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■マツダ初の本格的な軽乗用車キャロルが19年ぶりに復活
1989(平成元)年11月10日、マツダから軽自動車「キャロル」の2代目「オートザム・キャロル」がデビューした。初代「キャロル」は、1962年に誕生したマツダ初の本格的な軽乗用車だが、2代目はエンジンとプラットフォームをスズキ「アルト」から供給を受け、内外装を独自に開発したモデルだった。
先進のアルミ製水冷4ストロークエンジンを搭載した初代キャロル
戦後トラック事業で成功を収めたマツダは、1960年に「R360クーペ」で乗用車市場に進出。続いて、1962年に第2弾としてデビューしたのがキャロルである。R360クーペが基本的には2人乗りだったのに対し、キャロルは大人4人が乗れる本格的な軽乗用車という位置づけだった。
キャロルは、軽乗用車初のオールアルミ製の360cc直4水冷4ストロークエンジンをリアに搭載した斬新なRR(リアエンジン・リアドライブ)レイアウトを採用。空冷エンジンだったR360はエンジン音がうるさく、暖房が利きにくいという課題があったが、大衆車を目指したキャロルはこれらの課題を解消した。
翌1963年には、軽乗用車として初の4ドアモデルを追加して大ヒットし、マツダはキャロルの投入によって軽乗用車で圧倒的なシェアを獲得することに成功した。
アルトベースながらキュートなスタイルで復活した2代目
その後、キャロルの名は一旦途絶えたが、初代が生産を終えて19年が経過した1989年、オートザム・キャロルの名で復活を果たした。オートザムは、1989年からマツダが進めた5チャネル体制の販売系列のひとつである。当時のマツダは、経営不振に陥っており、1979年にフォードと資本提携し、フォードと共同で5チャネル体制を進めていたのだ。
2代目キャロルの開発にあたっては、厳しい経営状況の中で自社開発の余裕がなかったため、エンジンとプラットフォームをスズキ・アルトから供給を受け、内外装を自社で開発するという変則的な開発を行った。コンセプトは、“楽しいスニーカー”で、丸目2灯のヘッドライトを組み込んだ丸みを帯びたキュートなスタイリングが特徴だった。
パワートレインも、アルトの550cc 3気筒SOHCエンジンと3速/4速ATおよび5速MTの組み合わせ、駆動方式はFFベースで4WDも設定された。
車両価格は、FFの標準グレードが70.1万円(5速MT)/74.6万円(3速AT)。当時の大卒の初任給は、16.4万円(現在は約23万円)程度だったので、単純計算では現在の価値で160万円/170万円に相当する。
丸くてキュートなスタイリングと、同じくラウンディッシュに仕立てられたインテリアは、特に女性の人気を獲得して2代目キャロルも人気を獲得することに成功した。
軽の自社開発から撤退し、4代目キャロルはOEMモデルに
1991年にバブルが崩壊、マツダはバブル期に設立した5チャンネル体制のモデル展開が追いつかず、経営状況がさらに悪化し、1996年ついにフォードの傘下に収まった。
1995年、キャロルは3代目に引き継がれた。2代目同様、アルトとコンポーネントを共有しながら丸目2灯のヘッドランプのキュートな印象も引き継いで堅調な販売を続けたが、軽自動車の規格変更が適用された1998年に生産を終えた。これを機に、マツダは軽の自社開発・生産から撤退することを英断。1998年にデビューした4代目キャロルからは、アルトのOEMモデルとなった。
同様に、スバルも2010年「スバルR2」の生産終了をもって、軽の自社開発・生産から撤退。以降、スバルはダイハツのOEMモデルで軽のスバルブランドを維持しているのだ。
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2000年以降にマツダとスバルはミニバン市場からも撤退し、得意とするSUV系モデルの開発に専念している。中規模メーカーのマツダとスバルが、電動化や自動運転、コネクティッド技術など広範な開発を独自で行なうのは困難であり、投入モデルを絞って選択と集中を行うのは必然のことなのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。