超希少車現る! 君はフロンテ800を知っているか? 【第19回まつどクラシックカーフェスティバル2023】

コロナウイルスの影響で開催が延期されてきた「まつどクラシックカーフェスティバル」が4年ぶりに開催された。地下駐車場となる会場は地上で開催されている「松戸まつり」の喧騒とは裏腹に静かな環境。そこにとんでもないレア車が展示され来場者の目を引いていた。
PHOTO&REPORT●増田 満(MASUDA Mitsuru)
1966年式スズキ・フロンテ800。

スズキといえば今も昔も軽自動車のイメージが強い。実に1955年だからスバル360が発売される3年も前に360cc規格の本格軽自動車としてスズライトを発売しているので、スズキは軽自動車のパイオニア的存在でもある。スズライトはスズライトフロンテ、フロンテ360へ発展してスバル360とライバル関係になっていくが、小型自動車への参入も計画されていた。

今はなき2ドアセダンのスタイリング。

60年代初頭の小型車といえば61年発売のトヨタ・パブリカ、63年発売のダイハツ・コンパーノとマツダ・ファミリアなど800cc前後の排気量を備えるモデルが多かった。もちろんそれより小さな三菱500やコルト600なども発売されていて、1リッター未満の小型車が比較的多い時代でもあった。それゆえにスズキもこの市場への参入を目論み62年から3年連続で東京モーターショーの前身である全日本自動車ショーに800ccクラスの小型乗用車を参考出品していた。

コラム4速シフトを備えるインテリア。

会場での感触や試作車の完成度が高まったことを受けて1965年、ついにスズキはフロンテ800を新発売して小型車市場への参入に成功する。スズキらしいのは搭載エンジンが2ストロークだったこと。水冷3気筒785ccのC10型エンジンは41ps/4000rpmの最高出力と8.1kgm/3500rpmの最大トルクを発生。これは当時クラストップの性能であり、1リッタークラスのモデルと遜色ない高性能ぶりといえた。

タコメーターがないシンプルなメーターまわり。
AMのみのオートラジオを装備する。

全長3870mm・全幅1480mm・全高1360mm・ホイールベース2200mmと決して大きなボディではないものの、前輪駆動方式を採用することで広々とした室内を実現。大人4人が余裕を持って座ることができる堅実な車体構成であったわけだが、ネックだったのは販売価格。当初のデラックスは54.5万円もした。これは40万円台だったパブリカやファミリアと比べて圧倒的に不利で、同年に三菱から発売されたコルト800にしても43万円だったから高額ぶりが顕著だった。

赤いシートがおしゃれ。リヤへはフロントシートの背もたれを前へ倒して乗り降りする。

価格が微妙だったうえに2ストロークエンジンに対する世間の評価も逆風となった。当時の軽自動車はホンダ以外ほぼ2ストローク方式であり、白煙を吹きながら走るイメージが強い。小型車であるならば白煙を吹く軽自動車より高級さが求められて当然なわけで、フロンテ800だけでなくコルト800もパブリカやファミリアほどには売れなかった。特にFF方式を採用する高価なフロンテ800は当時からまったく売れず、69年に生産を終了するとスズキは軽自動車に専念することになる。スズキ製小型車が復活するのは83年発売のカルタスのことであり、実に14年近くも軽自動車のみを製造し続けることになった。

エンジンは水冷2ストローク3気筒785ccのC10型。
2ストロークオイルは分離給油式のためタンクが備わる。

それから50年以上を経た現在、フロンテ800は超絶レア車といっていい。普通に走っている姿を見ることなど望むべくもないほど希少で、旧車イベントに展示されているのを見ることさえレアケース。数多くのイベントやミーティングを取材してきた経験があるものの、いまだ走行可能なフロンテ800に巡り合ったことはない。それなのに「まつどクラシックカーフェスティバル」の会場に1台のフロンテ800が展示されていたものだから、オーナーにお話を聞かなくてはと喜び勇んで駆け寄った。

エンジンルームに残るコーションプレート。

希少なフロンテ800のオーナーは72歳になる鈴木恒夫さんで、スズキ車ばかりを扱う専門店の主でもあった。それで納得だが、さすがにフロンテ800を走行可能な状態にするには大変な苦労があったはずだ。お話を聞けばこの状態にするためもう1台のフロンテ800を手に入れ、さらにはエンジン単体などの部品を揃えていた。

端正なフロントマスク。なんとFOR SALEの貼り紙が!

このフロンテ800は自走可能な状態にまで仕上げたものの、もう1台のフロンテ800もあるため、当日はフロントウイドーに「FOR SALE」の貼り紙をされていた。勿体ないのではと聞けば、スズライトフロンテFEAやフロンテ360、フロンテクーペなどもそれぞれ複数所有されているとのこと。それとは別に当時360cc軽自動車のエンジンを用いたフォーミュラカーであるFLまで所有され、各地の走行イベントに参加されている。ある意味スズキ360cc車の伝道師のようなオーナーなのだった。

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著者プロフィール

増田満 近影

増田満

小学生時代にスーパーカーブームが巻き起こり後楽園球場へ足を運んだ世代。大学卒業後は自動車雑誌編集部…