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■ロータリー車の性能と信頼性の高さをル・マン24時間レースで実証
1991(平成3)年6月23日、マツダのロータリーエンジン(R26B型)搭載マシン「787B」が、世界最高峰の耐久レース“ル・マン24時間レース”で、日本車初の総合優勝を達成。これにより、マツダの開発したロータリーエンジンの性能と信頼性の高さを世界にアピールしたのだ。
●国内レースを席巻したロータリー搭載車
量産初のロータリーエンジン搭載車は、マツダが1967年に発売した「コスモスポーツ」である。流線形の美しいフォルムと、最高出力110psの2ローター(491cc×2)12A型エンジンにより、最高速度185km/h、ゼロヨン16.3秒という圧巻の走りを披露した。
マツダは、コスモスポーツに続いてロータリー車のモデル展開を進め、「ファミリア(1968年~)」を大衆車市場、「ルーチェ(1969年~)」を高級車市場、「カペラ(1970年~)」を中級車市場、そして「サバンナ(1971年~)をスポーツ車市場に投入した。
一方で、国内外のレースに積極的に参戦。なかでも走りの広告塔となったのは、「サバンナGT」で、最高出力120psの2ローター(573cc×2)12A型エンジンは、最高速度190km/h、ゼロヨン15.6秒と圧巻の走りを発揮した。
サバンナの名を日本中に知らしめたのは、1971年の富士500マイルレースで常勝「スカイラインGT-R」の50連勝を阻止したことに始まる。その後も連勝を重ね1976年のJAFグランプリの優勝で、国内レース通算100勝という金字塔を打ち立てたのだ。
そして、次なる目標としてマツダが掲げたのが、国際舞台、ル・マン24時間レースの制覇だった。
●ル・マンの高い壁に何度も跳ね返されるも改良を継続
世界最高峰の耐久レースであるル・マン24時間レースが始まったのは、今からちょうど101年前の1923年。フランスの北西部に位置するル・マン市のサーキットで始まった。1周約13kmのコースを24時間でどれだけ多く走れるかを競うレースだ。
マツダのル・マンへの初挑戦は、1970年のシェブロンB16にロータリーエンジン10A型を搭載したマシンだったが、あえなく4時間でリタイヤ。1973年には、“ミスタール・マン”と呼ばれ、その後のマツダのル・マン挑戦に多大な貢献をした寺田陽次郎氏が初参戦した。
その後も参戦を続け多くのリタイアを経験しながらも、初めて完走できたのは1980年の「サバンナRX-7」だった。マシンの改良を加えて予選突破の実力をつけ、1984年には参戦4台すべてが完走し、最高位10位を果たし、この頃からマツダのロータリーマシンが世界中から注目されるようになった。
●ついにロータリーマシン「787B」が日本史上初の総合優勝
1990年に、マツダは1ローターあたり3つの点火プラグ配置し、さらに可変吸気機構を組み合わせた最高出力700psを発揮する最強の4ローター(654cc×4)R26B型エンジンを開発。このエンジンを搭載したマシン「787」で参戦したが、点火系や燃料系のトラブルで2台がリタイア、1台はクラス優勝を飾った。
一方、FISA・SWC(世界スポーツカー選手権)参加車両規格の突然の改定により、1992年以降は3.5L NAレシプロエンジン以外での参戦が不可となったため、1991年がロータリーマシンで参戦できる最後の年となった。
そして翌1991年6月22日、「787」のコーナリング性能を改良した3台のロータリーマシン「787B」がロータリーマシンとして最後のスタートを切った。「787B」は、レース開始からメルセデス、ジャガー、プジョー、ポルシェなどの強豪車と激しいトップ争いを繰り広げ、前年覇者のメルセデスを抜き去り、スタートから24時間後の6月23日午後4時、ついに栄光のチェッカーフラッグを受け、日本車史上初の総合優勝という金字塔を打ち立てたのだ。
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かつては、“レースで負けることは技術で負けること”と考えられ、メーカーはレースに勝つことが至上命令だった。この優勝は、現在も変わらないロータリーエンジンに対するマツダの熱い想いが成し遂げた偉業と言える。
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