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クリント・イーストウッド監督・主演の名作
『グラン・トリノ』をキミは見たか?
日常生活に切っても切れないクルマは、映画においてもシーンを盛り上げるのに欠かせない重要な存在となる。クルマは単なる小道具ではない。クルマの持つ個性を登場人物に重ね合わせることで、その人物の性格や立場、生い立ち、思想信条、趣味趣向を視覚的に表現する重要なキャラクターとなるのだ。それ故に名作と呼ばれる映画ほど車種選びに抜かりがなく、テーマやストーリーに沿った「これぞ」という1台が選ばれることになる。
そのようにクルマを効果的に使用した名作の中でも、2009年に日本で公開されたクリント・イーストウッド監督・主演の『グラン・トリノ』は、およそベストと言っても差し支えない素晴らしい映画であった。
・STORY 50年間務めたフォードの工場を引退し、妻にも先立たれた隠居老人のウォルト・コワルスキー。彼は朝鮮戦争での辛い記憶から逃れられず、古くからの友人と愛犬以外にはなかなか心を開かなかった。そんな彼の唯一の宝物が自身が製造に携わった1972年型フォード・グラントリノだった。自動車産業の衰退に伴い、自宅のあるデトロイト郊外の住宅街からは白人住民の姿が消え、代わりに黒人やアジア系が増えて行くが、彼はそのことを快く思ってはいなかった。そんなある日、自宅の庭でモン族の少年タオをギャングから助けたことをきっかけに彼の家族と交流するようになり、ウォルトは徐々に心を開いて行くのだが……。
この映画のテーマは「古き良きアメリカの終焉と再生」だ。映画を単なる「昔は良かった」という回顧趣味で終わらせることなく、往時の豊かで強いアメリカの裏側にあった闇の部分……朝鮮戦争やベトナム戦争、そして現代アメリカに横たわる移民問題や人種問題、家族との断絶などにもメスを入れている。
主人公は人種的な言動を繰り返す頑固者として描かれているが、それは朝鮮戦争で投降してきた少年兵を射殺したという苦い記憶の裏返しであったし、彼が白人男性のステロタイプであるマッチョイズムを体現するかのような生き方た課したのも過去の自分と向き合えない弱さを隠すための方便であった。だが、そのせいで息子ふたりとは距離ができてしまい、血を分けた肉親からは疎んじられる存在となっている。
そして、隣家に引っ越してきたモン族のタオ一家。彼らモン族はベトナムやラオス、中国南西部に住む少数民族であったが、ベトナムやラオスでは文化や民族の違いによって迫害を受けていたこともあり、ベトナム戦争中はアメリカに協力し、CIAの特殊部隊や米陸軍特殊部隊グリーンベレーの現地雇用兵として参戦した。だが、アメリカが敗北すると現地に取り残された彼らは共産政権からのますますの圧政に耐えきれなくなって国を捨てて難民となった。過去の経緯からアメリカ政府は彼らを受け入れたものの、人種差別が根強く残るアメリカ社会になかなか溶け込めず、タオのように職にもつけずに底辺の生活に身を置くか、あるいはフォン(スパイダー)のようにギャングを組織して犯罪に奔るしか彼らには選択肢がなかったのだ。アメリカの負の歴史の犠牲者でもある彼らだが、アジア系すべてに人種的な偏見を持つウォルトは、物語の序盤、彼らに対して差別的な言動を隠そうともしなかった。
ウォルトとタオ。普通に考えれば交わることなど考えられないこのふたりを結びつけたのが、フォンに強要されてタオが盗もうとして失敗した1972年型フォード・グラントリノ・スポーツだった。
ハリウッド流車種選びの妙……1972年型フォード・グラントリノ・スポーツは
主人公・ウォルトの人生を映し出す鏡
