トヨタのマークII三兄弟に対抗せよ! 日産がスカイライン、セフィーロと共にハイソカーブームに投入したC33型ローレルはネオクラ&ドリフトブームで人気再燃!

1980年代後半から1990年代前半……バブル景気をまたぐこの時代は日本車の黄金時代であった。当時はまだ一ユーザーであったり、まだ免許も取得していない若者であったり、あるいはすでに筆をとっていた人も、現在活躍中のモータージャーナリストの多くがその薫陶を受けたと言っても過言ではない。大音安弘氏もそんなモータージャーナリストの1人である。大音氏の記憶に深く刻み込まれたネオクラシックカーは、日産のハイソカーであった。

近年、「ネオクラシック」と呼ばれる1980年代~1990年代のクルマの人気が再加熱しているのは、皆さんもご存じの通り。その主役はスポーツカーだが、今回はちょっと日陰の存在である日産のサルーンをご紹介したい。それは個人的にも思い出深いC33型ローレルだ。

1980年代「ハイソカーブーム」におけるトヨタvs日産の構図

6代目となる日産ローレル(C33型)は、バブル真っ只中の1988年12月に発表され、翌年1月より販売が開始された。1980年代に巻き起こった「ハイソカーブーム」の影響で、当時の日本車には、アッパーミドルクラスの車種が充実していた。その主役といえば、トヨタのマークⅡ御三家であったことは言うまでもない。

御三家筆頭・マークII(70系)
スポーティ路線・チェイサー(70系)
“純” セダン・クレスタ(70系)

しかし、王道を行くトヨタ車は、やや爺むさい印象があったのも確か。それに対して、洒落けやスポーティさで攻めたのが、日産である。御三家の対抗馬として、スポーツセダンの雄「スカイライン」、ヤングアダルトをターゲットにした「セフィーロ」、そして、大人の上質なサルーン「ローレル」を投入した。

スカイライン(R31型/1985)
セフィーロ(A31型/1988)

当時のリリースを振り返ると、「“社会的地位を確立した行動的な大人”のカーライフを想定し、”大人の趣味の良さを表現した上質な4ドアサルーン“を狙った」とある。まさにハイソカーど真ん中のクルマだった。

ローレル(C33型)「Club-L」

ピラーレスハードトップが時代の流行

最大の特徴は、そのデザイン。エクステリアは、スカイラインやセフィーロと比べると、古典的なスタイルであったが、直線基調のシャープなスタイルとし、各部に丸みを与えることでエレガントさを表現した。その魅力を高めてくれたエッセンスこそ、スタイリッシュなピラーレスハードトップのボディだ。今では見られなくなったBピラーレス構造と低く抑えたルーフは、4ドアの広いガラスエリアをワイドに見せることで、スポーティさも演出しつつ、後席に明るさ空間と広い視界をもたらした。

ローレル(C33型)「Club-L」

インテリアも華やかで、ダッシュボードには、本木デザインのクラスターパネルやアナログ時計などを採用。さらにシートもホールド性を高めながらも、素材には、応接室のソファを連想させる柔らかなファブリックが使われていた。一見、インテリアは、同世代のA31型セフィーロと共通に思えるが、アナログ時計付センタークラスターのデザインが異なるなど、差別化されていた。

ローレル(C33型)「Club-L」のインストゥルメントパネル。
ローレル(C33型)「Club-L」のフロントシート

特に内装では、凝った装備はなかったが、助手席は中折れ機構を備えた「パーソナルコンフォタブルシート」となっており、ソファに腰掛けるようなゆったりした姿勢で寛げるようになっていた。この辺は、高級車指向というよりもデートカー的要素かもしれない。

セフィーロ(A31型)のインストゥルメントパネル
セフィーロ(A31型)のフロントシート

ネオクラ世代の日産はとにかくハイテク志向

ハイソカー要素を高める新たなグレードも用意された。それが「クラブS」と「クラブL」の新設だ。
スポーティ志向の「クラブS」の特徴は、ブラックアウトしたフロントグリル、フロントスポイラー付バンパー、ゴールド塗装のアルミホイール、ピンストライプによるスポーティなエクステリアに加え、内装ではエクセーヌシート(※アルカンターラのこと)を標準化。

さらにスポーティな走りを提供するべく、4輪操舵の「ハイキャスⅡ」やリヤビスカスLSDなどを標準化。日産3兄弟の中で唯一採用していたボンネットマスコットも取り払わるなど、AMG的な演出もあった。
エンジンは、ツインカムのRB20DEとツインカムターボのRB20DETが選択できた。

