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日本初の東京自動車ショウが日比谷公園で開催
1954(昭和29)年4月20日、東京・日比谷公園内で東京モーターショーの前身となる第1回「東京自動車ショウ」が開幕。商用車の展示が中心だったが、憧れのクルマを目のあたりにする初めての機会に、10日間の入場者数は延べ54万7000人と大成功のうちに幕を閉じた。
世界初のモーターショーは東京自動車ショウの54年も前に開催
世界初のモーターショーは、なんと! 東京自動車ショウの54年も前、1900(明治33)年11月に米国で開催された「ニューヨーク国際オートショー」で、フォード創立1903年、GM創立1908年より前のことだった。展示内容について具体的な情報は残念ながらないが、おそらく町工場のようなところで製造された手作りレベルのクルマの展示であったことが予想される。
その後、自動車の発展とともにモーターショーは世界的な一大イベントとなり、東京、フランクフルト、ジュネーブ、パリ、そしてデトロイトのモーターショーが世界の5大モーターショーになった。
米国を代表するモーターショーが、最も歴史の古いニューヨーク国際オートショーではなくデトロイトモーターショーが選ばれたのは、自動車の本場デトロイト周辺に本社を置くビッグスリー(GM/フォード/クライスラー)の後押しがあったという経緯があるようだ。
第1回東京自動車ショウは、商用車が中心の展示
当時の日本は、クルマは庶民にとっては手の届かない高嶺の花。クルマ自体も海外車両のノックダウン生産が主流で、純国産乗用車はまだ登場していなかった。そのため、当時の主力であったトラックやバスの展示が中心で、267台のうち9割以上は商用車で、乗用車はわずか17台だった。
しかし、憧れのクルマを目のあたりにする初めての機会に多くの来場者が詰めかけ、10日間の入場者数は延べ54万7000人と大成功で幕を閉じた。
トヨタからは、当時乗用車の大半を占めていたタクシー用の「トヨペットRH型セダン」と「トヨペットトラック&バス」が展示された。
そして、翌1955年の第2回開催時には、純国産車の「トヨペットクラウン」、日産自動車「ダットサン110型」が華々しくデビューし、その後の5年間でスズキ「スズライト」や「スバル360」、「三菱500」、マツダ「R360クーペ」など続々と日本メーカーから新型車が登場し、日本のモータリゼーションに火が付いたのだ。
東京モーターショーは、リニューアルし「ジャパンモビリティショー」へ
成熟期を迎えた自動車とともに隆盛を極めたモーターショーは、世界的に見ても2000年を迎える頃には盛り上がりに欠けるようになった。特に東京モーターショーは1991年以降、観客数が右肩下がりになっている。会場に出向かなくてもネットなどで十分な情報が得られることもあるが、何よりもこの20年ぐらいの間にクルマ自体が憧れの存在でなくなったことが低迷の主因と思われる。
そのような厳しい状況の中で開催された2023年の東京モーターショーは名称もリニューアル、「ジャパンモビリティショー2023」とし、従来の春開催から10月26日~11月5日の開催となった。近年の多様化するモビリティに対応した形で自動車業界を超え、他分野の企業も積極的に参加。参加企業は400社を超え、来場者数は目標の100万人を超えた111万2000人と大きな盛り上がりを見せて幕を閉じた。
1955年頃に日本の高度成長が始まり、日本全体が豊かになり始めた時期に開催された東京自動車ショウ。当時は高嶺の花だった自動車が、1960年代に急成長した日本経済とともに、一般庶民でも購入できるようになり、1960年代半ばにはマイカー時代が到来した。東京自動車ショウは、自動車普及の呼び水のような働きをしたのではないだろうか。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。