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ミニバンの大きな波、それはアメリカから始まった
今になってもどう評価したものかと困惑してしまうクルマがある。2008年に登場したスバル・エクシーガもそんなクルマの一台だった。
1990年代後半から2000年前半にかけて、日本は間違いなくミニバン・ブームの真っただ中にあった。ミニバンのデザイン・コンセプトの発祥がトヨタMP-1なのかランチア・ガンマなのかという議論はともかく、ミニバンというジャンルが誕生してクルマ文化として根付いたのは間違いなく北米市場--アメリカである。これに関しては国産車信奉も欧州車崇拝も口を挟む余地はないはずだ。
戦後すべてのバンの起源とも言えるフォルクスワーゲン・タイプ2は北米市場でも好評を博したが、なにぶんアメリカの企業にとっても家庭にとってもサイズが小さく、いささか使い勝手に不満が生じた。競合していたアメリカの自動車メーカーは、さっそくこれにサイズアップで対抗、1960年代末にはタイプ2のような乗用車ベースではなく、ラダーフレームの小型トラックをベースとしたバンが続々と投入された。
これらのバンの平均全長約5m×全幅約2mというサイズはタイプ2(T1)の全長4.1m×全幅1.7mと比べて一回り大きい。異論・異説が多々あるのは承知の上だが、当時、タイプ2が市場で「コンパクトバン」と称していたことから、これらのバンは販売上の惹句として「フルサイズバン」を名乗ったのだという。ちなみに「フルサイズ」とは北米市場での自動車のサイズの概念で「大型車」を意味するが、これもまた多分に広告宣伝的な意味合いを持つもので、厳密なサイズ規定が存在するわけではない。あくまで「隣のクルマが小さく見えます」のような、何らかのベンチマークとの比較において、車格の大きさをユーザーに強調するために用いられた言葉だ。
さて、アメリカでは1970年代末に台頭してきた新保守主義により、家族の価値が第一とする考え方が広まりつつあり、離婚やシングルマザーの増加は女性の社会進出の増加に伴うものだと批判する風潮も高まりつつあった。つまり「女性は家族のために尽くす専業主婦が最も尊い」とする考え方である。このような背景のもと1981年にアメリカ大統領に就任した保守派、共和党のロナルド・レーガンは、教育長官とともに、アメリカの教育パフォーマンスを向上させる狙いもあって日本の教育志向の母親--いわゆる「教育ママ」--を称賛した。かくしてアメリカ版「教育ママ」と言われる「サッカーマム(サッカー母ちゃん)」という層が誕生する。
どちらかと言えば勉学一辺倒の日本の「教育ママ」とは違い、アメリカでは大学の入試制度の違いもあって、文武両道かつリーダーシップとコミュニケーション能力をも我が子に求めた。このため子どもにサッカーを習わせることが流行する。アメリカではチームスポーツなら野球やバスケットボール、アメフトの方がメジャーではないかと思われるだろうが、メジャーであるがゆえに、これらの少年チームの中でも有名どころはプロ選手や有名校への推薦入学を目指す子どもが多いため必然的に指導のレベルが高く、もはや「習いごと」の範疇を越えている。そこで欧州ではメジャーだが、アメリカではマイナーなスポーツであったサッカーが注目されたという。
こんな事情からアメリカの家庭--特にアッパーミドルと呼ばれた、いわゆる中産階級。日本で言う「中流の上の方」--では、子どものサッカーの練習や試合の送迎のために多人数乗車が可能なクルマが求められることになったが、そのニーズに呼応するように登場し、注目を浴びたのが「ミニバン」であった。トラックをベースとした大型の「フルサイズバン」に対し、乗用車をベースとしたより小型のバンであることから「ミニバン」と呼ばれることになるのだが、何のことはない、フォルクスワーゲン・タイプ2の「コンパクトバン」の昔に返っただけの話だ。「ミニバン」は「サッカーマム」に大歓迎され、1980年代以後、アメリカどころか世界的に「幸せ家族のファミリーカー」のアイコンとなっていく(逆にスポーツカーやGTなどのクルマ好きからは「サッカーマムのクルマ」と、いささか侮蔑的な呼ばれ方をされるのだが…)。
