クラシック・ミニのワゴンって知ってる?トラベラー、カントリーマン、クラブマン・エステートの違いとは!?『ジャパンミニデイin浜名湖』

静岡県浜松市にある渚園キャンプ場にて、2024年11月3日(日)に開催された『ジャパンミニデイ in 浜名湖』には、全国から3000台ものクラシック・ミニがエントリーした。数の上では2BOXサルーンがもっとも多いのだが、日頃街中ではなかなかお目にかかれないエステートモデルのオースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーの参加もかなりのもの。今回は瀟酒なスタイリングと実用性の高さから世界的に人気のあるクラシック・ミニのエステートモデルを紹介して行く。
REPORT:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu) PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)/りな(RINA)

2ボックスサルーンばかりがクラシック・ミニではない!
レアモデルもズラリと並んだ『第32回ジャパンミニデイ in 浜名湖』

2024年11月3日(日)、静岡県浜松市にある渚園キャンプ場にて『第32回ジャパンミニデイ in 浜名湖』が開催された。このイベントは全国のミニ専門店が加盟する団体である「JMSA」(Japan MINI’s Specialist Association)が主催する日本最大のクラシック・ミニのミーティングで、ミニ生誕65周年のメモリアルイヤーとなった今回は、全国から3000台のエントリーがあり、4500名の来場者で賑わった。

ガチャピン&ムックにトトロまで!? クラシック・ミニが3000台!『ジャパンミニデイin浜名湖』が自由すぎた……記念すべき第32回開催をチェック!!

2024年11月3日(日)、静岡県浜松市にある渚園キャンプ場にて『ジャパンミニデイ in 浜名湖』が開催された。このイベントは全国から3000台ものクラシック・ミニがエントリーする国内最大級のワンメイクミーティングだ。今回はミニ生誕から65周年目のメモリアルイヤーであるとともに、『ジャパンミニデイ』は1993年の第1回から数えて32回目(32回でミ・ニ)の開催となる。そんな特別な回となったイベントをこれから数回に渡って余すことなく紹介する。 REPORT:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu) PHOTO:山崎 龍(YAMAZAKI Ryu)/りな(RINA)

筆者の肌感覚からすると会場に並べられたクルマのうち99.8%がクラシック・ミニだ。その多くがローバー・ジャパン成立後に正規輸入された日本でポピュラーな2ボックスサルーンである。しかし、それ以外のミニ派生車によるエントリーも少なくはなく、上級モデルの3ボックスサルーン(セダン)のウーズレー・ホーネットやライレー・エルフ、モーク、ミニ・マーコスGTなどの珍しいモデルの姿も散見された。

愛好家の多いクラシック・ミニのエステートモデル
人気の秘密はラゲッジルームの拡大による使い勝手の良さ

そんなミニのバリエーションの中で台数が多く、会場で目立つ存在だったのが、オースチン・ミニ・カントリーマンやモーリス・ミニ・トラベラーなどのエステート(ステーションワゴン)だ。

オースチン・ミニ・カントリーマン。2BOXサルーンのMK.Iをベースにしており、モーリスとの違いはエンブレムとグリルの意匠のみ。

1956年9月のスエズ動乱による国際的な原油価格の高騰により、それまでのメッサーシュミットやイセッタのようなキャビンスクーターに代わる「極めて経済的な4人乗り小型車」としてBMC会長のサー・レナード・ロード(当時)によって企画されたクラシック・ミニは、天才設計家のアレック・イシゴニスの辣腕ぶりもあって、全長3m弱というコンパクトなサイズにも関わらず、大人4人がきちんと乗れるスペースが確保されていた。今となっては2ドア車の使い勝手の悪さを指摘する声があるかもしれないが、同世代の大衆車のうち、4ドアを採用していたのはシトロエン2CVくらいなもので、当時は製造コスト低減とボディ剛性確保のため、このクラスの大衆車は2ドアとするのが一般的だった。

オースチン・ミニ・カントリーマンのリヤビュー。1962年の改良によって燃料タンクが床下に移設され、給油行の位置も左から右に変わった。

とは言え、キャビンスペースは必要充分であってもフル乗車時に問題となるのがラゲッジルームの狭さだ。クラシック・ミニの小さなトランクは当時の目で見ても明らかに不足しており、庶民の間でもヴァカンスシーズンの長期旅行が一般に行われていたヨーロッパではもちろんのこと、そのような習慣のないわが国でも一家に1台のファミリーカーとして使うのには荷室容積の少なさが問題となるだろう。