映画のタイトルにもなっているグラントリノだが、じつは映画公開前までは熱心なマッスルカーファン以外からは半ば忘れられた存在であった。人気で言えば同じフォードのマスタングが圧倒していたし、シボレー・カマロやポンティアック・ファイアーバード、ダッジ・チャレンジャーやプリマス・バラクーダなどと比べてもいささか影が薄い。それというのもグラントリノが純粋なスポーツモデルとして製作されたクルマではなかったからだ。
小さく軽いボディにハイパワーなエンジン。走りやパフォーマンスを重視するなら洋の東西を問わずこれが鉄則となる。ところが、先ほど挙げたクルマがコンパクト(日本の感覚で言えばそれでも充分大きいが……)なポニーカーであるのに対し、グラントリノはシリーズに4ドアHTやステーションワゴン、クーペユーテリティ(姉妹車のランチェロ)を持つインターミディーエイト(中型大衆車)の1つのバリエーションに過ぎなかった。
日本車に例えるなら、同じメカニズムを搭載しながらもスポーツセダンに仕立てたスカイラインに対するハイオーナーカーのローレルの関係と言ったところか。エンジンはマスタングと共通のものが用意されていたが、熱い走りを求める当時の走り屋たちは大きく重いグラントリノを積極的に選ぶことはなかっただろう。
しかし、ウォルトの愛車としてこれ以上ピッタリと当て嵌まるクルマはない。マスタングやカマロでは若者向けのクルマということで存在感が軽すぎるし、豪華なラグジュアリークーペであるフォード・サンダーバードやマーキュリー・クーガーでは華がありすぎる。ポンティアックGTOやダッジ・ダートもウォルトのイメージからはほど遠い。その点で言えばグラントリノのチョイスは完璧だ。大衆車として普及した車種のクーペ版でありながら、心臓部にはオプションとして用意された400hpを叩き出す429cu-in(約7030cc)コブラジェットを搭載するところが、今なおアメリカの伝統的な価値観を捨てきれずにいるウォルトという男の性格を物語っているではないか。
そして、この1972年型グラントリノはマッスルカーの終焉とともに、自動車に象徴されるアメリカの黄金期、古き良きアメリカの終わりを象徴するクルマでもある。
マッスルカーとは、比較的安価な中・小型車をベースに大排気量のV8エンジンを与えたハイパフォーマンスカーのことで、1964年のポンティアックGTOの登場によって花開いジャンルのクルマである。1960年代中頃から1970年代初頭にかけてブームとなったマッスルカーは、当時の若者を夢中にさせ、好調な売り上げからビッグ3を大いに潤した。
しかし、この種のクルマを好む若者の交通事故が一気に増加し、高性能市販車の存在に対する是非が社会問題化することになった。これにより1972年から安全性向上のため、大きく重い5マイルバンパーの装着が義務化されることになるのである。さらにマッスルカーの逆風となったのが、クルマの増加に伴う排気ガスによる大気汚染の深刻化だ。1970年には有害な排気ガスの排出を規制する「マスキー法」が議会を通過したことにより、ビッグ3はマッスルカーにオプションとして用意された7.0L級のハイパワーユニットをラインナップから消し、標準エンジンである5.0~ 6.0Lエンジンも圧縮比を落として最高出力を絞った。
前後のオーバーハングに重量物をぶら下げ、パワーダウンして魅力を失ったマッスルカーのトドメを指したのが、1973年秋からの第一次石油危機だった。これにより消費者のマインドは一気に経済志向になり、ガスガズラー(ガソリンがぶ飲み車)のマッスルカーは死命を制されることになったのである。
映画に登場するグラントリノは、初代トリノから数えると3代目にあたるモデルで、1972~1976年にかけて生産された。しかし、その頂点は規制前の1972年モデル(1971年秋に発表)で、1973年モデルでフェイスリフトを敢行してフロントに5マイルバンパーを装着(リアバンパーへの装着は1974年から)し、オプションのシリーズ最強の429cu-inコブラジェットもラインナップから落とされた。スタイリングも楕円形のグリルを持つ特徴的なフロントマスクはのっぺりとした平凡なものに置き換えられて精悍さを失い、どこにでもある平凡な大衆車に堕してしまう。
