個人タクシー誕生をきっかけに勃発したタクシー業界内抗争

戦後の混乱期に導入された個人タクシー制度は、当初から法人タクシー会社との火種となった。

個人タクシー制度が正式に発足したのは1952年、戦後の混乱期のことだ。法人がすでに存在していたにも関わらず、個人形態が誕生した目的は、第二次世界大戦による失業者対策と、復員軍人や引揚者の職業創出が主だった。

この政策は運輸省(現国土交通省)の肝いりで推進され「自分の車で自営業として働ける」という新しい雇用形態が誕生した。

個人タクシー制度は「一般乗用旅客自動車運送事業(個人タクシー)」という正式名称で始まり、当初は旧軍人や引揚者を中心に免許を交付。1台の車両で個人事業主として営業するこの形態が、戦後の雇用創出策として大きく貢献したのは言うまでもない。

しかし、この制度は導入当初から法人タクシー会社との間に火種があった。法人タクシー業界は安全性の問題や、過当競争を招くと猛反発。一方、個人タクシードライバーは自分の車で丁寧に接客できると強みをアピールした。

突如現れたマイカー持ち込みで営業する個人タクシーに顧客を取られるとなると、諍いが起こるのは至極当然の流れと言えるだろう。

このような個人タクシー制度が発足して間もない頃の運賃設定や営業時間の自由度をめぐる対立は、後の本格的な業界内抗争の予兆となった。

需要増とともに激化したタクシー戦争。営業権と減車問題をめぐる熾烈な攻防

2002年の改正道路運送法施行により、厳しく制限されていたタクシー台数制限も大幅に緩和された。

1950年代から70年代前半までの高度経済成長期、タクシー需要は急激に増加し、業界は活況を呈した。個人と法人の対立が激化していったのは、この繁栄期だ。

最大の火種は営業権と減車問題だった。

総量規制があるタクシー免許は、個人と法人のどちらに多く新規発行を割り当てるかをめぐって、激しいロビー活動が展開された。法人タクシー側は規模の経済を生かした経営効率を主張。一方、個人タクシー側は自営業者の権利を盾に対抗した。

1960年代にはタクシー乗り場争奪戦が過熱。駅前や繁華街のタクシー乗り場は重要な営業資源であり、法人は組織力を活かして有利な乗り場を確保。個人は平等な利用機会を求めて反発した。

東京、大阪を中心に、乗り場での小競り合いや妨害行為も頻発。「タクシー組合」vs「個人タクシー協会」の対立の構図が明確化されていった。

さらに景気後退期には、供給過剰を理由に行政が減車を指導する場面が多くあり、その際にどちらがより多く車両数を減らすべきかという問題で対立が激化した。

1970年代のオイルショック時には、減車割合をめぐって個人タクシー団体と法人タクシー会社が真っ向から対立。法人側は個人も平等に減車すべきだと主張し、個人側は生活権を理由に抵抗するなど、業界の分断はより一層深まった。

この時期、法人タクシーの「歩合制賃金」と個人タクシーの「自営業」という働き方の違いも社会的注目を集め、労働条件と収入の違いが、両陣営の対立をさらに深める要因となった。

規制緩和により疲弊するタクシー業界。戦場は現場から政策へ

2002年の改正道路運送法施行により、厳しく制限されていたタクシー台数制限も大幅に緩和された。

2000年代に入ると、規制緩和政策がタクシー業界に大きな変革をもたらした。2002年の改正道路運送法施行により、それまで厳しく制限されていたタクシー事業への新規参入が容易になり、台数制限も大幅に緩和されたのだ。

この規制緩和は業界に激震を与えた。新規参入組が増え、タクシー台数が急増。需要が伸び悩む中での供給過剰状態により、運転手の収入減少や過当競争がさらに深刻化した。かつての「個人vs法人」の対立はより一層複雑化し「新規vs既存」「大手vs中小」など、多様な対立の構図が形成された。

業界全体の苦境を前に、個人と法人の協力関係が生まれたのも興味深い点だ。過剰供給による業界全体の疲弊状態を緩和する目的から、適正台数への回帰を求める共同声明を発表するなど、かつての敵同士が手を組む場面も見られるようになった。

しかし、その実態としては法人タクシー会社の経営悪化が目立ち、一方で個人タクシーは限られた台数と高い顧客志向が強みとなり、相対的に安定した経営を維持する傾向が見られた。この時期から両者の対立の主戦場は、かつてのような現場から、現在のような政策へと移行していった。

配車アプリによって大きく変わりつつあるタクシー業界の今

米国で自動運転技術を用いたタクシーを運行する「Waymo」。

2010年代以降、スマートフォンの普及とともに登場した配車アプリは、タクシー業界の在り方は大きな変貌を遂げた。

「Uber」や「DiDi」などのグローバル企業の進出、国内では「JapanTaxi(現GO)」や「MOV」などのサービスが台頭し、従来の流し営業や電話配車に取って代わりつつある。現在では、Alphabet傘下の自動運転技術会社「Waymo」による自動運転技術を用いたタクシーの運行も、フェニックスやオースティン、カリフォルニアなどの一部地域で始まっている。

2025年4月には、トヨタが自動運転の開発と普及におけるWaymoとの戦略的パートナーシップに合意したことで、日本国内における自動運転タクシーの運行も可能性を帯びてきた。このような配車サービスの充実や、自動運転技術の発展は、タクシー業界だけではなく、利用ユーザーから見ても大きな変容と言えるだろう。

新たな競争環境は、個人・法人タクシーの関係にも変化をもたらしている。配車アプリは個人・法人の区別なく登録できるプラットフォームを提供し、新たな顧客層の開拓を可能にしている。

法人タクシーは組織力を活かしたデジタル投資で優位性を見出す一方、個人タクシーはきめ細かなサービスと固定客基盤を生かした戦略を模索している。視点を変えると、法人はアプリでの配車に主戦場を移し、個人とのサービスの棲み分けが実現しつつあるとも捉えられる。

かつては個人と法人の二重構造により半世紀以上もの間、激しく対立していたタクシー業界だが、デジタル化により様変わりした現在においては、その構図はもはや名残となりつつあるのかもしれない。