セドリックとグロリアの共通点

日産10代目「CEDRIC(1999)」

日産「セドリック」と「グロリア」は、基本構造を共有する姉妹車であった。車体のプラットフォームやエンジン、足回りはほぼ同一であり、外観もフロントグリルやテールランプのデザインを除けば大きな差はなかった。

両車は「トヨタ・クラウン」に対抗するために位置づけられた日産の高級セダンである。クラウンが官公庁や企業の公用車として強い地位を築いていたのに対抗し、日産はセドリックとグロリアという二本柱で市場に挑んだ。

乗り心地の良さや静粛性、後席の広さといった点は共通しており、日本の高度経済成長期からバブル期にかけて、道路上での存在感を示し続けた。

公的需要に応えた端正なセドリックと、華やかさと個性を備えたプリンス由来のグロリア

Gloria A30スーパー6(1969年)

セドリックは日産が独自に展開した高級セダンであり、そのデザインは落ち着きと端正さを重視していた。派手さを抑え、直線基調のスタイルが多く採用されたため、利用者に安心感や格式を与える性質を持っていた。

この保守的な性格から、セドリックは官公庁の公用車や法人役員車、さらにはタクシーとしても広く採用された。後席の快適性や視認性の良さ、耐久性といった要素が評価され、日常的に人を運ぶ用途に適していたのだ。結果として、セドリックは「信頼性のある正統派セダン」という立ち位置を確立していた。

一方のグロリアは、プリンス自動車工業が生み出したブランドを起源としている。1966年に日産とプリンスが合併した後も、その名は残され、独自の存在感を維持した。グロリアはセドリックと基本構造を共有しながらも、外観には華やかさや装飾性が加えられていた。フロントグリルの意匠や内装の加飾に個性を出し、よりスタイリッシュでモダンな印象を与える仕立てが多かった。

その方向性は「若い世代」「個人ユーザー」を強く意識したものであり、セドリックが持つ公的・保守的なイメージと好対照をなしていた。グロリアは「自分らしさを表現するための高級セダン」として人気を集め、セドリックとの差別化に成功していたのである。

二つの流通網で棲み分けられた双子車

セドリックとグロリアが併存できた理由のひとつは、日産が複数の販売網を展開していたことにある。かつての日産は「日産店」「サニー店」「チェリー店」「プリンス店」など、販売チャネルごとに扱う車種を分けていた。

セドリックは日産本流の「日産店」で販売され、企業や官公庁といった法人需要を中心に販路を広げた。一方のグロリアは「プリンス店」で取り扱われ、プリンス自動車からの顧客基盤を受け継ぐかたちで個人ユーザー層にアプローチした。

同一の車を異なる名前で展開することは、現代では非効率に映るかもしれない。しかし当時はディーラー網が顧客との接点を握っており、セドリックとグロリアは販売戦略上の棲み分けとして必然の存在であったといえる。

終焉とフーガへの統合

セドリック・グロリアが統合され、2004年に新ブランド「フーガ」として登場。

2000年代に入ると、日本のセダン市場は縮小の傾向を強めた。ミニバンやSUVが人気を集める中、セドリックとグロリアという二本立てを維持する意義は薄れていった。さらに、販売チャネルの統合が進んだことで、両車を分けて売る仕組みそのものが時代に合わなくなっていた。

こうした流れの中で、2004年に両車は統合され、新ブランド「フーガ」として登場。フーガはよりスポーティかつ上質なセダンを目指したモデルであり、セドリックとグロリアが築いてきた伝統を引き継ぎながら新しい価値を打ち出そうとしたのだ。

結果的にフーガも2020年代に入ると生産終了となったが、セドリックとグロリアは長年にわたり日本のモータリゼーションを支えた存在として記憶され続けている。

セドリック&グロリアの栄光と終焉

街角でタクシーの列に並んでいたセドリック。夜の繁華街で輝いていたグロリア。どちらも同じ骨格を持ちながら、異なる顔つきと役割を与えられ、日本の高度経済成長期からバブル期にかけての歴史に名を刻んだ。

2004年にフーガへと統合され、その名は歴史の中に収まったが、いまも旧車イベントや当時を知る世代を中心に支持を集めている。双子車と呼ばれたセドリックとグロリアは、単なる高級セダンではなく、日本人の暮らしや時代の空気を映すモデルでもあった。

現代ではセダンの人気が薄れ、SUVやEVへと需要が移りつつあるが、セドリックやグロリアが残した存在感は、国産セダンの価値を思い起こさせる。