さて、いわゆる「ミニバン」はアメリカの「連邦自動車安全基準」(Federal Motor Vehicle Safety Standards=FMVSS) の定義では「多目的多人数乗用車」に属するクルマだが、この英文、Multi-purpose Passenger Vehicleの頭文字が「MPV」である。MPVは「トレーラー以外の車両で10人以下の乗員を運ぶよう設計され、原則としてトラックシャシー上に架装されるか、もしくはオフロードで使用される特性をもつもの」をいうが、この「トラックシャシー」や「オフロード」という原則論を取り上げて、「ウチのクルマはトラックがベースでもオフロード車でもない」と、主に商売上の理由からアメリカの自動車メーカー(と広告代理店)が「今までにない新しい車種」を主張したのが「ミニバン」の正体と言っていいだろう。SUVの用法に準じれば、要は「クロスオーバーMPV」ということになる。
実は、いわゆるMPVは意外と古くから日本にも存在していたが、1980年代初頭はまだステーションワゴンや2ボックス・セダンの拡大版といった捉え方であり、「ミニバン」という概念は明確ではなかった。弊社が刊行していた月刊自動車誌『モーターファン』でも、当時はむしろFMVSSが定義したMPVの方が車種を定義する言葉として頻繁に使用されていた。
ところが1988年にマツダがそのものズバリ、「MPV」を車名としたクルマを北米で販売すると、特定車種名との混同を避ける意味からか、途端に日本の自動車業界ではMPVという言葉は鳴りを潜めてしまう。さすがにマスコミが「市場ではMPVが好調」などと書いてしまうと、特定車種を指していると誤解されかねないからだろうか。これ以後、多人数乗用車のすべてが「ミニバン」という概念でくくられ始めていく。こうして「MPV」という概念が消失してからは、日本では多人数乗用車が何でもかんでも「ミニバン」になるのだが、これがまた新たな混乱の元になっていく。
もともとセダン型MPVやワゴン型MPVとして売っていたものまで後に「ミニバン」に分類されたことから、1990年代以後の日本では、その呼称は様々だが、ステーションワゴン型スタイリングの背の低い「ローハイト・ミニバン」と、ボックス型スタイリングの背の高い「トールボックス・ミニバン」という2種類の「ミニバン」がカテゴライズされるようになった。前者の代表がホンダの初代オデッセイ、後者の代表が同じく初代ステップワゴンと言えばわかりやすいかもしれない。
すべてが「ミニバン」という概念にくくられてしまってから10余年。マツダの同名のクルマも2代目を数えて世間に定着した2010年前後には、自動車技術者はともかく、世間はすっかり「MPV」という概念を忘れ去っていた…。
スバル・エクシーガとはいったい何だったのか?
さて、スバルは1983年に多人数乗車小型ワンボックスカーのドミンゴを発売、2代目を数えて1998年まで販売した。GMと資本提携していた2001年には同じGMグループであるオペルからOEM供給されたボックス型ミニバンのザフィーラをスバル・トラヴィックとして発売したが、これもザフィーラの生産中止に伴って2004年に生産中止となり、翌年販売終了。以来、スバルは当時の売れ線であるミニバンをラインナップしていなかった。そこで2008年に満を持して登場したのが独自開発のミニバン(と、ここでは言っておく)、エクシーガである。
実はエクシーガは自ら公式には「ミニバン」と名乗ってはいない。「このクルマは”スバルらしい多人数乗車モデル”をテーマに掲げた『7シーター・パノラマツーリング』である」…と言われても、何のことやら、正直、当時の筆者には「ちょっと何言ってるかわからない」だった。開発のリーダーをつとめられた大雲浩哉プロジェクトマネージャー(PGM)(当時)が開発の狙いを語った際に「当社の代表的な商品(当時)はレガシィ、それもワゴンなので、そのDNAをもつ新しいジャンルの乗用車的なミニバンでいこうということになりました」と明確に「ミニバン」という語を用いられているから、要するにホンダ・オデッセイあたりに範をとった「ローハイト・ミニバン」だろうと思ったのも当然だ(無論、筆者の呆れた無知蒙昧っぷりの言い訳だ)。
エクシーガはインプレッサのシャシーをもとに造られた「SI(スバル・インテリジェント)シャシー」を用いた3列シート車で、正直、各部がちょっとずつ大きくなったレガシィといった趣だった。これは先述の大雲PGMの言葉通りに「狙い」である。
