天皇陛下のために作られた御料車「日産・プリンスロイヤル」。日本初のリムジンのこだわりが凄い【歴史に残るクルマと技術032】

国産車初の御料車「日産・プリンスロイヤル」は、プリンス自動車によって開発・製造され、1967(昭和42)年2月に宮内庁に納入された。その数カ月前にプリンス自動車は日産自動車に吸収合併されたため、車名には「ニッサン」と「プリンス」の両方が冠された「日産・プリンスロイヤル」となった。以降、2008年までの約40年間2代の天皇陛下に愛用されたのだ。

御料車は、天皇・皇后両陛下が乗られる特別仕様車

御料車の御料とは、高貴な人という意味があり、御料車は“天皇・皇后両陛下がご愛用になる車両”を指す。皇室専用の皇ナンバーのものと品川ナンバーのものがあり、公的なお出ましには皇ナンバー、その他の場合は品川ナンバーをお使いになる。

明治時代までは御料車には馬車が用いられていたが、1912(大正元)年大正天皇のご即位の際に、英国のデイムラー社の「ランドレー」が自動車として初めて採用。1921年に、ロールス・ロイス社の「シルバーゴースト」に変更され、1932年に3代目となる「メルセデス・ベンツ770グローサー」、1951年からは4代目「キャデラック75リムジン」が使用された。

その後日本の自動車技術が急速に進み、純国産車がデビューし始めた1960年代に宮内庁から御料車を国産車にしたい旨の要望が出された。その要望に応えたのが、プリンス自動車であり、1967年に「日産・プリンスロイヤル」が日本車として初めて御料車に採用されたのだ。

1967年に御料車として皇室に納入された「日産・プリンスロイヤル」

皇室とゆかりが深かったプリンス自動車が御料車製造に選出

御料車の国産化に名乗りを上げて選ばれたのが、すでに「スカイライン」や「グロリア」などを生産し、高い技術力と生産能力を誇っていたプリンス自動車だった。

プリンス自動車が選ばれた理由は、その技術力もさることながら古くから皇室と接点があったためだ。当時の皇太子(現在の上皇陛下)は、大のクルマ好きで自らクルマを運転するのが趣味であり、1954年に献上された「プリンス・セダン」以降も、「スカイライン」や「グロリア」などプリンスのクルマを愛用され、すでに公用車としての納入実績があったのだ。また、会社が都内にあったためメンテナンスの面でもプリンス自動車は好都合だった。

1957年に誕生した初代「スカイライン」。重厚なアメリカンスタイルの高性能セダン

そもそもプリンス自動車という名前は1952年に皇太子の立太子礼を記念して付けられたもので、皇室と縁が深いメーカー。プリンス自動車は早速、専属チームを立ち上げて、宮内庁の要望を受けながら開発に取り組んだ。

1965年に完成して御料車「プリンスロイヤル」の車名で発表。ところが、翌1966年4月にプリンス自動車は日産に吸収合併されたため、その年の10月に正式発表されたときには、車名は「日産・プリンスロイヤル」となっていた。

日産・プリンスロイヤルには御料車ならではのこだわりが満載

国内最高峰の御料車は、3ボックス型の側面ウィンドウが3分割された6ライトで、縦目4灯ヘッドライトを装備。そのボディサイズは、全長6155mm/全幅2100mm/全高1770mm、ホイールベース3880mmの巨大ボディのリムジンで車重は3200kgに達し、防弾仕様はさらに重くなっていた。

縦目4灯ヘッドライトに、3分割された6ライト式のリムジン

ちなみ大型乗用車グロリアのサイズは、全長4380mm/全幅1675mm/全高1535mm、ホイールベース2535mm、車重1360kgなので、日産・プリンスロイヤルがいかに大きいかがよく分かる。インテリアは、運転席と後部客席の間にガラス製のパーテンションを備え、侍従用の補助2席もある8人乗り。室内はほぼ手作りで、可能な限りの最高級の品質を追い求め、全席は革張り、貴賓席には最高級の毛織物が使用された。

