こんどはスターレットで・・・43年前の昭和アイドリングストップ第2弾はエコランシステム・昭和56年 初代スターレット編 ~昔のモーターファン探訪~【MFクルマなんでもラウンジ】No.10

今回の「ラウンジ」は第5回で採りあげたクジラクラウンのアイドリングストップの話の続き。
1974(昭和49)年、当時のクラウンに試験的に導入されたアイドリングストップ機構は、80年代に入ってクラウンとは真逆にある、経済志向のクルマに戻ってきた。
どのクルマにどのような姿で帰ってきたのか?
TEXT:山口尚志(YAMAGUCHI Hisashi) PHOTO:トヨタ自動車/モーターファン・アーカイブ


 プロローグ

この「MFクルマなんでもラウンジ」も今回で10回目を迎える。
たった10回ではあるが、ひとまず最初の節目には違いない。
過去9回、全体的にはみなさん読んでくださり、とくに前々回の「義務化版オートライトの問題点」をテーマにした記事はかなり読まれ、書いた当事者として大変ありがたく思っている。

そこで今回はみなさんへの感謝を込めながら第10回を記念し・・・いつもどおりやっていこう。

この「MFクルマなんでもラウンジ」の第5回で、1974(昭和49)年の時点で搭載されていたクジラクラウンをご紹介した。

1974(昭和49)年1月に販売された、EASS付きクジラクラウン。

このとき、公開後のヤフーコメント欄にはいくつかの声が挙がっていたものだ。

「クジラクラウンの時代にアイドリングストップ機能があること自体、知らなかった。そんな昔にもあったのですね」

昔のクラウンエイトのオートライトやオートハイビーム、このクジラクラウンのアイドルストップのように、最近のデバイスかと思えばそうじゃなかった! というものは少なくない。この方のコメントの様に、その意外性に驚く声はたいへんうれしいし、ありがたく思う。

そのいっぽうで、こんなのもあった。

「1980年 覚えています、スターレットですね」

・・・・・・・。

額や目の下にタテ線を垂らして青ざめるちびまる子ちゃんの気分になった。

クジラ記事の最後、

「だが、トヨタはあきらめることなく、次の1980年代に、このアイドリングストップ技術をまた別のクルマでトライアルすることになる。 その話はまたいずれ、私が気が向いたときに・・・」

で終えたが、あれは1980年のスターレットを視野に入れての締めだったのだ。

だめじゃないの、先々予定して温めているテーマをばらしちゃあ。
めっ!

1981年8月にマイナーチェンジされた初代スターレット。左がERS付DX-A、右がS。

と、一見文句をいっているように見えて実のところ、コメント欄を介して読者との応酬をおもしろがっているわけだが、この方のお察しのとおり、今回は1980年のスターレットに搭載されたアイドリングストップについて述べていく(ちょっと自動車技術史に詳しい人なら誰だって浮かぶと思う)。

「パブリカ」から「パブリカスターレット」、そして「スターレット」へ

1974(昭和49)年1月に発売された、アイドリングストップ付クジラクラウンに続くアイドリングストップ第2弾は、初代スターレットで登場した。
好き者はいまでも「KP61(ケーピーロクイチ)」と呼んで親しむクルマで、日本ではヴィッツから改称したいまのヤリスの前身に当たる。

初代スターレット(1978(昭和53)年2月。写真はいちばん安い「スタンダード」。

初代スターレットは1978(昭和53)年2月に発売。そのスターレットとて前身があり、もともとは1955(昭和30)年、当時の通商産業省が提唱した「国民車構想」を源流とする「パブリカ(UP10型・1961(昭和36)年6月)」が原点だ。
そのパブリカの2代め発売(1969(昭和44)年4月)から4年後、建前はバリエーション追加、実質モデルチェンジ3代目として2代目と併売の心づもりで送り込まれたのが「パブリカ・スターレット」(1973(昭和48)年4月にクーペ、10月にセダン。)。
このパブリカ・スターレットの冠称を取っ払ってFRのまま2BOXハッチバック型に仕切り直したのが初代「スターレット」だった。

初代パブリカ(UP10・1961(昭和36)年6月)。
初代パブリカ(UP10・1961(昭和36)年6月)。
初代パブリカのマイナーチェンジモデル(UP20)。

