2月4日より全国ロードショーとなる映画『ゴーストバスターズ/アフターライフ」、そしてロードショーに併せて日テレ系金曜ロードショーでは、ゴーストバスターズ第1作(1984年公開)が放映され、注目されている。
やはりクルマ好きとして気になるのは、登場するクルマ。それもいい脇役となっているのが、彼らがゴースト退治の現場に急行する、ルーフに意味のわからない装置が満載されるモデル「ECTO-1」だ。ここではそのベースとなった、キャデラックの全盛といっても過言でない1959年モデルを紹介しよう。
古いステーションワゴンタイプのアメ車だが、これは1959年型のキャデラック。当時のキャデラックはワイドバリエーションで、2ドア、4ドアのセダン&クーペから、コンバーチブルなどをラインアップしていた。このワゴンスタイルは救急車や霊柩車用の専用モデル。映画のなかではレイモンド・スタンツ博士がオンボロのベース車を4800ドルで買ったといい、主人公のピーター・ヴェンクマン博士を落胆させる。それは単に25年前のクルマを買ったからではない、と思う。
ここで紹介する写真ではワゴンのベースモデルの写真は見つからなかったのだが、最上級モデルエルドラドのコンバーチブルでこのモデルの特徴を紹介したい。また偶然なのだが59年モデルのミニカーがあったのでそちらも利用して紹介しよう。
なによりも目に飛び込んでくるのが、ボンネットのサイドに長く鋭く伸びたテールフィン。この59年モデルを境にフィンは小さくなっていくのだが、それでもキャデラックの象徴としてイメージは残されていくことになる。
ではなぜこのテールフィンが大きくなっていったかといえば、キャデラックはGMにとっての最上級モデルであると同時に、常に最新鋭モデルという位置づけにあった。そのため、先達のモデルより戦闘機のような流線型のスタイルをモチーフとし、テールエンドに整流をイメージさせる大きめのリヤランプなどを装備してきた。
とくにこの59年モデルの登場した時代は、アメリカの経済的にも絶頂期にあり、その富の象徴とも感じられるほどにフィンが大型化していった。リヤからの眺めでは、フィンが垂直尾翼、テールランプはジェットエンジンにも見えてくる。フロントも丸型4灯式でワイドグリル。どっしりと安定感のある、プレステージサルーンだ。
しかし、この映画の作られた80年代初頭といえば、日米自動車摩擦の真っ只中。60年代中頃から北米でも日本車の低価格、低燃費、高品質ぶりが注目されてきた。70年代に入ってその人気は加速し、70年代末の第二次オイルショックによって、北米でも小型車志向が加速していった。80年代に向けてようやくビッグスリーも小型化に乗り出すが、日本車人気はとどまるところを知らず……という、そんな流れのなかでの映画である。
だからこそ、華やかさ絶頂のテールフィンのクルマは、いま見ればよき時代の象徴であるが、84年のアメリカの空気感ではまさに「無用の長物」。ヴェンクマン博士にして見れば、「そんなものを修理してまで使うとは、気が知れねぇ」というわけだ。
そんなクルマなのだが当時はワゴンとするにあたって、テールフィンは大事にされ形状はしっかりと守られた。キャビンはフィンの内側に美しく整形されワゴンスタイルを実現。そのためにリヤゲートはかなり小さなものになってしまった。しかし、それこそがキャデラックであり、空力=ストリームラインのボディをまとった先進の造形でなければならない。こうした造形によって、一連のキャデラックらしさはしっかりと保たれたのだ。
サイドに回れば、高く大きなテールフィンは印象的ながら、フィンの下にボディの立体面が形作られるが、全体の流れは尻下がりの優雅さを持つ。これは止まっていても走っているように見える、ロールス-ロイスなどが好むフォルムでもある。
時代ごとに見せるクルマのフォルムは印象的だ。そのなかでも50年代末ごろのアメ車のデザインはもっとも特徴があるもの。機能ばかりでなくその装飾性に大きな意味を持った時代があったことは非常に興味深い事実であると思う。
このECTO-1は、最新作、『ゴーストバスターズ/アフターライフ』でも大活躍。ゴーストバスターズのもうひとりの博士、イゴン・スペングラーの孫が封印されたECT0-1を発見することから始まる物語だ。
ECTO-1はオフィシャルサイトで確認を! シリーズのなかで、もっともECTO-1が活き活きと輝いている。