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2ボックスサルーンばかりがクラシック・ミニではない!
レアモデルもズラリと並んだ『第32回ジャパンミニデイ in 浜名湖』
2024年11月3日(日)、静岡県浜松市にある渚園キャンプ場にて『第32回ジャパンミニデイ in 浜名湖』が開催された。このイベントは全国のミニ専門店が加盟する団体である「JMSA」(Japan MINI’s Specialist Association)が主催する日本最大のクラシック・ミニのミーティングで、ミニ生誕65周年のメモリアルイヤーとなった今回は、全国から3000台のエントリーがあり、4500名の来場者で賑わった。
筆者の肌感覚からすると会場に並べられたクルマのうち99.8%がクラシック・ミニだ。その多くがローバー・ジャパン成立後に正規輸入された日本でポピュラーな2ボックスサルーンである。しかし、それ以外のミニ派生車によるエントリーも少なくはなく、上級モデルの3ボックスサルーン(セダン)のウーズレー・ホーネットやライレー・エルフ、モーク、ミニ・マーコスGTなどの珍しいモデルの姿も散見された。
愛好家の多いクラシック・ミニのエステートモデル
人気の秘密はラゲッジルームの拡大による使い勝手の良さ
そんなミニのバリエーションの中で台数が多く、会場で目立つ存在だったのが、オースチン・ミニ・カントリーマンやモーリス・ミニ・トラベラーなどのエステート(ステーションワゴン)だ。
1956年9月のスエズ動乱による国際的な原油価格の高騰により、それまでのメッサーシュミットやイセッタのようなキャビンスクーターに代わる「極めて経済的な4人乗り小型車」としてBMC会長のサー・レナード・ロード(当時)によって企画されたクラシック・ミニは、天才設計家のアレック・イシゴニスの辣腕ぶりもあって、全長3m弱というコンパクトなサイズにも関わらず、大人4人がきちんと乗れるスペースが確保されていた。今となっては2ドア車の使い勝手の悪さを指摘する声があるかもしれないが、同世代の大衆車のうち、4ドアを採用していたのはシトロエン2CVくらいなもので、当時は製造コスト低減とボディ剛性確保のため、このクラスの大衆車は2ドアとするのが一般的だった。
とは言え、キャビンスペースは必要充分であってもフル乗車時に問題となるのがラゲッジルームの狭さだ。クラシック・ミニの小さなトランクは当時の目で見ても明らかに不足しており、庶民の間でもヴァカンスシーズンの長期旅行が一般に行われていたヨーロッパではもちろんのこと、そのような習慣のないわが国でも一家に1台のファミリーカーとして使うのには荷室容積の少なさが問題となるだろう。
こうしたクラシック・ミニの弱点を補う派生モデルがオースチンとモーリスにそれぞれ用意されたエステートモデルだ。このクルマは2ボックスサルーンをベースにホイールベースを62mm延長し、車両後端にダブルバック(観音開き)ドアを与えたバリエーションである。
クラシック・ミニはFWDレイアウトを採用しているので、メカニズムはフロント部分に集中しており、ボディ後半は自由にレイアウトすることができたのだ。これによりクラシック・ミニはフル乗車時で524L、リアシートを畳むと1005Lという実用に耐え得る広いラゲッジルームを手に入れたのだ。
オースチン・ミニ・カントリーマンとモーリス・ミニ・トラベラー
その上級モデルにはボディ後部にウッドトリム仕様が用意された
クラシック・ミニにエステートモデルが追加されたのは、2ボックスサルーンの登場から1年後の1960年9月のことだった。その基本構造は同年4月に先んじてデビューした商用モデルのオースチン・セブン・バン(のちにミニ・バンに改名)/モーリス・ミニ・バンのものを流用しており、エクステリアを2ドアサルーン並みに装飾が施された華やかなものへと変更し、実用者らしく質実剛健なインテリアのトリムレベルを引き上げたものだった。
エステートモデルのオースチン・ミニ・カントリーマンとモーリス・ミニ・トラベラーの違いは、2ボックスサルーンと同じく、バッジやフロントグリルの意匠くらいのものでまったく同じモデルと考えて良い。両車に採用された燃料タンクは、サルーン比で4.6L増の29.6Lへと拡大されている。当初はベースとなった2ボックスサルーンと同じく、燃料タンクは車体後部左側にレイアウトされていたが、1962年10月の改良でラゲッジルーム床下に変更され、それに併せて給油口は車体後部右側に変更されている。
エステートモデルの上級グレードには生産開始時からアッシュ材のウッドトリムがリアボディに備えられたことが外観上の大きな特徴で、これはモーリス・マイナー・トラベラーのようなボディ構造材ではなく、外観をより華やかに仕立てるための装飾だ。
なお、エステートモデルのうちウッドトリムを備えた車両だけをオースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーと呼び、これを備えない車両は単に「エステート」として区別したという俗説がまことしやかに囁かれることがあるが、これは勘違いである。