1967年型モーリス・ミニ・トラベラー。MK.IIへのマイナーチェンジ直前のモデルか、あるいはMK.IIをMK.I風にカスタムしたかのいずれかの車両。

こうしたクラシック・ミニの弱点を補う派生モデルがオースチンとモーリスにそれぞれ用意されたエステートモデルだ。このクルマは2ボックスサルーンをベースにホイールベースを62mm延長し、車両後端にダブルバック(観音開き)ドアを与えたバリエーションである。

1967年型モーリス・ミニ・トラベラーのリヤビュー。ウッドトリムは本物の木であるアッシュ材を使用しており、保管環境や手入れの仕方によっても風合いが変わってくる。

クラシック・ミニはFWDレイアウトを採用しているので、メカニズムはフロント部分に集中しており、ボディ後半は自由にレイアウトすることができたのだ。これによりクラシック・ミニはフル乗車時で524L、リアシートを畳むと1005Lという実用に耐え得る広いラゲッジルームを手に入れたのだ。

オースチン・ミニ・カントリーマンとモーリス・ミニ・トラベラー
その上級モデルにはボディ後部にウッドトリム仕様が用意された

クラシック・ミニにエステートモデルが追加されたのは、2ボックスサルーンの登場から1年後の1960年9月のことだった。その基本構造は同年4月に先んじてデビューした商用モデルのオースチン・セブン・バン(のちにミニ・バンに改名)/モーリス・ミニ・バンのものを流用しており、エクステリアを2ドアサルーン並みに装飾が施された華やかなものへと変更し、実用者らしく質実剛健なインテリアのトリムレベルを引き上げたものだった。

オースチン・ミニ・カントリーマンのMK.I初期型。1960年9月のデビューから2年間は2ボックスサルーンと同じ燃料タンクが使用され、給油口の位置も左側の高い位置にある。

エステートモデルのオースチン・ミニ・カントリーマンとモーリス・ミニ・トラベラーの違いは、2ボックスサルーンと同じく、バッジやフロントグリルの意匠くらいのものでまったく同じモデルと考えて良い。両車に採用された燃料タンクは、サルーン比で4.6L増の29.6Lへと拡大されている。当初はベースとなった2ボックスサルーンと同じく、燃料タンクは車体後部左側にレイアウトされていたが、1962年10月の改良でラゲッジルーム床下に変更され、それに併せて給油口は車体後部右側に変更されている。

1963年型モーリス・ミニ・トラベラー。ボディ後部はアッシュ材のウッドトリムの装飾が備わる。

エステートモデルの上級グレードには生産開始時からアッシュ材のウッドトリムがリアボディに備えられたことが外観上の大きな特徴で、これはモーリス・マイナー・トラベラーのようなボディ構造材ではなく、外観をより華やかに仕立てるための装飾だ。

「ベーシック」グレードのオースチン・ミニ・カントリーマン。エステートモデルの車体後部にはダブルバック(観音開き)ドアが標準で備わる。

なお、エステートモデルのうちウッドトリムを備えた車両だけをオースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーと呼び、これを備えない車両は単に「エステート」として区別したという俗説がまことしやかに囁かれることがあるが、これは勘違いである。

1964年型オースチン・ミニ・カントリーマン。ウッドトリムを備えない「ベーシック」グレードは輸出仕様として1961年春に設定され、イギリス国内では同年秋に追加された。

ウッドトリムを持たないオールスチールの車両は、1961年春から輸出向けに生産されるようになり、翌1961年秋からイギリス国内にも廉価グレードとして販売を開始。いずれのモデルもミニ・カントリーマン/ミニ・トラベラーと呼ばれ、どの市場に対しても「エステート」の名称は使用されてはいない。

モーリス・ミニ・トラベラーMK.I。

ベース車のマイナーチェンジにより1967年にはエステートモデルも進化
1969年に後継モデルの登場により惜しまれつつ終売

ベースとなった2ドアサルーンの改良に合わせて、1967年にオースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーはMK.IからMK.IIへと進化する。主な変更点はグリルの意匠変更とルーフの強度を上げるために左右2本ずつ、計4本のリブが追加された点。加えて、搭載される直列4気筒OHVエンジンは848ccから948ccへと排気量をスープアップされている。

1967年のマイナーチェンジによりMK.IIへと発展した1968年型オースチン・ミニ・カントリーマン。グリルの意匠が変わり、ルーフの強度を上げるために左右2本ずつ、計4本のリブが追加された。