初代パブリカからパブリカ・スターレット、スターレット期をはさんで歴代ヴィッツ&現ヤリスに至るまで、与えられる車両型式は一貫して「P」・・・ヤリスの「P」だけでは気づかないのだが、時間的視野を広げて見れば、昭和36年当時のトヨタが公募で決めたネーミング「パブリカ(public(大衆) car(車))」から定めたであろう車両型式「P」は、トヨタが初代パブリカに込めた、「誰にでも親しまれる大衆のためのクルマ」の願いの「P」で、それがそのままいまのヤリスにまで息づいていると信じる。したがって、途中で車名が改まろうと形が変わろうと、駆動輪が前後入れ替わろうと、ここに掲げたクルマはみな歴代パブリカであり、いまのヤリスとて初代パブリカからの系譜上にある11代目パブリカなのだ。

2代目パブリカ(UP30/ UP30-D/KP30/KP30-D/KP31S・1969(昭和44)年3月)。「UP20」は初代のマイナーチェンジ時に充てられているので、2代目では「UP30」となる。
2代目パブリカ(UP30/ UP30-D/KP30/KP30-D/KP31S・1969(昭和44)年3月)。
2代目パブリカ(KP30/KP30-D/KP31S・1972(昭和47)年1月)。 3代目といいたいほど2代目と形が違うが、実はこれでも2代目のマイナーチェンジ版。大幅なマイナーチェンジで、型式は「P30」のまま。実はドアパネルだけは前期型と同じ。ドア以外のパネルを全部造形を変えている。
2代目パブリカ(KP30/KP30-D/KP31S・1972(昭和47)年1月)。
パブリカ・スターレット(1973(昭和48)年)。この年の4月にまず2枚ドアのクーペ(KP45/47)が先行し、半年後の10月にセダン(KP40/42)が後を追った。写真はクーペ。
パブリカ・スターレット(1973(昭和48)年)。
初代スターレット(KP61・1978(昭和53)年2月)。ここでハッチバック路線に変更した。
初代スターレット(KP61・1978(昭和53)年2月)。
2代目スターレット(EP71・1984(昭和59)年10月)。
2代目スターレット(EP71・1984(昭和59)年10月)。
3代目スターレット(EP82/NP80・1989(平成元)年12月)。
3代目スターレット(EP82/NP80・1989(平成元)年12月)。
4代目スターレット(EP91/95/NP90・1995(平成7)年12月)。
4代目スターレット(EP91/95/NP90・1995(平成7)年12月)。
「21世紀 My Car。」と謳って登場した初代ヴィッツ(SCP10・1999(平成11)年1月)。21世紀を目前に、思想もデザインも大変革を遂げ、車名も「スターレット」から「ヴィッツ」に改めたが、世界的には初めから「ヤリス」だった。
初代ヴィッツ(SCP10・1999(平成11)年1月)
2代目ヴィッツ(KSP90/SCP90/NCP91/NCP95・2005(平成15)年2月)。この時点でついぞ幅は5ナンバー枠いっぱいの1695mmに。
2代目ヴィッツ(KSP90/SCP90/NCP91/NCP95・2005(平成15)年2月)。
3代目ヴィッツ(KSP130/NSP130/NCP131/NSP135・2010(平成18)年12月)。フロントのワイパーが1本になったのが懐かしい。
3代目ヴィッツ(KSP130/NSP130/NCP131/NSP135・2010(平成18)年12月)。
4代目へのモデルチェンジと同時に、日本名「ヴィッツ」が世界統一名称「ヤリス」に(KSP210/MXPA10/MXPA15/MXPH10/15・2019(令和元)年12月)。
ヤリス(KSP210/MXPA10/MXPA15/MXPH10/15・2019(令和元)年12月)。

ここに並べたクルマが、車両型式に必ず「P」が付与されている「歴代パブリカ」であることがお分かりだろうか。

クジラクラウンEASSから約7年・・・帰ってきたアイドリングストップ

ヤリスやスターレットの歴史語りが本意ではない。話は昭和スターレットのアイドルストップだ。

このスターレットのアイドリングストップは、1981(昭和56)年8月19日のマイナーチェンジ時に搭載された。

1981年8月にマイナーチェンジを受けたスターレット。写真はSE。

システムは低廉機種「DX-A」の5速MT車に与えられたもので、システム名称は「エコランシステム(ERS)」。「ERS」は「Economy Running System」の略称だ。