ウッドトリムを持たないオールスチールの車両は、1961年春から輸出向けに生産されるようになり、翌1961年秋からイギリス国内にも廉価グレードとして販売を開始。いずれのモデルもミニ・カントリーマン/ミニ・トラベラーと呼ばれ、どの市場に対しても「エステート」の名称は使用されてはいない。
ベース車のマイナーチェンジにより1967年にはエステートモデルも進化
1969年に後継モデルの登場により惜しまれつつ終売
ベースとなった2ドアサルーンの改良に合わせて、1967年にオースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーはMK.IからMK.IIへと進化する。主な変更点はグリルの意匠変更とルーフの強度を上げるために左右2本ずつ、計4本のリブが追加された点。加えて、搭載される直列4気筒OHVエンジンは848ccから948ccへと排気量をスープアップされている。
トランスミッションは4速MTと4速AT(イージードライブを求める声に答えるかたちで1965年に追加された)が引き続き用意されていたが、MTの操作機構はリモートコントロール式に改められ、シフトレバーは直立タイプとなり、ドライバーの手元へ移設されている。そして、1968年にはMTがフルシンクロ化されたことにより、操作性が大幅に向上している。
その瀟洒なスタイリングと実用性の高さからクラシック・ミニのバリエーションの中でも高い人気を誇ったオースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーであったが、1969年秋に後継車となるミニ・クラブマン・エステートが登場したことで、惜しまれつつも生産を終了する。最終的な生産台数はオースチン・ミニ・カントリーマンが約10万8000台、モーリス・ミニ・トラベラーが約9万9000台であった。
生産終了後もバンやクラブマンをベースに復刻車が作られる
ミニ・クラブマンは新設計された角ばったフロントノーズを持ち、従来のミニよりも前方に10cm延長したことで衝突安全性がわずかに向上。オースチン・マキシと同じウィンカーを採用するなど、各部をリファインした新時代のミニとして鳴り物入りで登場したのであるが、製造元のBL(ブリティッシュ・レイランド)の意に反して市場の反応は冷ややかなものだった。
BLの計画では丸いノーズを持つミニは早々に生産を終了させ、クラブマンがその後継になるはずだったのだが、このマイナーチェンジがイギリス本国のみならず世界中のミニファンから酷評されたことで、従来型のミニはMK.IIIへと進化した上で、生産が継続されることになる。
しかし、好評だったオースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーは再び復活することはなく、クラブマンシリーズが生産を終了する1980年まで、その役割はミニ・クラブマン・エステートが担うことになった。なお、クラブマン・エステートは全車ウッドトリムを持たないオールスチールボディであり、「ウッディ」の愛称で親しまれた瀟洒なエステートはとうとう最後まで生産が再開することはなかったのだ。
しかしながら、同じボディを持つミニ・バンやクラブマン・エステートは以前の姿で生産が継続されていたことから、エンスージアストの中にはこれらをベースに、リビルドパーツのウッドトリムを用いて新車をベースにした復刻車を作る者も現れ、生産終了後もオースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーの変わらない人気を示すことになる。
本来は両車の最終型は1969年型となるはずだが、正規の生産が終了したあとの年式が存在するそのためなのだ。これらの復刻車両はインナードアヒンジや巻き上げ式サイドウインドウなど、MK.III以降のクラシック・ミニの特徴を備えているため識別は容易となる。
カントリーマン&トラベラーの人気は永遠に……
残存数の多さから輸入旧車の中では、日頃街中で目にする機会の多いクラシック・ミニだが、オースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーなどのエステートモデルはなかなかお目にかかることのない希少なモデルだ。だが、『ジャパンミニデイ in 浜名湖』ではそんなレアな車両が会場の至るところに展示されている。
しかも、わずか2年間しか製造されなかったMK.Iの初期モデルからMK.IIベースの後期モデル、クラブマン・エステート、さらには1969年以降の復刻モデルまで、ありとあらゆる年式・仕様のエステートモデルが一堂に会す機会などそう滅多にあるものではない。
書物やネットの世界でしか知りようがない各モデルの差異を、会場を巡ることで実際にこの目で見て確かめられるのだから、ミニが好きな人はもちろん、クルマ好きならそれだけで楽しいし、ときに新たな発見や出会いもあっておおいに刺激的だ。そんなことからもクラシック・ミニのファンなら1度は参加すべきイベントだと感じられた。