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豊富なバリエーションによって大衆車としての地位を確立
1974年(昭和49)年4月26日、トヨタの3代目「カローラ」がデビューした。3代目カローラは、ボディをひと回り大きくし、快適性と安全性を追求した“大衆車の決定版”というコピーで登場。ユーザーの多様性に応えて豊富なバリエーションを設定し大ヒットした。
サニーに対抗し、排気量を100ccアップして登場した初代カローラ(E10系)
1966年11月、日産自動車の「サニー」から遅れること7ヵ月、トヨタの「カローラ」の発売が始まった。1961年にデビューした小型大衆車「パブリカ」よりもワンランク上の大衆車として、ユーザーの上級志向に応えるのがカローラの使命だった。
サニーに負けられないトヨタは、“プラス100ccの余裕”というキャッチコピーで、サニーより100cc排気量が大きい、最高出力60psを発揮する1.1L直4 SOHC(その後1.2Lを追加)エンジンを搭載。スタイリングは、当時最先端のセミファストバックが採用された。
サニーより遅れてデビューしたカローラだが、発売から3年半で100万台を超え、当時のミリオンセラー最短記録を達成し、販売台数でサニーを上回り大衆車トップの座を獲得。その後もカローラとサニーは長くライバル関係が続き、“C(カローラ)S(サニー)戦争”と呼ばれた熾烈な販売競争をしながら、日本のモータリゼーションをけん引するという重要な役割を果たしたのだ。
ボディを拡大し居住性を高めた2代目カローラ(E20系)
初のモデルチェンジとなった2代目カローラは、ライバルのサニーのモデルチェンジ直後の1970年にデビューした。
最大の特徴は、ホイールベースを50mm伸ばしてボディを拡大、車室内空間を広げてファミリーカーとして快適性を向上させたこと。ボディタイプは、セダンにクーペ、ライトバンが用意され、エンジンはボディサイズの拡大に合わせ、1.2L直4 SOHCに1.4Lエンジンが追加された。
この2代目を機に、初代カローラのスポーティモデルだった「カローラスプリンター」が、カローラから独立して兄弟車「スプリンター」となった。また1972年3月には、クーペボディにパワフルな1.6L DOHCエンジンを搭載したTE27「カローラレビン/スプリンタートレノ」が追加され、ここにレビン/トレノの歴史が始まった。
様々なニーズに応えた豊富なバリエーションの3代目カローラ(E30系)
3代目カローラは、衝突安全性能を確保するためにさらにボディを大きくし、上級車並みの快適性と安全性を追求した“大衆車の決定版”というコピーで登場。ただし、1973年の第一次オイルショックと、厳しさを増した排ガス規制のダブルパンチに対応しなければいけなかった。
ボディバリエーションは、発売当初の2/4ドアセダン、ハードトップ、バンに、3ドアリフトバックと2ドアファストバッククーペを追加。パワートレインも、1.2L/1.4L/1.6L SOHCエンジンに、トランスミッションは4速/5速MTと2速/3速ATの組み合わせと多彩だった。
また大衆モデルだけでなく、ハードトップのトップグレード1600GSLには当時としてはトップクラスの最高出力100psのエンジンを搭載しパワフルな走りも披露した。
車両価格は、安価な1200スタンダードが58.1万円、1600GSLが86.1万円と、手頃な価格設定のお得感も人気の要因となった。ちなみに、当時の大卒初任給は7.4万円程度(現在は23万円)なので、単純計算では安価なモデルで約180万円に相当する。
3代目カローラは、多彩なボディスタイルやパワートレインを用意し、ユーザーの多様性に対応し、大成功を収めた。コスト重視で共通化が求められる現在では、ちょっと考えられないバリエーションの多さだが、このあたりもユーザー志向に徹底しているカローラの強さの一因である。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。