クジラクラウンの「エンジン・オートマチック・ストップ・アンド・スタート・システム(EASS)」とスターレットDX-AのERSとでは、同じアイドリングストップでも発売時の時代背景が異なる。クジラのEASSが第1次オイルショックを意識したものであったのに対し、スターレットDX-AのERSは1970年代後半の各年排ガス規制が一段落し、喉もと過ぎればで(?)各社うごめき始めていたパワー競争前夜の頃。クジラERSSとは約7年半の隔たりがある。時代背景の違いは、ERSの約半年前に、スターレットとは対極の(?)初代ソアラが発売されていることからもおわかりいただけよう。

DX-Aの5速車が試験的であったのは、カタログへのスターレット経済型DX-Aの掲載がDXの向こう側にあることで理解できる
これはDXの計器盤。DX-Aの写真掲載はない。
DXの前席。
DXの後席。
こちらが本記事で主役のDX-A。

クジラクラウンのEASSは販社オプション品だった。しかも東京地区で販売されるクジラクラウンの6気筒2000/2600車MT用。いっぽうのスターレットのERSは、主力ではない、経済性重視 or 社用ユース向けDX-Aに限っての搭載デバイス・・・スターレットの場合はれっきとしたカタログモデルとして発売された点で画期的で、これは国産車初の試みだった。

EASS付きクラウンのEASS操作部。

クラウンEASS同様、実験車的扱いなのは明らか。ターボにスーパーチャージャー、DOHCといったメカ魅力がクルマ界を賑わす直前だもの、省エネ・省資源・省燃費思想のERSに多くを期待できるはずはなく、たくさん売れるとは思えない廉価寄り「DX-A」に限定したわけだ。
事実、当のトヨタ自身が「市場調査の目的で設定した」とはっきりいい切っている(モーターファン1981年11月号より)。「ユーザーをモルモット扱いしている。」だなんて思っちゃいけない。「えー、経済性重視から走りを楽しむスポーティモデルまで、幅広いユーザーニーズにお応えして・・・」などと杓子定規なコメントを出されるよりはるかに潔く、明快に「市場調査が目的」とした当時のトヨタの説明には好感が持てるというものだ。

ERSの概要とモーターファン誌による実装テストの結果

さすが1980年代である。クジラクラウンのEASS時代に対してエレクトロニクスが進歩しているだけに、システムや概念はだいぶ緻密になっている。ERSの簡単な当時資料を入手したので、そのシステム構成については図をごらんいただきたく。

資料から抜粋した、ERSについてのトヨタ説明を記す。

エコランシステム(ERS)の採用(DX-A 五速マニュアル車に標準装備)】

1.エコランシステムはコンピューターが運転状態・使用条件を的確に把握し、一時停止している間の不必要なアイドリングを自動的にカットする画期的な省燃費システムである。

2.エコランシステム搭載車は、渋滞、赤信号などで一時停止した場合、エンジンも自動的に停止し、また発進する際にはクラッチペダルを踏むだけでエンジンも簡単に再始動する。

3.これにより、アイドリング時のガソリン消費が節約できる。節約効果は通常の市街地走行の場合で〇・五~一・〇km/L、渋滞が激しい道路ではその効果はさらに大きくなる。

4.トヨタは当システムについて、わが国を初め、米国、西独(筆者注・当時)など世界六カ国で合計六十件の特許を取得ないし出願中である。

(以下略)

ERSのシステム構成図。
メーター内にある、ERSの作動表示ランプ

ERS付きスターレットDX-Aを、ノーマルモデル「S」との比較で当時のモーターファン誌が、1981年(昭和56)年11月号の中でレポートしている。

クジラクラウンEASSのとき、都心の混雑エリア16kmを1時間、横浜までの第二国道36kmを1時間で走った結果、途中78回停止・発進を経たなかでの燃費は11km/L、EASS OFFでの結果は5.6km/Lと報告している。スターレットのときは、表のようなルート走行でERS付きDX-Aが16.30km/L、ERSなしのSが14.47km/L・・・スターレットとクラウン、時期に車格に排気量、走る経路も距離もまったく異なるので単純比較ははばかられるが、どちらもどちらなりの効果を得られていることがわかる。

