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■大ヒットのトールボーイからワイド&ローに大変身した2代目シティ
1986(昭和61)年10月31日、トールボーイの愛称で大ヒットした「シティ」がモデルチェンジで2代目に移行。初代のコンセプトとは真逆のワイド&ローに大変身し、走りや快適性を重視したが、これが裏目に出たのか初代のような人気を獲得することはできなかった。
初代シティは、ユニークな背高ノッポスタイルで大ヒット
1981年、“トールボーイ”と称したユニークな背高ノッポスタイルのシティがデビューした。“カッコいいクルマ・イコール・背が低い”という、当時の常識を打ち破り、1570mmの全幅に対して1470mmの全高を持った画期的なコンパクトカーだった。
さらに高さだけでなく、全長の短いクルマの室内空間を最大にするため、タイヤを極力ボディの四隅に追いやり、サスペンションはスペース効率に優れたマクファーソンストラットを採用。パワートレインは、徹底的にコンパクト設計された新開発の最高出力67ps/最大トルク10kgmの1.2L直4 SOHCエンジンと、4速&5速MTおよびホンダマチック4速ATの組み合わせが用意された。
ユニークなスタイリングに否定的な意見もあったが、結果は“ユニークで新しモノ好き”の若者を中心に圧倒的な支持を得て大ヒット。さらに1982年には、2Lクラスと同等の速さを持った“韋駄天ターボ”「シティ・ターボ」や1984年にはオープンモデル「シティ・カプリオレ」が加わり、シティ旋風を巻き起こした。
スポーティさを意識して走りと快適性を重視した2代目
1986年のこの日、初のモデルチェンジによって2代目シティがデビューした。
2代目は、大ヒットした初代のスタイルを意図も簡単に変え多くの人を驚かせた。そのスタイルは、初代とは全く異なるロングホイールベースのワイド&ローに変更。クルマとしての基本機能と効率を徹底追及した新世代コンパクトカーを目指したのだ。
特徴的なのは、低重心に加えてフラッシュサーフェスと軽量化によって走りを重視している点だ。パワートレインも一新、軽量で高剛性のアルミロッカーアームやアルミシリンダーブロックを採用した、最高出力76ps/最大トルク10.5kgmの新世代1.2L直4 SOHCと、5速MTおよびホンダマチック4速ATの組み合わせ。
車両価格は、82.7万円/88.8万円/103.0万円の3つのグレードを設定。当時の大卒初任給は14.6万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で130万円/149万円/162万円に相当する。
走りに磨きをかけ、総合的には完成度の高い2代目シティだったが、初代のような人気は得られなかった。初代のトールボーイのイメージがあまりに強すぎたためか、スタイルがシンプルで地味過ぎるという意見が多く、その存在感を示せなかったのだ。
その後、さまざまな商品力強化を図ったが、販売は伸びず1994年に生産を終了、国内と欧州でシティの名は途絶えることになった。
モータースポーツで大活躍した2代目
市場での人気はいま一歩だった2代目シティだが、実はモータースポーツでは大活躍した。
パワーアップした新開発エンジンと700kg程度の軽量ボディ、刷新された足回りを装備した2代目は、“安くて軽くて速い、そしてコントロールしやすい”と評判になり、ジムカーナーのA1クラスで大活躍。さらに1988年に登場したボアアップして排気量を1.3Lに拡大した電子制御噴射PGM-FI仕様は、最高出力100ps/最大トルク11.6kgmに向上して、ジムカーナーやダートトライアル、ラリーのコンパクトカークラスでは、“無敵のコンパクトカー”と呼ばれるほど、モータースポーツでは真価を発揮したのだ。
2代目シティは、大衆受けしなかった半面、走りのプロには大人気と、2つの顔を持つクルマだった。
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大ヒットモデルの後継は、先代の強みを引き継ぎながら新鮮味を出さなければならないので、コンセプト作りが難しい。シティが基本コンセプトを真逆の方向に変更した2代目の大胆な試みは評価されなかったが、チャレンジ精神旺盛なホンダらしいと言える。
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