国産旧車を代表するスポーツカーといえばトヨタ2000GTとマツダ・コスモスポーツだろう。どちらもともに1967年に発売され大いに話題となった。特にトヨタ2000GTは映画『007』シリーズの劇中車として採用されたり発売前に耐久レースへ参戦、さらにはスピードトライアルを実施して国際記録を更新。国産車の底上げを図るような存在であったことから和製スーパーカーとも呼ばれたものだ。
トヨタ2000GTといえばヤマハとの共同開発が知られている。2000GTに搭載された3M型2リッター直列6気筒DOHCエンジンはクラウン用のM型2リッターSOHCをベースに、ヤマハが開発したDOHCヘッドを組み合わせたもの。この流れは2000GTに留まらず後のトヨタ1600GT、コロナマークⅡ1900GSS、セリカ1600GTなどに搭載された一連のトヨタ・ツインカムへと続くことになる。また2000GTの特徴であるインテリアの豪華なウッドパネルはヤマハのピアノ技術が生かされたとされている。
1967年に発売された当初の新車価格は238万円。当時のクラウンが100万円前後の価格だったことを考えると、とんでもない高額車だった。感覚的には現行スープラより高価なスポーツカーだったわけで、当然ながら生産台数は多くない。1969年にマイナーチェンジを受けて後期型へ移行すると、若干ながらコストダウンが図られた。だが、そもそも台数の大幅増は見込めず国内で登録された台数は前期型110台、後期型108台の合計218台でしかない。
トヨタのイメージリーダーとして開発された2000GTは、わずかながら輸出もされている。映画の劇中車に起用されたことによる側面もあったようだが、こちらも多くが販売されたわけではない。生産台数の少なさや国産車としての先進性を認められ、近年では中古車相場が1億円前後ともいわれている。まさに価格でも国産旧車を代表する存在になったわけだ。
だが今から30〜40年ほど前なら、中古車が300万円前後で買えたもの。当時としても高価なことは間違いないが、まだ一般人が手を出せる相場だった。その頃に入手した人が今もオーナーであるケースもあり、2000GTの魅力は色褪せることがないようだ。2024年10月に栃木県足利市で開催された「ヒストリックカーヘリテイジカーミーティングTTCM in 足利」の会場にも1台のトヨタ2000GTが展示されていた。しかもナンバープレートを見ると「名古屋5」というシングルナンバーが付けられている。もしやワンオーナー車か!と思って近くにいたオーナーへ声をかけてみた。
2000GTオーナーの荒井武夫さんは48歳になる会社経営者。今から28年前に1オーナーのまま維持されてきた現車と出会い、オーナーと知り合える幸運を得た。当時すでに各所へサビが発生していて塗装も傷んでいたが、車検は残っている状態。名車でありいつかはと考えていた荒井さんに前オーナーは「持って行っていい」と切り出された。さすがに無料では失礼と考え、相場ほどの金額を用意して譲り受けられた。
入手すると同時に荒井さんは2000GTを完全分解する。ボディとフレームが分離できるのが2000GTの特徴であり、荒井さんはフレームオフにしてすべてをフルオーバーホールすることにしたのだ。もちろんフレームはサビを除去して念入りな防錆対策を施す。分離したボディは塗装を剥がしてサビを除去。当時の最新技術で艶やかな塗装を施した。
インテリアも同様に完全分解され、ウッド部分は磨きをかけて表面処理を施した。さらにシートやドア内張などの表皮は本来合成皮革だが、新たに本革張りとして豪華さを追求。末長く楽しめるように手を加えた。また本来なら装備されないエアコンを追加して昨今の真夏でも安心して乗ることができるそうだ。これにはエンジンの熱対策が必要不可欠になる。そこでラジエターのコアを修復する際に強化を施し、配管を見直すことでガソリンが気化してしまうパーコレーションを防止している。
さらに圧巻なのがパーツのワンオフ製作に踏み切っていること。2000GTにはドアノブなどのパーツにアンチモニー材を用いている。風格を演出してくれる素材ながら、経年劣化により割れてしまうことが多い。そこでドアノブを始め給油口などを図面から起こした新規パーツに変更している。さらにフェンダーミラーはヘラ絞りにより再現してあり、特徴的な七宝焼エンブレムは当時と同じ製法で新たに作り直している。キャプトンタイプの純正マフラーも同様に作り直されたもので、今後長く乗るために必要な対策を施しているのだ。
また2000GTの特徴の一つであるマグネシウムホイールも経年劣化により割れる可能性がある。これはオーナーズクラブがアルミによる代替品を製作して販売しているが、荒井さんは人と違う選択をする。アメリカ製のワイヤースポークホイールを選んだ。センターロック式を採用している2000GTだから同方式のホイールとなると必然的に選択肢は狭まる。映画の劇中車となったオープンカーもワイヤースポークホイールを履いていたことから、共通イメージをもたらしたのだ。
ここまでの姿にするため、実に12年もの歳月が必要だった。努力無くして語れないレストア劇だが、パーツの製作などは自ら図面を起こす技量も必要。さらには製作を請け負ってくれる業者の存在も必要であり、まさに技術とネットワークがモノをいう。荒井さんはいずれをも備えていたからこそ、ここまでの完成度が実現できた。それもこれも2000GTへの愛があったからこそ。イベントに展示するとオリジナリティを問うような人も見受けられるが、そんな声を吹き飛ばすくらいのトヨタ2000GTだった。