メルセデス・ベンツSLKとミッレミリアの300SLRの思い出

メルセデス・ベンツSLK230コンプレッサーのオープン時のリヤビュー。
兄の愛車として長年走り続けてくれたメルセデス・ベンツSLK230コンプレッサー。ついに、兄の(そして私の)許から去る日がやってきてしまった。SLK230を見るとミッレミリアを走る300SLRを思い出す。今日はミッレミリアとSLK230について語ろう。
PHOTO & TEXT:伊倉道男(IKURA Michio)

ミッレミリア、メルセデス・ベンツ300SLRの想い出

長年、兄の愛車(中古車を購入)として、走り回ってきたメルセデス・ベンツSLK230コンプレッサー(以下SLK230)。いつも私の側にあったクルマだが、ついにお別れの時がやって来た。兄の次の愛車は“終のクルマ(本人曰く)”。一年ほど前にオーダーしたポルシェ・ボクスターが納車される。とはいえ、SLK230は車検が残っている状態だ。東京とはいえ、郊外に住んでいるので保管場所はある。が、さすがに金額が上がった自動車税(新規登録から13年以上経っているので)、手放すこととなった。

それでは最後にと、弟の私が借り出して、ラストランと撮影を楽しませてもらった。

イタリア、トスカーナを駆け抜けるメルセデス・ベンツ300SLR。ドライバーはスターリング・モス。右は1995年、ミッレミリアの参加者、参加車両の案内。メルセデス・ベンツ300SLRは300台目のスタート。

SLK230のデザインには、思い入れがある。

初めて見たのは多分、雑誌向けの試乗会だ。SLK230はメルセデス・ベンツ300SLR(以下300SLR)をモチーフとしてデザインされている。そう感じながら撮影した。もちろん、私はカーデザインのプロではないし、評論家でもんない。当然、反論もあるだろう。それでも私は、SLK230を見るたびに、1995年の初夏、イタリア、トスカーナを走り抜けて行く300SLRを思い出すのだ。

ご存知の方も多いと思うが、ミッレミリアは、イタリアのブレシアをスタートとし、ローマで反転、合計約1600kmを走り抜ける公道レースだ。現在は、レースではなくクラシックカーの祭典というカタチをとるが、日数と距離は変わりない。当然ながら、当時のスピードを出さなければ、計算が合わない。

私自身は、もう30年も前のことだが、1994年と1995年にミッレミリアに取材に出掛けた。この目で300SLRが見たかったのだ。1994年は残念ながら300SLRの参加はなしだった。

翌年、1995年の案内状が私のもとへ届いた。すると300台目に「Moss-Taylor GRAN BRETAGNA MERCEDES 300SLR 1955」と記載されていた。夢にも出て来たトスカーナの丘陵地帯を駆け抜けるメルセデス・ベンツ300SLR。それもスターリング・モスのドライブである。撮影に出掛けなくてはならないではないか。

1995年5月。イタリア、ブレシアをスタートしたミッレミリア。参加車両は最初の宿泊地フェラーラへと向かう。翌朝はフェラーラからローマへ。そして最終日。ローマからスタート地点へと一気に走り切る。毎年、立ち寄る街は少しずつ変えられていく。美しい街、そして広々とうねる高原地帯。そして峠。

ブレシアのスタートを撮影して、最初の宿泊地フェラーラへ向かう。その日は車中泊となる。ここで一行と別れて、シエナへ向かう。一行の次の宿泊地はローマなのであるが、この、スケジュールはかなりハード。その上にローマのスタートを撮影していると、トスカーナの走りの撮影はできなくなってしまう。けっしてさぼろうとしたわけではない。

メルセデス・ベンツSLK230コンプレッサーとメルセデス・ベンツ300SLRのミニチュア、豪華なミッレミリア1995の車両リストの表紙はメルセデス・ベンツ300SLR。

シエナから南下して、トスカーナの丘陵地帯でメルセデス・ベンツ300SLRを待つ。サーキットではなく、公道である。ラリーと同じで撮影のチャンスは一度きり。また、計算が合わないとすでに通過してしまっていることもある。不安の中、多数のサポートカーを引き連れて、メルセデス・ベンツ300SLRが現れた。僕は撮影車の窓を開けカメラを構える。この位置、と言うところで手を挙げると、スターリング・モスはその位置でぴたりとメルセデス・ベンツ300SLRを走らせてくれる。だが時間を取ってはいけない。ほぼ3秒ほど頂いて親指を立てると、胸が熱くなる排気音で、一気に加速し、走り去っていった。