すなわち、1972年型グラントリノはアメリカの自動車産業最後の輝き、古き良き時代の象徴なのだ。監督のクリント・イーストウッドなのか、脚本家のニック・シェンクなのかはわからないが、こうしたことを考慮して車種選びを行ったのだろう。ハリウッド映画人のクルマに対するリテラシーの高さには感服させられる思いだ。
面白いのは、映画の中で主役であるウォルトがグラントリノのステアリングを握るシーンがまったくないことだ。というよりも劇中での走行シーンは2回だけ。ギャングのもとに丸腰でカチコミをかけたウォルトを追ってタオとスーが借用したのと、ラストシーンでタオが湖畔をドライブするシーンのみで、劇中でウォルトは1967~1972年にかけて生産された5代目フォードF-100ピックトラック以外に運転はしない(これはこれでアメリカを象徴するクルマではあるが)。彼とグラントリノとの関わりと言えば、ガレージから出してきれいに洗車し、自宅のポーチから愛車の姿を眺めながらビールを飲むだけなのだ。
この演出からは古き良きアメリカ文化を作り上げたものの姿と彼らの時代の終わり、そしてアメリカの良き伝統を継ぐのは人種を問わず、先人たちに敬意を払い、アメリカの歴史と文化を継承しようとする意志を持つ者に限られる、とする映画製作陣からの観客に対するメッセージなのだろう。
銀幕の中から飛び出したかのような美しいグラン・トリノは
極めて希少なコブラジェットエンジン搭載の正規輸入車!?
そんな1972年型グラントリノ・スポーツと『SPRING Party!』の会場で出会った。ボディカラーは映画と同じグリーンメタリック。しかも、開いたカウルの下には429cu-inV8コブラジェットが鎮座しているではないか。コンディションは抜群で、まるで新車のような輝きを放っている。何から何までウォルトの愛車そのままで、銀幕からウォルトの愛車が抜け出してきたような錯覚を感じる。
オーナーに話を聞くと、このクルマは正規輸入車で、新車時からずっと日本に留まり続けるサバイバーだという。その証としてエンジンルーム内にはニューエンパイヤモーター株式会社のプレートがあった。
1972年当時グラントリノの日本国内新車価格は440万円。マスタングよりも80万円ほど高く、現在の貨幣価値に換算すると1200万円ほどになる。429cu-inV8コブラジェットのオプション価格は分からないが、相当に高価だったはずで、同時期に正規輸入されたマスタングMach1のコブラジェットエンジン搭載車はわずか6台だった。そのことを考えれば、このエンジンを搭載したグラントリノの正規ディーラー車の数は、どう考えてもマスタングよりも少なかったはずだ。そんな希少車がこんなにも素晴らしい状態で現在まで残っていたこと自体がまさに奇跡のように感じられる。
現在のオーナーがこのクルマを手に入れたときは、ボディカラーはブラックにペイントされていたが、車体番号を基にアメリカ本国に照会したところ、工場出荷時は映画と同じグリーンメタリックだったことが明らかになった。そこで元の色にリペイントし、痛んだ部分を徹底的に手を入れて現在の状態に仕上げたという。ほぼオリジナルの状態にあるというグラントリノだが、内装だけは工場出荷時のブラックから映画と同じグリーンのビニールレザーに張り替えたという。
オーナーは「不人気車ゆえに価値などありません」と謙遜していたが、希少なコブラジェットの心臓を持つ正規輸入の1972年型グラントリノであることに加えて、クリント・イーストウッド監督・主演の名作に登場する劇用車と同じ仕様であることを考えれば、その価値はまさしくプライスレスだ。映画の主人公・ウォルトにも負けないオーナーの情熱により、おそらくは今後もミントコンディションの状態を保ち続けるに違いない。