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クライスラーが連邦破産法の会社更生手続きを申請
2008年(平成20)年の4月30日、米国ビッグスリーの一角を占めるクライスラーが米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)に基づく会社更生手続きの適用を申請、実質的に経営破綻した。また、1ヵ月後の6月1日にはGMも同破産法の申請を行い、経営破綻した。
ウォルター・クライスラー氏が立ち上げたクライスラー社
米国ビッグスリーの一角であるクライスラーの創業者ウォルター・クライスラー氏は、1875年4月2日に米国カンザス州ウェイミーゴウの鉄道技師の家庭に生まれた。
学校を卒業後、父親の勤めていた工場の整備工見習いとして就職。優秀な技術者であったクライスラー氏は、鉄道会社を転々としてステップアップしながら、最後はシカゴの鉄道会社にスカウトされ、1909年34歳の若さで機関車部門の最高責任者に大抜擢された。
ちょうどその頃、モーターショーを訪れたクライスラー氏は自動車に魅了され、すぐに借金してクルマを購入。しかし、クルマに乗るのではなく、クルマを徹底的に分解し構造を猛勉強。その後、彼の優秀さを聞きつけたGMの社長からスカウトされることに。
1911年、GMビュイックの生産工場の工場長に抜擢され、すぐにその才能を発揮し生産の効率化に成功。1916年には、ビュイックの社長に上り詰めるも、社長と意見が合わず、1920年45歳の時にGMを退社した。
ビッグスリーの一角に成長するも、環境対応技術で遅れて経営悪化
GMを退社したクライスラー氏は、その後破産寸前のマックスウェル自動車を再建させ、1925年にクライスラー社を創立した。
経営者ながら優れた技術者でもあったクライスラー氏は、ビッグスリーの中でも特に最新の技術にこだわった。世界で初めてエアロダイナミクスを取り入れた流線形デザインの「エアフロー(1934年~)」、戦時中の「ジープ(1941年~)」、V8エンジンを搭載した「ファイアパワー(1951年~)」、2ドアクーペ「コルドバ(1975年~)」などのヒットモデルを投入し、フォード、GMとともに米国ビッグスリーと呼ばれるまで成長した。
しかし、1970年代後半には排ガス規制や低燃費技術の遅れから経営危機に陥り、米政府の支援を受けることに。世界初のミニバン「プリムス・ボイジャー(1983年~)」などのヒットで一旦再生したが、90年代に再び経営が悪化し、1998年にダイムラー社と合併、ダイムラー・クライスラー社になった。
その後ついにリーマンショックの煽りで経営破綻
ダイムラーとの合併後も、クライスラーの北米での不振は解消できず、ダイムラーとのコラボ効果が出せないまま2007年に合併を解消。米投資ファンドのサーベランス・キャピタルマネジメントが株式の8割を買収することで継続するが、2008年のリーマンショックの追い打ちでついに経営破綻に陥ったのだ。
その後、2014年にフィアットの傘下に収まり、経営統合しFCA(フィアット・クライスラー・オートモービルズ)となり、2021年にFCAはPSAと合併しステランティスとなり、その中でクライスラーは再建を進めている。
また、クライスラーの経営破綻の1ヵ月後の6月1日にはGMも同破産法の申請を行い、経営破綻した。GMは経営破綻の末、一時的に国有化されたが、2013年に国有化を解消。その後も不安定な状態が続いたが、近年の米国市場の好況とメアリー・バーラCEOの「選択と集中」路線が奏功し、2019年には黒字を達成。再生の道筋が見えてきたようだ。
米国ビッグスリーは、1970年代のオイルショックや排ガス規制から始まった世界的な激変の中でも、伝統的な大型車の製造に傾注し、燃費の良い小型車や高性能車の開発を怠ってきた。このツケが回ってきて、クライスラーとGMは経営破綻に追い込まれたのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。