軽初の本格ミッドシップオープン、ホンダ「ビート」のメカニズムは小さなスーパースポーツだった【歴史に残るクルマと技術059】

ホンダ・ビート
ホンダ・ビート
1980年代後半のバブル景気が作り出した軽自動車の高性能オープンスポーツがホンダの「ビート」である。軽自動車初のミッドシップ(MR)の2シーター・オープンスポーツは、ホンダ伝統の高回転型・高性能NAエンジンを搭載して軽快な走りと俊敏なハンドリング性能が自慢だった。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・ビートのすべて、カプチーノのすべて

スーパースポーツ「NSX」に続いた軽のスーパースポーツ

ホンダ・ビート
ホンダ・ビート

1980年代は、ウィリアムズ・ホンダがコンストラクターズチャンピオンを獲得し、マクラーレン・ホンダが連勝に連勝を重ねて圧倒的な強さを誇るなど、ホンダエンジンのF1黄金期だった。そのような中で、ホンダはF1躍進に相応しいホンダの頂点に君臨するMRスーパースポーツ「NSX」を、バブル景気で沸く1990年に投入した。

ホンダ「NSX」
1990年にデビューしたMRスーパースポーツ、ホンダ「NSX」

次に計画されたのが、軽自動車としては初となるMRの2シーター・オープンスポーツの「ビート」である。軽ながら走りの楽しさを徹底的に追求した本格派スポーツカーで、エンジンはNSX同様、ターボを使わずホンダ伝統の高速型・高性能NA(無過給)を搭載。メカニズムやスタイリング、インテリアについても、スポーツカーらしいホンダの技術が結集された軽のスーパースポーツである。

ホンダ・ビート
ホンダ・ビート

ピークパワー8100rpmのNAエンジン搭載のMRスポーツ誕生

ビートは、MR用プラットフォームとオープンモノコックボディを組み合わせ、低重心の理想的な前後重量配分43:57を実現した、本格的なMRスポーツカーである。

ホンダ・ビート
MRボディの車体構造

コンパクトなオープンボディにサイドの大型インテークや手動開閉のソフトトップ、低いフロントノーズなどで、軽ながらオープンスポーツらしさをアピール。軽快な走りを支えるサスペンションは、前後ともマクファーソンの独立懸架、その上でジオメトリーを巧みに設定するなど、MRの優れた運動性能が最大限発揮できるように、徹底したチューニングが施され、ブレーキは4輪ディスクブレーキが採用された。

ホンダ・ビート
NAながら出力自主規制値64psを発揮したビート用660cc 3気筒SOHCエンジン

パワートレインは、新開発の高回転型・高性能660cc 3気筒SOHC NAエンジンと5速MTの組み合わせ。3連スロットルやカムシャフト、ピストンを専用開発することで、NAながら最高出力64ps/8100rpm、最大トルク6.1kgm/7000rpmを発生。NAで自主規制値64psに到達した軽自動車は唯一であり、現在も存在しない。

MRらしい俊敏なハンドリング性能と、0-100km/h加速13.4秒、0-400m加速18.7秒の俊足ぶりを発揮し、スポーツカーファンから熱い視線を集めた。ただし、発売直後にバブルが崩壊したため、1996年をもって1世代限りで生産を終えたが、中古車市場では2024年の今も人気を博している。

ホンダ・ビート
ホンダ・ビート

ビートが先陣を切ったバブルの申し子“ABCトリオ”誕生

ホンダ・ビート
ホンダ・ビート

1980年代を迎えると、ターボやDOHCを装備した高性能・高機能モデルが続々と登場。さらに1980年代後半になると空前のバブル景気を迎え、軽自動車も例外でなく、1980年代後半には高性能時代が到来した。

ホンダ・ビート
ホンダ・ビートのコクピット
ホンダ・ビート
ホンダ・ビートの個性的なシート

軽の高性能モデルが続々と登場する中で、ビートに続いて1990年初頭の同時期にスズキ「カプチーノ」とマツダのオートザム「AZ-1」と個性的なスポーツカーが登場し、これら3台の車名のイニシャルを取って“ABCトリオ”と呼ばれた。

オートザム「AZ-1」

■“A”:マツダ・オートザム「AZ-1(1992年9月~)」
オートザムAZ-1の最大の特徴は、軽としては最初で最後のガルウングドアを装備していること。パワートレインは、スズキから調達したアルトワークスの当時最強を誇った最高出力64psの660cc 直3 DOHCインタークーラー付ターボエンジンと5MTの組み合わせ。駆動方式は、エンジンを運転席直後に横置きに搭載したMRで、前後車両配分44:56を実現した。

ホンダ・ビート

■“B”:ホンダ「ビート[BEAT](1991年5月~)」
ABCトリオの先陣を切って登場。

スズキ「カプチーノ」

■“C”:スズキ「カプチーノ[Cappuccino](1991年10月~)」
カプチーノは、典型的なロングノーズ・ショートデッキに、リアタイヤの直前に乗員を載せるというFRスポーツカー。ボディの軽量化にこだわり、ABCトリオの中では最も軽量の700kgを達成。パワートレインは、「アルトワークス」の最高出力64psの660cc 3気筒 DOHCインタークーラー付ターボエンジンと5速MTの組み合わせ。エンジンをフロントに縦置き配置することによって、51対49の前後重量配分を実現して優れたハンドリング性能を実現した。

ホンダ・ビート
ホンダ・ビート

大きな話題を集めたABCトリオだったが、開発時期はバブル期、しかし市場に登場したのはバブル崩壊時期と重なったため、その影響は大きくいずれも短期間で生産を終了した。

車両価格はオートザムAZ-1が149.8万円、カプチーノが145.8万円。ビートは、138.8万円でABCトリオの中ではビートが最も安価だった。当時の大卒初任給は17.3万円程度(現在は約23万円)だったので、ビートは単純計算では現在の価値で約185万円に相当する。

ビートが誕生した1991年は、どんな年

1991年には、ビート以外にも上記のスズキ「カプチーノ」と三菱2代目「パジェロ」、米国生産の逆輸入車のホンダ「アコードU.Sワゴン」などが誕生した。

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RVブームをけん引して大ヒットした1991年発売の三菱2代目「パジェロ」
ホンダ「アコードU.Sワゴン」
1991年にデビューしたホンダ「アコードU.Sワゴン」

2代目「パジェロ」は、本格オフローダーながら初代よりもより洗練されたと都会的な雰囲気のスタイリングとなり、大ヒットしてRVブームをけん引した。アコードU.Sワゴンは4代目「アコード」をベースにした生まれも育ちも米国の本格的な現地生産車で、日本にも投入され人気を獲得した。

マツダ「787B」
1991年ル・マン24時間レースで優勝を飾ったマツダ「787B」

この年には、マツダのロータリーマシン「787B」が、日本車初のル・マン24時間レースで総合優勝するという偉業を成し遂げた。また、バブル崩壊が本格的に始まり、高性能スポーツや高級スポーティセダンの時代が終焉を迎え、自動車メーカーにとって大きな転換期を迎えることになった。

自動車以外では、「101回目のプロポーズ」や「東京ラブストーリー」が放映開始されてトレンディドラマが流行り、ガソリン127円/L、ビール大瓶320円、コーヒー一杯360円、ラーメン455円、カレー600円、アンパン100円の時代だった。

ホンダ・ビート
ホンダ・ビート

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ピークパワーがなんと8100rpmで出力自主規制値64psを発生する軽ミッドシップスポーツのホンダ「ビート」。小さなボディに先進技術を満載した日本だから生まれた傑作スモールスポーツカー、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…