昭和の時代に親しんだホンダNⅢをもう一度! 純正流用でカスタムも楽しむ! 【喜多方レトロ横丁 レトロモーターShow】

360cc時代の軽自動車といえばスバル360のイメージが強いが、最多販売車種だったスバルを打ち負かしたのがホンダN360。多くの人に愛された名車だから残存数も少なくない。若い頃の思い出を8年前に再現した人の楽しみ方を紹介しよう。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1971年式ホンダNⅢ360タウン。

1960年代から1970年代にかけて、日本の自動車業界は大きな変化の波にさらされた。特に小さな軽自動車はホンダN360の登場により未曾有のパワー合戦を展開することになる。さらに時代が進むと排出ガス規制への適合が難しいため排気量を550ccへと引き上げることになる。また、当初は車検制度が適用されなかった軽自動車は70年代に突入すると車検を受けなければ維持できないことになる。車検制度がない時代に作られていたモデルは基本的に市町村への届出だけでナンバープレートが取得できたため、実際には正確な年式が特定できない。これを逆手に取れば自動車税の経年による重課税を逃れる手段にもなるわけだが、実際には車台番号から製造年を特定できるため難しい。

塗装は純正色ではなくオールペンされたもの。

ホンダN360は2輪由来の空冷2気筒エンジンを搭載する4人乗り乗用車で、ホンダ初のセダンでもある。高出力の割に新車価格が安価だったため、従来までの絶対王者であるスバル360から販売台数トップの座を奪取する。ただ、数が売れると妙な事態に巻き込まれることもある。’60年代にアメリカで自動車の危険性を訴え欠陥車騒動が巻き起こる。弁護士のラルフ・ネーダー氏による活動で、実際にシボレー・コルベアが標的にされた結果、生産中止に追い込まれている。訴訟が大好きなアメリカらしく泥試合の様相を呈したわけだが、この余波が日本にも訪れることになる。

ツーリングSのグリルにNⅢ純正フォグランプを組み合わせた。

日本にも自動車の欠陥を問題にする日本自動車ユニオンなる団体が生まれた。彼らは当時まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったホンダN360に目を付ける。アメリカでコルベアが問題視されたのと同じ空冷エンジンを採用していたからなのか、単に販売台数が多かったから狙われたのかは定かでない。この団体はN360での死亡事故をもとに創業者である本田宗一郎氏を訴えるという暴挙に出た。訴えるだけならまだしも、本田技研工業に対して16億円もの示談金を要求。企業恐喝である。

エンケイのアルミホイールに変更している。

N360の安全性については運輸省から提示された資料からも問題がないとされていたため、当然のことだが訴訟は却下され本田宗一郎氏は不起訴になる。逆に本田技研工業が団体を恐喝で告訴し、長い時間がかかったものの勝訴している。だが、この件で失ったものは大きかった。当時のベストセラーカーだったN360はイメージダウンを余儀なくされ、販売面に翳りを落とすことになる。これに対して’70年にモデルチェンジを実施してN360からNⅢ360へと車名を変更。さらに高速域での事故が問題視されたことを受け、出力特性を低速寄りに変更したタウンシリーズを新たにラインアップした。

空冷エンジンは友人の手を借りてオーバーホールされている。

高速道路での最高速度が軽自動車に限って80km/hとされたのはこの事件の余波でもある。さらに’73年からは軽自動車だと不要だった車検制度が導入される。一連のうねりを生み出したのがホンダN360だったわけで、それだけ大いなるヒット作だった。販売台数が多かったため、現在でも数多くのN360や後継のライフ系が残存している。N360の名誉のために付け加えておくと、実は筆者も過去にN360を所有していた。高速道路を走行してもハンドリングや直進性に問題はなく、空冷エンジンによる音と匂いには悩まされたが、それ以外で不安になるような要素は皆無だった。

細いステアリングホイールに当時流行したカバーを装着している。

あえてN360の黒歴史を紹介したのは、喜多方レトロ横丁 レトロモーターShowの会場で出力特性を変更して発売されたNⅢ360タウンと出会えたから。まさに事件への対応策として生み出されたモデルであり、下がり続けるN360人気を挽回しようとした労作でもある。眩いボディカラーに塗装されたNⅢのオーナーは68歳になる大久保智さん。NⅢが新車だった頃はまだ免許取得年齢ではなかったが、29歳だった昭和60年ごろに一度NⅢのオーナーになった人だ。

メーターはパネルごとNⅢカスタムのものを移植している。

大久保さんが手に入れたNⅢは当時すでに14年落ちであり、あまり程度が良くなかった。だましだまし乗っていたが、いよいよ修理が必要になる。そこで整備工場に見積もりを頼むと、予想を超える予算が必要であることが判明した。そこまでの費用をかけるなら別のクルマに乗り換えるのが得策だと判断して、NⅢを手放すことにされた。この時手放したことが余程後悔として残ったのだろう。長く「もう一度乗りたい」と考えてきた。転機となったのは定年。60歳になった8年前、ついに念願を叶えることになったのだ。

明るい色調のシートや内張は純正のままだ。

実は大久保さんがお住まいの新潟県にはN360のマニアが繋がり仲良くイベントなどへ出掛けている。前回記事にしたLNⅢのオーナーである大箭さんも友人であり、仲間内で売りにでた現車を手に入れたのだ。前述のように大箭さんは昔から大量の部品をストックしていたため、大久保さんがNⅢをカスタムするにも頼りにされた。エンジンのオーバーホールでも大箭さんの手を借りフロントグリルをカスタムしたほか、N600用テールランプを移植したりエンケイのホイールを履かせて楽しんでいる。メーターの移植も同様で、このほかベレGミラーと呼ばれるいすゞベレットGT用のフェンダーミラーを装着した。さらには大久保さん、ライフ・ステップバンやスバル360も同時に所有されている。置く場所があると台数が多くなってしまうのも、小さな360cc時代の軽自動車らしいところだ。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…