メルセデス・ベンツSLK230コンプレッサー

さて、メルセデス・ベンツSLK230コンプレッサーの話に、なぜメルセデス・ベンツ300SLRの話から始まるのか? それは、メルセデス・ベンツSLK230コンプレッサーがメルセデス・ベンツ300SLRをモチーフとしてデザインされていると感じているからである。「そんなはずはない」と思う人もいるかもしれない。と異論を唱える人のほうが多いのかと思う。ではこのボンネットの膨らみ形状を見てほしい。そして独立したロールケージの形状も見てほしい。

メルセデス・ベンツSLK230コンプレッサーはどんなクルマだったのか? メルセデス・ベンツSLK230コンプレッサーが発売された当時、雑誌の取材で撮影はしている。その時に感じたことを今はどう思うのか。

メルセデス・ベンツ300SLRのボンネットの膨らみがモチーフと思われる。搭載するエンジンは、 2.4L直列4気筒DOHCスーパーチャージャー。

コンセプト。どのようなユーザーをターゲットとしていたのであろうか。もちろん想像ではあるが、今まではセダンのメルセデス・ベンツを所有。家族が独立して夫婦ふたりとなる。そのような第二の人生のスタート。彼らへオープンエアな世界を!だったのではないかとも思う。憧れのSLでは高すぎる。近所の目もあるのかもしれない。あまり目立たず、小回りが利き扱いやすい(SLも小回りは利く。そこはもちろんメルセデス)。スポーツカーが欲しいわけではない。セダンからの乗り換えでも違和感のないハンドリング。それでいて、もちろん、パワーも欲しい。実際にはフルスロットルでゼロスタート。わずかだがタイヤを鳴かせることはできる。スポーツカーという分野に属さない。目的はドライバーもナビシートも気持ち良く走れるオープンクルージング。クーペからオープンへ。オープンからクーペへ。そんな分野のクルマであったのかもしれない。

左右独立したロールバー。こちらもメルセデス・ベンツ300SLRの断面に似ていると思う。
トランクに納まっていくルーフ。電動。
ルーフはトランク上部に収納される。

ルーフは電動。今でもスムーズに動いている。収納先はトランク上部。オープンにした場合でも、1泊2日程度の荷物ならルーフ下にトランクスペースが確保されている。

収納されたルーフ部分とトランクスペースの間には、手動のトノカバーのような物があり、これを定位置にしておかないと、ルーフは動かない。安全面の確保もできている。

多くのメルセデス・ベンツにあった左右非対称のミラー。このモデルには採用されていない。左右同じサイズである。

エクステリアの細部を見ていこう。まずはドアミラー。メルセデス・ベンツの多くにあった左右非対称のミラーは採用されていない。左右同じサイズである。次にドア、こちらは乗りやすいように、ボディに対して約90度と思われるほど大きく開く。だだし、なぜかサイドウインドウはドアに完全に収納がされない。ほんの少しだけ残ってしまうのだ。ドアの操作性、ドアハンドルは握りやすく、身体をサポートする形状で理想と思われる位置にある。パワーウインドウのスイッチはドアではなく、センターコンソールとなっている。

ドアはボディに対して約90度!と思わせるほど大きく開く。
ドアハンドルは握りやすく、身体をサポートする形状で理想と思われる位置にある。
落ち着くオーソドックスなコックピット。
シンプルなメーター周り。当時はホワイトメーターと呼んだ気がする。

インテリア、操作性は伝統的なメルセデス・ベンツ。前車がメルセデス・ベンツなら、ほぼ同じ位置にスイッチ類があるので迷うことはないだろう。また、カーボン調のインテリア。これはこの時代の先端なのかもしれない。その他、メルセデス・ベンツらしいと思われる、インテリアの写真も上げておきます。エンジンルーム、コンプレッサー、清掃が行き届いていなくてすみません。そしてエンブレムの写真も。

純正のオーディオ周り。カセットテープだ。
今でもこの仕切られたシフトゲートが私には馴染む。
エンジンカバーもこの時代からか。次第に大きくなり、ほとんどをカバーするようになる。
ルーフを閉めた状態の後ろ姿。
グッドラック、SLK230。

一日、ゆっくりとメルセデス・ベンツSLK230コンプレッサーと峠を走る。遊びの増えたステアリング。ラストランを終えて、静かに車庫に戻す。翌日はボクスターの納車日だ。ちょっと目立つボクスター、どんな喜びを運んで来てくれるのだろうか。

グッドラック、SLK230。

さて、ちょっと目立つこのクルマ、どんな喜びを運んできてくれるのか。

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著者プロフィール

伊倉 道男 近影

伊倉 道男

フォトグラファー。国学院大学法学部法律学科卒。アパレル会社にて総務人事、営業を経験。その後、但馬 治…