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日産は古くから市販車の耐久テストや耐久性アピールの場としてラリーに参戦してきた。まず1970年のブルーバード1600SSS(P510型)、1971年と1973年のフェアレディ240Z(HS30型)でサファリラリー3勝。さらに、1979年〜1982年はバイオレット160J(KP710型)とバイオレットGT(PA10)で4連勝と”サファリラリー=日産”のイメージを高め、「ラリーの日産」と称えられた。
その後、WRC(世界ラリー選手権)は1982年に発効されたグループBがトップカテゴリーになり、日産はグループBのコンペティションマシンとしてシルビア(S110型)の外観を持った240RSをリリース。しかし、グループBはアウディ・クワトロの”クワトロショック”で急速にターボ+4WD(+ミッドシップ)のクルマに支配されていく。
そんなグループB時代、勝利には恵まれなかった240RSだが、これまでの日産ラリーカーの美点を受け継いだシンプルで扱いやすく頑丈なマシンとして多くのプライベーターに愛され、耐久色の強いラリーで好走を見せた。
シルビアでFRラリーカーの最後を飾る
グループBの時代の流れに翻弄された240RSだが、これまでの相次ぐ事故によりWRCはグループBを禁止し、トップカテゴリーは1987年からより市販車に近いグループAで争われることになった。急なレギュレーション変更に対応できたメーカーはほとんどなく、4WD+ターボのマシンを投入できたワークスはわずかにランチアとアウディ、マツダだけであった。
トヨタと日産は大排気量FRでこの急場を凌ぐべく、前者はスープラを後者はシルビアをWRCに投入した。
シルビアの競技車両といえばグループ5のシルエットカーのイメージが強く、ラリーの組み合わせは意外に感じるかもしれないが、S110型はグループB以前のグループ2/4時代からラリーに使用されており、グループBマシンである240RSはそのS110型がベースとなるなど、1980年代のシルビアはラリーと親和性の高いマシンでもあったのだ。
1987年から実戦投入されたのはS110型の次のモデルであるS12型だった。
S12型シルビアは1983年にデビュー。ノッチバックとハッチバックのボディを持つスポーティクーペで、エンジンは1.8LのCA18系と2.0LのFJ系が搭載され、トップモデルにはそれぞれターボが追加されている。最終的にCA18DETに集約されるが、ラリーに投入されたエンジンはそのどれでもなく、Z31型フェアレディZなどに搭載されていた3.0LのVG30Eだった。これはシルビアの北米仕様である200SXであり、当時のエントリー名もシルビアではなく200SXと記されていた。
とはいえ、グラベルラリーではFRマシン最後の楽園であったサファリラリーも1987年のアウディ、1988年のランチアと4WDが制覇。日産はサファリを中心に耐久色の強いラリーに200SXを投入して1990年まで戦うが、苦しい戦いを強いられた。1988年と1989年のサファリラリー2位、1988年のアイボリーコーストラリー優勝が200SXの勲章だ。
1988年はフォード・シエラRSコスワースがツール・ド・コルスでFRマシン最後の勝利を挙げた年でもあり、グループAも完全に4WDの時代に突入。フォードは翌1989年はシエラRSコスワース4×4開発のためワークス参戦していないので、日産と200SXはWRCで最後に残ったFRワークスマシンとしてその奮闘が記憶される。
待望の4WD+ターボのグループAマシンで「ラリーの日産」復活を期す
グループA黎明期、FRの200SX(シルビア)で苦しい戦いを続けた日産は捲土重来を期して1990年に4WD+ターボの新たなWRCウェポンを開発。それがN14型パルサーにDOHC2.0LターボのSR20DETエンジンを搭載した4WDマシンのパルサーGTI-R(RNN14)だ。
初期グループAを席巻したランチア・デルタとそれに対抗したマツダ323(ファミリア/BFMR型)に倣い、コンパクトなハッチバックボディに2.0Lターボエンジンを詰め込み、ビスカスLSD付きセンターデフ式4WD「アテーサ」を組みわせた意欲的なマシンであった。これは全日本ラリーで実績のあるU12型ブルーバードSSS-Rのコンポーネンツをより小さなマシンに詰め込む手法であり、三菱のギャランVR-4→ランサーエボリューション、スバルのレガシィRS→インプレッサWRXに先駆けることになった。
1990年を開発期間に充て、翌1991年の第39回サファリラリーに投入され、ランチア、トヨタワークスの4台に続く5位入賞とまずまずのでWRCデビューとなった。
しかし、その後の戦績は伸び悩むことになる。その要因はコンパクトなボディに発熱量の大きなターボエンジンを詰め込んだために冷却に苦労した点や、ホイールサイズが14インチであったことから16インチまでのホイールしか履けない(レギュレーションでベース車+2インチまでの拡大が認められていた)点、フロントヘビー(一説にはフロント7:リヤ3とも)に起因するハンドリングがネックになったと言われる。
(デルタインテグラーレ、セリカGT-FOUR、ランサーエボリューション、インプレッサWRXはベース車が15インチ)
また、参戦プログラムの少なさも熟成に手間取る要因にもなっていたかもしれない。成績の低迷、そしてバブル経済の崩壊の影響から日産自体の業績も厳しさを増したことから、1992年をもって日産ワークスはWRCからの撤退が決定。パルサーGTI-Rは1992年の第41回スウェディッシュラリーで獲得した3位を唯一の表彰台としてWRCの舞台から去ることになった。
とはいえ、グループAでこそ目立った戦績は残せなかったものの、よりノーマルに近いグループNではクラス優勝を飾るなど活躍。
さらに全日本ラリー選手権では1990年の終盤よりU12型ブルーバードSSS-Rに代わり実戦投入され、1991年、1992年とセリカGT-FOUR(ST185)、ギャランVR-4、レガシィRSと争い好成績をおさめている。ただ、全日本選手権でもランサーエボリューションとインプレッサWRXのデビュー後は成績が低迷。その後、全日本ラリー参戦車はこの2車種に塗り潰されることになる。
日産のお家事情があったとはいえマシンのポテンシャルは高かっただけに、ランサーエボリューションやインプレッサWRXのようにアップデートを重ねていけばさらなる活躍ができたのではないかと惜しまれる。
ブルーバードSSSがもしWRCに投入されたら……
前述の通り、日産は急遽到来したWRCのグループA時代にFRのシルビア(200SX)を投入した。これはスープラを投入したトヨタと同じ選択だが、トヨタは1986年にデビューしていた4WD+ターボマシンであるセリカGT-FOUR(ST165)を1988年に投入している。
では日産には本当にグループAで使える4WD+ターボのクルマがなかったのだろうか?