ローレル(C33型)に搭載されたRB20DETエンジン。2.0L直列6気筒DOHC24バルブインタークーラーターボ。

一方、「クラブL」は、一言でいえばバブリーな豪華仕様だ。
外観こそ、主力グレードのメダリストと共通だが、内装を差別化。ホワイトベージュの本革シートをはじめ、クルーズコントロールの「ASCD」、電子制御アクティブサウンドシステムなどを標準化。走りの面では、快適な乗り心地を提供する「DUET-SS」を備えていた。

ローレル(C33型)「Club-S」

この「DUET-SS」は、電子制御パワーステアリングと電子制御スーパーソニックサスペンションを組み合わせたもの。スーパーソニックサスペンションは、超音波センサーをはじめとしたセンシング機能で、路面状況を把握し、ダンパーの減衰力調整を行うもので、ステアリングとダンパーを調整できるハイテクなシステムであった。

モードは、軽やかなステアリングとソフトな乗り心地の「コンフォート」と重めのステアリングと硬めの乗り心地となる「スポーツ」が用意されていた。こちらは最上級モデルでもあるため、発売当初は、最も高性能なターボエンジンのRB20DETと電子制御ATの組み合わせのみとなっていた。

ローレル(C33型)「Club-S」のインストゥルメントパネル
ローレル(C33型)「Club-S」のフロントシート

思い出はシングルカムの響きとカーペンターズのメロディ

このローレルこそが、我が家の最初の愛車だ。当時の私は、まだ小学生。ただコミックよりも自動車雑誌を読みたがるクルマ馬鹿に育っており、しかも大の日産党。恐らく、西部警察などの再放送に影響されたのだろうか、特にスカイラインが大好きだった。

一方、購入者である父は、クルマ好きではなかったものの、大のメカ好き。手元に残る当時のカタログを読み返してみると、父が残したメモ書きがあり、真剣に検討していたことが伺える。
どうも、父はマークⅡが本命だったようだが、最終的には、ローレルに決定。その決断に、私と母がローレル派だったことが影響したかを、亡き父に尋ねることは出来ない。ただ我が家初の愛車となったホワイトパールの「メダリスト」を、週末に洗車とWAX掛けをしていた姿は覚えている。

ローレル(C33型)に搭載されたエンジンは2.0L直6のRB型を基本に、DOHCインタークーラーターボのRB20DET、DOHC自然吸気のRB20DE、そのシングルカムモデルのRB20Eがあった。さらに廉価グレードには1.8L直4のCA18を設定。2.8L直6ディーゼルのRD28まで用意された。
※写真は1984年のローレル(C32型)に搭載されたRB20E。

シングルカムのRB20Eを搭載したふつうのローレルだが、直6らしくエンジンフィールとサウンドは良かったように思う。そして、オプションだったSONY製のCDプレーヤーが装着されており、車内で最初に楽しんだCDは、父が買ってきたカーペンターズのアルバムだった。だから、今もカーペンターズを聴くと、ローレルのことを思い出す。
買い物や家族旅行と大活躍し、運転していた母が道に迷うと道路地図とにらめっこし、地図の見方も覚えたっけ。そして、18歳となり、運転免許を取得した私が、初めてステアリングを握ったクルマでもあった。
10数年間、我が家の愛車を務めた後、今は飲み友となったバイト先の社員さんの愛車となり、その後、天寿を全うした。

不思議なもので、手元に合ったあの頃よりも、今の方がC33ローレルへの思い入れは強い。先日、発売されたトミーテックの「トミカリミテッドヴィンテージNEO」のC33ローレルの「クラブS」と「クラブL」を即買いしてしまったほどだ。ドリ車ブームも有り、意外と中古が高いこと、内装が痛みやすいことを鑑みれば、再び手に入れることはないだろう。ただ綺麗な固体を見る度に、もっと大事にしてあげればとか、自分が乗り継げば良かったなどのセンチメンタルな気分になってしまうのも本心だ。
今や、絶滅危惧種となっているが、個人的には、歴代モデルで最もお洒落で輝いて見えたのが、C33型ローレルだと思う。

ローレル(C33型)「Club-S」

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著者プロフィール

大音安弘 近影

大音安弘

1980年生まれ、埼玉県出身。幼き頃からのクルマ好きが高じて、エンジニアから自動車雑誌編集者へ。その後…