モーターファン 1981年11月号表紙。6代めスカイライン(R30)登場時なのでこの表紙。7
誌面ではルート区間毎の停止回数とERS作動時間を丁寧に一覧できるようにしている。ページの始まりでは「ERS」となっているのに、この表を作る頃には「ESR」になってしまっているのは校正ミスだ。 当時の編集部に代わり、40年越しでお詫び申し上げる。
ERSのスイッチ。設置位置はおそらくセンターコンソール下と思われる(カタログには写真がないのだ)。7年前のクジラ・クラウンのEASS同様、ONばかりではなく、OFFのスイッチもある。
メーター表示部。

なお、DX-Aの10モード燃費は18.5km/Lなので、実燃費16.30km/Lはカタログ値達成率は約88.1%。一般に実用燃費はカタログ値の8割といわれているのでERSの効果は大いにあったと見るべきだろう。

ところで燃費値の「11km/L」「5.6km/L」「16.30km/L」「14.47km/L」・・・どれもこれも、いまのクルマの実用燃費(カタログ燃費ではない)で見かけるような数字で、何だか40年の間、ハイブリッドではないガソリンエンジンの低燃費技術は進歩していないように映る。

着目すべきは車両重量。1974年当時のクラウン2000車の車両重量が1350~1370kgなら、1981年スターレット1300DX-A、5速車は700kgだ。
翻ってわが現代。現行のクラウンシリーズには純粋なガソリン車がないので、先代クラウンの2000(ターボ車になってしまうが)を引っ張り出すと1690~1730kg。現行ヤリスのガソリン車はシリーズ中いちばん排気量が小さい1000cc車でさえ940~970kg、1500cc車(の2WD)まで範囲を広げると940~1020kgとなっている・・・いずれにしてもいまのクルマのほうがずっと重い。

都内を走行中のスターレットDX-Aと同S。

にもかかわらず、いまのクルマの実用燃費がさきの数値ていどだったとしても、重量増を考えれば「重量が増えた割に同じくらいの数字を維持しているなら低燃費技術は進歩している」といえる。また、カタログ値でいうなら、当時の計測方法よりもいまの計測方法のほうが条件はより厳しくなっている(クルマにとっては縛りがきつくなる方向)ので、その分を加味すればなおのこと、自動車会社の長年の研究や努力は称えてしかるべきだ。

21世紀のアイドリングストップは2010年代半ばあたりから始まったと思うが、最近は減少傾向にあり、大変結構なことだと思っている。

というのも、アイドルストップは、スターターモーターの稼働量が増えるぶん耐久性強化が必須で高価なものが使われようし、作動要件を満たすためのセンサーもたくさん要るほかに、バッテリーもアイドリングストップ用の高額なものが強いられる。アイドルストップがなくたっていまは充電制御があたり前。いまカー用品店で売っているバッテリーのほとんどが「充電制御/アイドリングストップ車用」となっており、安価が期待できるカー用品店の自社ブランド品でさえ万単位のものがぞろっぺだ。

自動車メーカー、とりわけエンジン技術者はこのことに初めっから気づいていたに違いないが、要するにアイドルストップがないクルマに対してシステム代や交換バッテリー代が高くつき、これは燃料の浪費抑制で得た燃料代以上の額が、値の張るシステムやバッテリー代にまわるだけに過ぎないことを意味する。
先日私の友人のクルマがバッテリー上がりを起こし、結局新品に変えたといってきた。旧型のレヴォーグの話だが、バッテリー価格は4万円だったと・・・私が使っていた最終型のブルーバード(U14)がバッテリー上がりを起こしたとき、交換品を5000円ほどで手に入れられた頃が懐かしい。

省エネ・安全を大義名分とする新システムデバイスもいいが、それがここ何年も過当になっており、著しい車両価格や維持費の上昇に結び付いているのはおもしろくない。

最後は固い話になったが、クジラクラウンに初代スターレット・・・40年以上前から存在していたトヨタのアイドリングストップ車を2度に渡ってご紹介した。

ではまた次回の「MFラウンジ」で。

※クジラクラウンのときみたいに、また「げっ!」と思うような突っつきコメントはしないでちょ! (といいながら、いっぽうでちっとは楽しみにもしている)

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