日産には1987年にリリースした8代目ブルーバード(U12型)に、1.8L直列4気筒DOHCインタークーラーターボのCA18DETエンジンにビスカスLSD付きセンターデフ式4WD「アテーサ」を組み合わせたモデルを設定。さらに全日本ラリー選手権を頂点とした国内競技用に快適装備を外して軽量化、競技専用装備を与えられ、エンジンをコスワース製鍛造アルミピストンでパワーアップしたSSS-Rが用意された。
デビュー翌年の1988年から全日本ラリー選手権に投入されチャンピオンを獲得。当時の全日本ラリーはレビン/トレノ(AE86)やランサーターボ(A175)、スタリオンターボ(A183)といったFR勢がまだまだ活躍しており、4WD+ターボはファミリア(BFMR)やレオーネ(AG5/AG6)が先行していた程度だった。
ブルーバードSSS-Rは同じく1987年にデビューした三菱ギャランVR-4、セリカGT-FOURと全日本王座を争っていく。
U12型ブルーバードは1989年のマイナーチェンジでエンジンをCA18DETがSR20DETに変更。さらなるパワーアップが図られ、30kgmという強大なトルクを持つギャランVR-4や220psという当時2.0L最強のパワーでデビューしたレガシィRSに対抗。パルサーGTI-Rの実戦投入まで全日本ラリー選手権の有力マシンとして活躍する。
デビュー年 | メーカー | 車名(形式) | エンジン | パワー | トルク |
1986 | トヨタ | セリカGT-FOUR(ST165) | 3S-GTE 1998cc 直列4気筒 | 185ps/6000rpm | 24.5kg/4000rpm |
1987 | 日産 | ブルーバードSSS-R (RNU12) | CA18DET-R 1809cc 直列4気筒 | 185p/6400rpm | 24.5kg/4400rpm |
1987 | 三菱 | ギャランVR-4 (E38A) | 4G63 1997cc 直列4気筒 | 205ps/6000rpm | 30.0kgm/3000rpm |
1989/1 | スバル | レガシィRS (BC5) | EJ20 1994cc 水平対向4気筒 | 220ps/6400rpm | 27.5kgm/4000rpm |
1989/8 | マツダ | ファミリアGT-X (BG8Z) | BP 1839cc 直列4気筒 | 180ps/6000rpm | 24.2kgm/3000rpm |
1989/10 | 日産 | ブルーバードSSS-R (HNU12) | SR20DET 1998cc 直列4気筒 | 205ps/6000rpm | 28.0kgm/4000rpm |
1989/10 | 三菱 | ギャランVR-4 (E38A) | 4G63 1997cc 直列4気筒 | 220ps/6000rpm | 30.0kgm/3500rpm |
1990/8 | 日産 | パルサーGTI-R (RNN14) | SR20DET 1998cc 直列4気筒 | 230PS/6000rpm | 29.0kgm/4800rpm |
1990/8 | トヨタ | セリカGT-FOUR(ST185) | 3S-GTE 1998cc 直列4気筒 | 225ps/6000rpm | 31.0kgm/3200rpm |
1990/10 | 三菱 | ギャランVR-4 (E38A) | 4G63 1997cc 直列4気筒 | 240ps/6000rpm | 30.0kgm/3000rpm |
セリカGT-FOUR(ST165)は2年目の1989年に初優勝し、カルロス・サインツを擁し1990年にはドライバーズチャンピオンを獲得する。
ギャランVR-4も同じく1988年にWRCに投入。1989年に2勝し、1992年までに通算5勝を重ねた。
最もワークス参戦の遅かったレガシィRSのデビューが1990年で、1993年に1勝を挙げる。
トヨタ、三菱、スバルは他に適したモデルがなかったとはいえ、やや大柄なボディのこれらの車種である程度の成功をおさめることができた。フォードも同クラスのシエラRSコスワース4×4で一定の成果を挙げている。
それだけに日産が、早い段階でU12型ブルーバードをWRCに投入していれば史実以上の成果が得られたのではないかと夢想してしまう。ブルーバードSSSで先行して参戦していれば、ブルーバードの活躍はもちろん、パルサーGTI-Rに代替わりした時にも、ランサーエボリューションやインプレッサWRX、エスコートRSコスワースのように活躍できたのではないだろうか?と思わずにはいられない。
日産のネオクラシック車を見るならイベントにGO!
2022年12月に開催されたニスモフェスティバルのように、日産が出展するイベントではヘリテージコレクションに収蔵されるネオクシック車が展示されることが多い。
さらに同じく2022年11月に開催されたオーテックのミーティングでは貴重なネオヒストリック車のオーナーカーが多数参加。いろいろな日産のネオヒストリック車を見ることができた。
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