日産「シルビア S12型」の概要

シルビア S12(1984年)クーペ ターボ R-X・G

S12型シルビアは、1983年にS110型の後継モデルとして登場した。見た目の特徴は、当時の流行を取り入れた直線的でシャープなデザインである。80年代の車らしい硬質な雰囲気をまとい、いわゆる「ハイソカー」と呼ばれたトヨタ「ソアラ」や日産「レパード」のような上級クーペを小ぶりにしたような印象を与えた。

S12シルビアは発売当初、隠しライト式の「リトラクタブルヘッドライト」を採用していた。ライトを点灯するときだけ持ち上がる仕組みで、当時は未来的なギミックとして若者に人気があった。その後のマイナーチェンジでは外装デザインに変更が加えられ、一部グレードには固定式の角目ライトも採用されたため、前期と後期でフロントマスクの印象は大きく異なっている。

ボディタイプは通常のクーペに加え、後部に大きなハッチゲートを備えたモデルも存在し、姉妹車の「ガゼール」とあわせて幅広いラインナップが用意された。エンジンも複数の仕様があり、街乗り向けから走りを楽しむための高性能版まで揃っていた。さらにアメリカ市場向けにはV6エンジン搭載車も用意されるなど、日産の意欲は十分に感じられるモデルだった。

こうしてスペック面では抜け目がなかったS12だが、問題は「どの方向を目指したモデルなのか」が曖昧だったことだ。豪華さを売りにするわけでもなく、軽快な小型スポーツに徹するわけでもなく、どっちつかずの存在感になってしまった。これが後に不発のシルビアと評される要因のひとつとなる。

時代背景と自動車市場の空気

S12シルビアが登場した1980年代前半、日本はバブル経済に突入する直前の活気ある時代だった。街には余裕を感じさせる消費ムードが漂い、若者を中心に「車は自分を表現するための道具」という意識が強まっていた。

その象徴が「ハイソカー」と呼ばれる高級志向のクーペである。トヨタのソアラや日産のレパードといったモデルは、直線的で堂々としたデザインと豪華な装備を備え、「都会的で大人っぽいライフスタイル」を演出するアイテムとして人気を集めていた。

一方で、同じ時期に登場したトヨタのAE86型スプリンタートレノ/カローラレビンは「手頃で操る楽しさを味わえるFR車」として、スポーツカー志向の若者の心を掴んだ。つまり当時の市場は、豪華さを求める層と走りの楽しさを追求する層に二分されていたのである。

このような状況の中で登場したS12は、直線的なデザインを取り入れつつも、ラグジュアリーカーほどの華やかさはなく、ライトウェイトスポーツほどの軽快さも持ち合わせていなかった。その結果「目立たない存在」として埋もれてしまうことになる。

文化的背景を見ても、80年代はアイドルブーム、DCブランドや原宿ファッションの流行、そしてMTVを通じた洋楽カルチャーの浸透など、若者文化が華やかに広がった時代だった。派手さや個性が重視される空気の中で、落ち着きすぎた印象のS12は、強烈なインパクトを与えることができなかった。

国内新車登録台数の累計が、2万9,686台にとどまったS12型は、なぜ“不発”に終わったのか

シルビア S12(1984年) H:B ターボ R-L FISCO

S12シルビアは決して性能が低かったわけではない。むしろスペックは同時代の競合と比べても遜色なく、たしかな技術が投入されていた。しかし、それでも販売面で成功を収められなかったのは、いくつかの要因が重なったからである。

まず大きな理由はデザインである。S12の直線的で無難な外観は時代のトレンドを踏まえていたものの、シルビアという名前に期待される「スポーティで華やかな存在感」に欠けていた。当時の若者が求めていたのは、目を引くデザインや走りの楽しさであり、S12はそのどちらも中途半端に映ったのである。

次に競合の存在だ。トヨタのAE86は「安くても運転が楽しい車」として爆発的な人気を得ていたし、ソアラやレパードのような上級クーペは「都会的で大人っぽい車」として憧れの的になっていた。その間に挟まれたS12は、豪華さでも楽しさでも勝ちきれず、「特徴が弱い車」と見られてしまった。

さらにシリーズの歴史の流れもS12に不利に働いた。初代や3代目S110型までは「スタイリッシュなクーペ」としての個性があり、次世代の5代目S13以降は「若者のための本格FRスポーツ」として一気に人気を獲得する。

その過渡期にあったS12は方向性が曖昧で、シリーズ全体の中でも“谷間の世代”と位置づけられてしまった。こうしてS12は「悪くはないが強く心を掴むポイントに欠ける」という理由で、多くの人に選ばれず、不発の評価を受けることとなった。

結果として国内新車登録台数の累計は、2万9,686台にとどまった。

現代から見たS12型の魅力

発売当時は不遇な立場にあったS12シルビアだが、時を経た今ではむしろ独自の魅力を放つ。直線を基調としたデザインやリトラクタブルヘッドライトといった特徴は、80年代の空気をそのまま閉じ込めた時代の象徴となっており、現代の車にはない個性として再評価されている。

かつては「地味すぎる」と評された外観も、今ではクラシカルで味わい深いと感じる方も多い。特に近年はネオクラシックカーと呼ばれる80〜90年代の車に注目が集まっており、その流れの中でS12も「希少性の高い存在」として価値を上げつつある。中古市場でも玉数が少ないため、愛好家からは隠れたコレクターズアイテムとして扱われているほどだ。

さらに、シルビアシリーズの歴史を理解する上でS12は重要な役割を果たしている。方向性に迷ったこの世代があったからこそ、次のS13で「若者向けFRスポーツ」という明確なキャラクターが確立され、大成功につながったのである。言い換えれば、S12はシルビアが成長するための試行錯誤の世代だったともいえる。

S12型は本当に失敗作だったのか?

シルビア S13(1988) Q’s

日産「シルビア S12」は、シリーズの中でもっとも影が薄い世代といわれることが多い。性能面で大きな欠点があったわけではないが、デザインの無難さや市場の流れとのすれ違い、そして強力なライバルの存在によって、多くの人に選ばれず“不発”の評価を受けたモデルだ。

しかし、不発の世代だからこそ見えてくる価値もある。直線基調のデザインやリトラクタブルヘッドライトは、80年代という時代の空気を色濃く映し出しており、現代ではクラシカルで魅力的に映る。さらに、このモデルの存在があったからこそ、次のS13で日産が方向性を定め、大成功につなげることができたともいえる。

S12は単なる失敗作ではなく、試行錯誤の結果生まれた過渡期の産物であり、シルビアの歴史を語るうえで欠かせないピースである。名車に比べれば地味かもしれないが、その歩みを振り返ることで、80年代の自動車文化や社会の空気まで見えてくる。

忘れられがちな存在だからこそ、S12は今、改めて注目すべき一台なのだ。