られており、「ジープ=どこでも行ける車」というイメージを強く植え付けた。

フォード社が名付けた説

「フォード社命名説」も、ジープの名前の由来として噂されている。

1962年に出版されたネビンスとヒルの著書によれば、当時フォード社の技術者だったローレンス・シェルドリックが「ジープという名前はフォード社で考案された」と主張している。しかし、この主張を裏付ける決定的な証拠は存在しない。フォード社が正式に命名したと断言することは難しい。

当時、報道機関ではフォード社製の初期モデルを「ピグミー」や「ブリッツ・バギー」と呼び、ウイリス社製については「クオド」「ピープ」「ミゼット」などと区別していた。

こうした当時の状況を踏まえると、フォード発祥説には一定の説得力がある一方で、あくまで有力説の一つにとどまっていると言える。

補給本部の軍曹が叫んだ説

「補給本部軍曹発祥説」も、ジープ由来の逸話として受け継がれてきた。

これは軍のテスト部門で行われたデモ走行中の出来事に由来するとされる。バンタム社製の試作車を走らせていたユージン・モズレー大尉に対し、UP通信(現:UPI通信社)の記者が「もっと速く走れないのか?」と声をかけたところ、近くにいたロス軍曹が「このジープは何でもできるんだ!」と叫んだという。

このやり取りをきっかけに、「ジープ」という言葉が記事で紹介され、バンタムの試作車が公式に「ジープ」と呼ばれるようになったといわれている。

愛称としての広まりと大衆文化への浸透

Jeep Wrangler Rubicon

ジープという名前の正確な起源は今なお特定されていない。しかし、ひとつだけ確かなのは、フォード社、軍の現場、そして報道機関や大衆が、それぞれの場面で自然発生的に使い始めた言葉が、結果的に定着したということである。さらに、戦時中から戦後にかけてジープは歌や映画にも登場し、大衆文化の象徴となった。

ブランド戦略としてではなく、現場から生まれた呼び名が世界中に広がり、現在の「Jeep」ブランドを形作ったという事実は、まさに偶然と必然が重なりあった歴史そのものである。