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■デボネアがプラウディアとして生まれ変わりデビュー
1999(平成11)年12月20日、三菱自動車は最高級車「デボネア」の4代目に相当する新型車を「プラウディア/ディグニティ」として発売することを発表(発売は翌2000年2月)。デボネアは、三菱グループ幹部のためのショーファーカーとしての位置付けが強かったが、プラウディア/ディグニティも一般ユーザーに普及せず僅か1年余りと短命に終わった。
先代は“走るシーラカンス”と呼ばれた3代続いたデボネア
プラウディア/ディグニティの先代にあたるデボネアが誕生したのは1964年のこと。三菱自動車が三菱重工から独立したのは1970年なので、当時はまだ三菱重工の自動車部門だった。
当時三菱は、軽自動車「ミニカ」や小型乗用車「コルト」シリーズを投入し、自動車総合メーカーを目指してフルラインナップ展開を推進していた。デボネアが目指したのは、当時の「トヨペットクラウン」や日産「セドリック/グロリア」に対抗する最高級車、会社の幹部や政府の要人が運転手付きで乗るようなショーファーカーだった。
目を引いたのは、元GMの設計者がデザインした斬新なアメ車風スタイル。ボンネットとテールの両サイドにエッジを立て、太いフロントバンパーに広いロントグリルなど、豪華かつ重厚な雰囲気を漂わせていた。
パワートレインは、2.0L 直6 OHVエンジンと4MTの組み合わせ、最高速度は150km/hでクラストップレベル。道を走れば注目される存在だったが、残念ながらクラウンやセドリックが市場に普及したのに対して、デボネアは徐々に三菱グループ幹部の社有車的な用途が主になった。
その後、22年間ほぼそのまま、基本設計やデザインを変えずに販売されたことから、“走るシーラカンス”と呼ばれ、1986年に2代目、1992年に3代目へと続いた。
デボネアの後を継いだプラウディア/ディグニティ
1999年のこの日、4代目に相当するデボネアがプラウディア/ディグニティとして生まれ変わることが発表され、翌2000年2月から販売が始まった。プラウディア/ディグニティは、当時資本提携していた現代自動車との共同開発で生まれた。
高級車らしい快適性と静粛性のために安全強化ボディRISEの採用やSRSエアバッグ(前席/助手席/前席サイド/後席サイド)、足回り、シートなど最高級の仕様が選定された。兄弟車のディグニティは、ホイールベースを250mm(全長は285mm)延長したリムジンタイプで、秋篠宮家の公用車として使用されたことで注目された。パワートレインは、最高出力280psを発揮する4.5L V8 DOHCと240psの3.5L V6 DOHCのいずれもGDI(筒内噴射)の2種エンジンと5速ATの組み合わせ。
車両価格は、プラウディの3仕様が460万円(3.5L)/510万円(3.5L)/640万円(4.5L)、ディグニティは1仕様で999万円(4.5L)。当時の大卒初任給は19.7万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値でプラウディアが537万円/595万円/747万円、ディグニティが1166万円に相当する。
ただし、プラウディア/ディグニティもそれまでのデボネアと同様、三菱グループ幹部のショーファーカーとしての役割が主で一般ユーザーに浸透することはなく、僅か1年余りで1228台、そのうちディグニティは59台の販売台数で生産を終えた。
日産フーガ/シーマのOEM供給でプラウディア/ディグニティが復活
初代プラウディア/ディグニティの生産終了から11年を経た2012年に、2代目が復活した。プラウディアは、日産自動車「フーガ」、ディグニティは「シーマ」のOEMモデルである。
プラウディアのエンジンは、最高出力225ps/最大トルク26.3kgmの2.5L(VQ25HR)と333ps/37kgmの3.7L V6 DOHC(VQ37VHR)の2種で、ディグニティは3.5L V6エンジンに68psのモーターを組み合わせたハイブリッドが設定された。
本家のフーガとシーマとの違いは、グリルとエンブレム、ホイールキャップぐらいなので、プラウディア/ディグニティ自体の存在感をアピールすることなく、2016年に販売を終了した。
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デボネアとプラウディア/ディグニティは一般ユーザーには浸透しなかったが、これだけ長く生産し続けられたのは、巨大な三菱グループのショーファーカーとしての需要があったからだろう。そのためか、初期のデボネアは別としても、その後は何となく一般ユーザーに対するアピールもあまり積極的でなかった。
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