トランスミッションは4速MTと4速AT(イージードライブを求める声に答えるかたちで1965年に追加された)が引き続き用意されていたが、MTの操作機構はリモートコントロール式に改められ、シフトレバーは直立タイプとなり、ドライバーの手元へ移設されている。そして、1968年にはMTがフルシンクロ化されたことにより、操作性が大幅に向上している。

1968年型オースチン・ミニ・カントリーマンのリヤビュー。2ボックスサルーンはコンビランプの形状が変更されたが、エステートモデルはMK.Iのものから変更されることはなかった。

その瀟洒なスタイリングと実用性の高さからクラシック・ミニのバリエーションの中でも高い人気を誇ったオースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーであったが、1969年秋に後継車となるミニ・クラブマン・エステートが登場したことで、惜しまれつつも生産を終了する。最終的な生産台数はオースチン・ミニ・カントリーマンが約10万8000台、モーリス・ミニ・トラベラーが約9万9000台であった。

モーリス・ミニ・トラベラーMK.II。

生産終了後もバンやクラブマンをベースに復刻車が作られる

ミニ・クラブマンは新設計された角ばったフロントノーズを持ち、従来のミニよりも前方に10cm延長したことで衝突安全性がわずかに向上。オースチン・マキシと同じウィンカーを採用するなど、各部をリファインした新時代のミニとして鳴り物入りで登場したのであるが、製造元のBL(ブリティッシュ・レイランド)の意に反して市場の反応は冷ややかなものだった。

ミニ・クラブマン。

BLの計画では丸いノーズを持つミニは早々に生産を終了させ、クラブマンがその後継になるはずだったのだが、このマイナーチェンジがイギリス本国のみならず世界中のミニファンから酷評されたことで、従来型のミニはMK.IIIへと進化した上で、生産が継続されることになる。

しかし、好評だったオースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーは再び復活することはなく、クラブマンシリーズが生産を終了する1980年まで、その役割はミニ・クラブマン・エステートが担うことになった。なお、クラブマン・エステートは全車ウッドトリムを持たないオールスチールボディであり、「ウッディ」の愛称で親しまれた瀟洒なエステートはとうとう最後まで生産が再開することはなかったのだ。

オースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーの後継として1969年に誕生したミニ・クラブマン・エステート。従来のミニよりも前方に10cm延長した角ばったフロントマスクが特徴となる。

しかしながら、同じボディを持つミニ・バンやクラブマン・エステートは以前の姿で生産が継続されていたことから、エンスージアストの中にはこれらをベースに、リビルドパーツのウッドトリムを用いて新車をベースにした復刻車を作る者も現れ、生産終了後もオースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーの変わらない人気を示すことになる。

ミニ・クラブマン・エステートをベースにオースチン・ミニ・カントリーマン風にカスタマイズした車両。カントリーマン/トラベラーとクラブマン・エステートとはクォーターウインドウとはウィンドウの形状が異なるので容易に識別できる。

本来は両車の最終型は1969年型となるはずだが、正規の生産が終了したあとの年式が存在するそのためなのだ。これらの復刻車両はインナードアヒンジや巻き上げ式サイドウインドウなど、MK.III以降のクラシック・ミニの特徴を備えているため識別は容易となる。

カントリーマン&トラベラーの人気は永遠に……

残存数の多さから輸入旧車の中では、日頃街中で目にする機会の多いクラシック・ミニだが、オースチン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラーなどのエステートモデルはなかなかお目にかかることのない希少なモデルだ。だが、『ジャパンミニデイ in 浜名湖』ではそんなレアな車両が会場の至るところに展示されている。

モーリス・ミニ・トラベラーMK.I。

しかも、わずか2年間しか製造されなかったMK.Iの初期モデルからMK.IIベースの後期モデル、クラブマン・エステート、さらには1969年以降の復刻モデルまで、ありとあらゆる年式・仕様のエステートモデルが一堂に会す機会などそう滅多にあるものではない。

1964年型オースチン・ミニ・カントリーマン。

書物やネットの世界でしか知りようがない各モデルの差異を、会場を巡ることで実際にこの目で見て確かめられるのだから、ミニが好きな人はもちろん、クルマ好きならそれだけで楽しいし、ときに新たな発見や出会いもあっておおいに刺激的だ。そんなことからもクラシック・ミニのファンなら1度は参加すべきイベントだと感じられた。

エステートモデルのラゲッジルームを利用して人形をディスプレイする『第32回ジャパンミニデイ in 浜名湖』の参加者。

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著者プロフィール

山崎 龍 近影

山崎 龍

フリーライター。1973年東京生まれ。自動車雑誌編集者を経てフリーに。クルマやバイクが一応の専門だが、…