パワートレインは、専用開発された最高出力260PSを発生する6.4L V8 OHVエンジンと、GM製3速ATの組み合わせ。駆動方式はエンジン縦置きのFRで、サスペンションは前がダブルウィッシュボーン、後が半楕円リーフで吊った固定軸、ステアリングはパワーアシスト付きのリサーキュレーティング式だった。

御料車として5台、国賓級の送迎車として2台の計7台が作られ、もちろん市販化はされていない。

日産・プリンスロイヤルの後を継いだのは、トヨタ「センチュリーロイヤル」

日産・プリンスロイヤルは、1967年に納入されて以来、約40年間、昭和および平成の天皇・皇后陛下の公務で使われた。しかし、長期の使用による老朽化や部品交換が難しくなったことから、2000年を迎える頃には最新化が検討され始めた。

当然後継車も日産が担当すると思われたが、当時の日産はルノーと提携して経営再建中、しかも御料車に使用できるベースのシャシーが存在しなかったことから、日産は納入を辞退して、日産・プリンスロイヤルは御料車としての長い役目を終えたのだ。

そこで後継車として選ばれたのが、トヨタ「センチュリー」だった。トヨタの技術を結集して製作された御料車「センチュリーロイヤル」は、先代に負けない豪華さと先進技術満載のリムジンに仕立てられ、2006年に納入されて現在も活躍中だ。

1997年発売の2代目「センチュリー」。「センチュリーロイヤル」のベース車

日産・プリンスロイヤルが発売された1967年はどんな年?

1967年には、日産・プリンスロイヤルの他に「トヨタ2000GT」や「センチュリー」、「ホンダN360」、マツダ「コスモスポーツ」、日産「ブルーバード1600SSS」も登場した。
トヨタ2000GTは、ヤマハと共同開発し世界トップの性能を誇った日本初の本格スーパースポーツカー、センチュリーはトヨタを代表する4.0L V8エンジンを搭載した最高級乗用車。ホンダN360は4ストロークエンジンを搭載して大ヒットした高性能のFF軽乗用車、コスモスポーツは量産初のロータリーエンジン搭載車、ブルーバード1600SSSは国産車初のサファリラリー総合優勝を飾ったスポーツセダンだ。

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1967年にデビューした「トヨタ2000GT」

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1967年にデビューした「センチュリー」

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1967年にデビューした大ヒットした「ホンダN360」

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1967年にデビューした世界初のロータリーエンジン搭載車のマツダ「コスモスポーツ」。シャープな流線形フォルム

その他、この年にはカラーTVの本放送が開始され、ラジオ番組「オールナイトニッポン」の放送開始。タカラの「リカちゃん人形」、森永製菓の「チョコフレーク」と「チョコボール」、人気マンガ「天才バカボン」、「ルパン3世」、「あしたのジョー」の連載が始まった。
また、ガソリン53円/L、ビール大瓶128円、コーヒー一杯77.5円、ラーメン132円、カレー126円、アンパン21円の時代だった。

日本の自動車黎明期に、数々の名車を生み出したプリンス自動車が最後に放った天皇陛下のために作った究極の「ニッサン・プリンス・ロイタル」。御料車として最先端のハイテクとある限りの贅を尽くした、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

日産・プリンスロイヤル 1967年

モデル名:S390P-1
全長×全幅×全高:6155mm×2100mm×1770mm
ホイールベース:-
車両重量:3200kg
乗車定員:8名
フレーム:箱型断面梯子式Xメンバー付
前軸:ダブルウィッシュボーン 後軸:半浮動式リーフ・スプリング式
ステアリング:リサーキュレーティング・ボール式
ダンパー:油圧筒型複動式
スタビライザー:-
エンジン:水冷V型8気筒OHV
排気量:6373cc
最高出力:260ps
トランスミッション:3AT
駆動方式:FR
最高速度:160km/h

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…