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■ハイテク満載の新世代Z-CAR登場
1989(平成元)年7月10日、日産自動車のフラッグシップスポーツ「フェアレディZ」の4代目(Z32型)が登場。バブル景気を背景に潤沢な開発資金のもとに誕生した、国内自主規制値の280psを発揮する高性能エンジンを搭載したハイテク満載の4代目は、圧倒的な走りを披露した。
●初代フェアレディZ(S30型):トヨタ2000GTの対抗馬として誕生
初代フェアレディZは、ロングノーズ/ショートデッキのスポーツカーらしい美しいフォルムで、トヨタ2000GTに対抗する低価格なスポーツカーとして1969年10月に誕生した。2.0L直6 SOHCおよびDOHCエンジンが用意され、トップグレード「フェアレディZ432」は最高出力160ps/最大トルク18.0kgmを発揮し、最高速210km/hのパワフルな走りが自慢だった。
スポーツカーらしいスマートなスタイリングとパワフルな走りによって日米で大ヒットし、日本を代表するスポーツカーの快進撃がここから始まった。
●2代目(S130型):快適性も磨いてGTカーに変貌
1978年に登場した2代目は、基本的にはキープコンセプトでメカニズムの多くを踏襲しながらも、内装や足回りなどを改良。よりダイナミックなフォルムに変貌し、2シーターに加えて2by2が設定され、エンジンは2.0L直6 SOHCに加え、北米仕様には2.8L直6 SOHCがラインナップされた。
1970年代後半は、排ガス規制が強化されて環境性能や快適さが求められため、2代目は速さを追求するスポーツカーでなく、快適性や豪華さを重視したスポーティなGTカーへと変貌したのだ。
●3代目(Z31型):高性能ターボを搭載して原点回帰
1983年に登場した3代目は、排ガス規制やオイルショックを乗り越え、高性能と高機能を追求。スタイリングは、パラレルライジング式リトラクタブルヘッドライトなど、空力を意識したフォルムを採用し、エンジンは当時国内最高の230psを発揮する3.0L V6 SOHCターボと2.0L V6 SOHCターボの2種。ちなみにV6エンジンのターボ搭載は日本初だった。
さらにTバールーフモデルやセラミックターボモデル、3.0L V6 DOHCターボモデルなどを追加して、本来のスポーツカーらしさが復活した。
●国産初の出力自主規制値280psの高性能エンジンを搭載した4代目(Z32型)
基本的には、キープコンセプトの2代目、3代目に続いて、1989年に4代目が登場。当時は、空前のバブル好景気、贅沢な開発資金を背景に日産は1990年代に技術で世界一になるという目標“901運動”を掲げ、その具現化モデルのひとつが4代目フェアレディZだった。
スタイリングは、先代より全幅を75mm広げ、全高は50mm下げて、新世代スポーツを象徴するようにワイド&ローを強調。サスペンションは、前後マルチリンク、トップグレードには位相反転制御付きのSUPER HICAS(前後輪操舵)を採用し圧巻の走りを実現した。
エンジンは、最高出力230ps/最大トルク27.8kgmを発揮する3.0L V6 DOHCエンジン(VG30DE型)と、これにインタークーラー付ツインターボを装備した280ps/39.6kgmエンジン(VG30DETT型)の2機種を搭載。VG30DETTが達成した最高出力280psは、国内の最高出力自主規制のキッカケとなった。
最高出力自主規制が始まった経緯は、1980年代に始まったクルマの高出力化と比例するように交通事故が多発し、社会問題になったことに起因する。これを受け、当時の運輸省(現、国交省)が出力の規制を自工会に申し入れ、自動車メーカー各社がこれに応じる形で始まったのだ。
車両価格は、230psの標準グレード330万円、280psのトップグレード395万円。ちなみに当時の大卒初任給は16.4万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では現在の価値で463万円と554万円に相当する。
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好調に滑り出した4代目フェアレディZも、バブル崩壊とともに右肩下がりになり、同時に日産自動車の業績も低迷した。そのためか、4代目はモデルチェンジを行うことなく2000年まで11年も生産が続けられた。その結果、皮肉なことに先進性や新鮮味が求められるスポーツカーとしては異例の長寿モデルとなったのだ。
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