高級志向と実用性を兼ね備えたブタケツローレル

1972年に登場した2代目ローレルは、当時の日本に強く流入していたアメリカンスタイルの影響を色濃く反映していた。ワイド&ローのプロポーションに加え、曲線を活かしたボディラインは、同時期に登場したトヨタ・マークIIなどと並び、ミドルクラスセダン市場の方向性を象徴する存在となった。
特にリアまわりに配された大型テールランプとボリューム感ある造形は、強烈な個性を放ち、好悪が分かれる一方で人々の記憶に深く刻まれた。
内装もまた高級志向を前面に打ち出していた。ウッド調パネルや厚みのあるシートが与える重厚感は、従来の大衆車とは一線を画すものであり、所有すること自体がステータスの一部と捉えられるようになった。
グレードによっては直列6気筒エンジンを搭載し、走行性能も申し分なく、単なる移動のための車から所有欲を満たす車へと進化していく時代の潮流を体現していたのである。
1970年代前半といえば、日本経済が高度成長から成熟へと歩みを進め、生活に「ゆとり」や「余裕」が求められ始めた時期であった。自動車市場においても、大衆車だけでなく「より快適に」「より豊かに」乗ることを意識したモデルが次々と投入されていく。
その中でブタケツローレルは、ラグジュアリー性と大衆性のバランスを備えたミドルクラスの象徴として、多くの支持を集めたのである。
豊かさを求めた日本と、1972年のアイコン「ブタケツローレル」

1972年は、日本が高度経済成長から安定成長へと移行し始めた節目の年であった。大阪万博から2年の月日が経ち、国民の暮らしには「豊かさ」や「余裕」を求める意識が広がっていた。
社会全体では、札幌オリンピックの開催によって国際的な自信が高まり、山陽新幹線の開業で都市間移動の高速化が進んだ。家庭ではカラーテレビが普及率80%を超え、テレビ番組「8時だョ!全員集合」が人気を集め、娯楽文化が大きく花開いた。
ファッションではベルボトムやミニスカート、音楽では井上陽水や小柳ルミ子といった新しい世代のアーティストが登場し、若者文化が勢いを増していた時代でもある。
自動車市場においても、この豊かさ志向とアメリカ的影響が色濃く表れていた。ワイド&ローのプロポーション、大型のテールランプやボリューム感のある造形など、豪華に見えることが価値とされるデザインが主流となっていた。
1972年に登場したブタケツローレルは、まさにこうした潮流を体現したモデルであり、単なる移動手段を超えて「所有する豊かさ」を象徴する存在だったのである。
しかし、1973年に突如訪れた第一次オイルショックは、こうした潮流に冷や水を浴びせることになる。原油価格の高騰により自動車産業は燃費性能や効率性を重視せざるを得なくなり、ブタケツローレルのような大柄で豪華志向の車は急速に市場の中心から退いていった。
わずかな期間で姿を消すこととなったが、その短命さこそが豊かさを追い求めた時代の象徴として、後世に強い印象を残す要因となったのである。
多くの自動車好きに愛されるブタケツローレルの存在意義
ブタケツローレルは、単なるミドルクラスセダンにとどまらず、当時の日本人が抱いた豊かさへの憧れや、アメリカ文化の影響を体現した一台であった。
その独特のデザインは賛否を呼びつつも強烈な個性を放ち、現在でも旧車愛好家の間で高い人気を誇っている。特に「ブタケツ」という愛称は、スカイラインの「ハコスカ」「ケンメリ」と並び、ユーザーが生み出したニックネーム文化の代表例であり、車そのものの魅力を超えて愛されるキャラクターとして定着した。
時代の空気をまとったブタケツローレルは、単なる懐古対象ではなく、1970年代の自動車文化そのものを象徴するアイコンとして語り継がれている。