「サイズとしては、オデッセイ(ホンダ)やMPV(マツダ)、プレサージュ(日産)よりはやや小さめ、ストリーム(ホンダ)やウィッシュ(トヨタ)よりは大きめとし、あくまで乗用車タイプのミニバンにしようということになりました」(大雲PGM)
このサイズで3列シートということで、室内はかなり窮屈かと思いきや、前席から後席に行くにつれて着座位置が高くなる「シアターレイアウト」の採用と、それに伴う足入れ性の高さというレイアウトの妙により、3列目席でもまったく窮屈さを感じさせなかった。おまけにオプションの「パノラミックガラスルーフ」を装着すれば、視覚効果でトールボックス型ミニバンの頭上空間に負けない頭上の解放感を得ることが出来たのである。
もちろん走りはミニバンの中では一級品と言っても良く、エンジンはおなじみEJ20型2ℓ水平対向4気筒、NAとターボを用意する(2009年にEJ25型2.5ℓが追加)。インプレッサで定評のあるマクファーソン・ストラット(前)とダブルウィッシュボーン(後)のサスペンションはしなやかに動き、乗り味はしっとりとフラット。ターボモデルのみパワステが油圧アシスト式だったが、これは素晴らしかった。お得意のAWD(4WD)車に装備された45:55の前後トルク配分を自在に変化させるVTD-4WDシステムもまた然り。
エクシーガは、少なくとも筆者にはあらゆる点で常識を超えた「ミニバン」であり、疑う余地のない「いいクルマ」だった。しかし、「これは果たしてミニバンなのだろうか?」という疑念が頭をよぎったのも事実である。ステーションワゴンならスバルにはレガシィがあるのに、「いったい何を目指しているのかわからない」というのが正直なところだった。実際、発売1ヶ月後で月販目標の2倍の受注を記録して以後は低空飛行が続いた。つまり「売れなかった」のである。
最近、ミニバンから撤退したとあるメーカーがまとめたところでは、この時期のミニバン市場は他の車種からの乗り換え(流入)やミニバンの買い替え(リピート)ユーザーが多かった。「ミニバン最大のメリットは大容量であること」という点がユーザーに十分に浸透し、見るからに大容量の背の高いトールボックス型ミニバンへ徐々に人気がシフトしていた時期であり、背の低いステーションワゴン型のローハイト・ミニバンは淘汰が始まっていた。エクシーガの登場は時機を失したと言えるかもしれない。
だが、完全に筆者の私観ではあるが、それ以上にユーザーが「結局、スバルにはミニバンを求めていなかった」という点と、エクシーガが「何を目指しているのかわからない」クルマだと思われてしまった点が大きかったのではないかと思う。「何を目指しているのかわからない」という点は、2015年のマイナーチェンジにおいて「エクシーガ クロスオーバー7」と名を変え、多人数乗車クロスオーバーSUVへと路線変更したことで、一段とユーザーの混迷を深めてしまう結果になった。
しかし発売以来、SUVに宗旨替えした後も含めて10年間におよび、エクシーガがスバルの3列シート車のラインナップを支え続けたのは事実である。今ならエクシーガというクルマが何だったのかがわかる。SUVへの移行も説明がつく。エクシーガとは「ミニバン」ではなく、スバルが誇るべき「クロスオーバーMPV」だったのだ。
■スバル エクシーガ 2.0GT(4WD)主要諸元
全長×全幅×全高(mm):4740×1775×1660
ホイールベース(mm):2750
トレッド(mm)(前/後):1525/1530
車両重量(kg):1590
乗車定員:7名
エンジン型式:EJ20 AVCSターボ
エンジン種類・弁機構:水平対向4気筒DOHC16v
総排気量(cc):1994
ボア×ストローク(mm):92.0×75.0
圧縮比:9.0
燃料供給装置:EGI
最高出力(ps/rpm):225/5600
最大トルク(kgm/rpm):33.2/4400
トランスミッション:5速ATスポーツシフト付き
燃料タンク容量(ℓ):65
10.15モード燃費(km/ℓ):12.0
サスペンション方式:(前)マクファーソンストラット/(後)ダブルウィッシュボーン
ブレーキ:(前)ベンチレーテッドディスク/(後):ディスク
タイヤ(前/後とも):215/50R17
価格(税別・東京地区):278.25万円(当時)
*当初、「車両重量」の数値が「総重量」の数値と誤って記載されておりました。2022年5月15日に訂正させていただきました。謹んでお詫びさせていただきます。