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居住性が重視されてFRからFF化が加速
自動車が誕生した時点では、リヤにエンジンを搭載して後輪を駆動するRRレイアウトが一般的だったが、振動・騒音面で不利だったので、それを解消したFRがすぐに駆動方式の主役となった。
一方、FFレイアウトを本格的に量産化したのは、1934年にデビューしたシトロエン「7CV」。一方、日本車で初めてFFを採用したのは、スズキ「スズライト(1955年~)」だった。
その後、長くFR主流の時代が続いたが、FFの弱点だったステアリングの操作性や信頼性が改善され、さらにマイカーブームが到来したことにより、クルマに対する要求が性能重視から居住性など実用性重視へと変化し始めた。
この市場変化を受け、ホンダが「N360(1967年~)」、「シビック(1972年~)」にFFを採用し、FF化で先行。日産自動車が初めてFFを採用したのが「チェリー(1970年~)」であり、トヨタはやや遅れて「コルサ/ターセル(1978年~)」だった。
その後1980年代に入り、「カローラ」や「サニー」、「ブルーバード」など人気の大衆車が次々とFF化され、さらに中・大型乗用車でも採用されるようになり、2000年を迎える頃には主流はFRからFFへと完全に移行した。
個性的なスタイリングで登場したFF車チェリー
1966年の発売以降、トヨタ「カローラ」と日産「サニー」の熾烈な販売合戦はヒートアップ。徐々にボディが大型化し、両車ともワンクラス上のモデルにステップアップした。そこで、日産はサニーが担っていたエントリーモデルとして、新たな大衆FF車チェリーを開発した。
チェリーは、トランクを持ったセミファストバックスタイルで、アイラインウインドウと呼ばれた個性的なウェストラインからCピラーへのラインが特徴で、1971年にはリヤクォーターのロングテールが特徴のクーペも追加。
エンジンは、サニーの1.0L&1.2L直OHVを横置きに変更して流用、トランスミッションは3速&4速MTを用意。注目されたFFレイアウトは、現在では非常に珍しい“イシゴニス式”が採用された。
車両価格は、41万~52.5万円(1.0L)/54.5万~57万円(1.2L)と比較的安価に設定。ちなみに、当時の大卒初任給は3.7万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算では1.0Lの最も廉価な仕様で現在の価値では255万円に相当する。
車重を600kg台に抑えた超軽量化ボディに、4輪独立懸架、ステアリングはラック&ピニオンなど最新技術を採用したチェリーの走りは群を抜いており、特に高性能グレードX1(1.2L)は最高速度160km/h、0-400m加速17.3秒と、その走りは1.6Lのスポーツモデルに匹敵した。
特に個性的なスタイリングのクーペは、若者から人気を獲得し、その俊敏な走りはマニアを魅了した。が、一方でFF特有のクセのある操作性がエントリーユーザーにはやや扱い難かった印象を与え、全体として販売は実力ほど伸びなかった。
●現在では非常に珍しいイシゴニス式FFレイアウトとは
現在の一般的なFFレイアウトは、発明者の名前をとった“ジアコーサ式”だ。エンジンとトランスミッションを横一列に置き、トランスミッションと一体式のトランスアクスルから左右にドライブシャフトを伸ばして前輪を駆動する。
一方、チェリーが採用したFFレイアウトは、同じく発明者の名前をとった“イシゴニス式”で、トランスミッションとデフを一体化したトランスアクスルをエンジンの下に置く2階建てのレイアウトが特徴。この方式を初めて採用したのはオースチン・ミニ「AD015」で、水平方向のスペースがコンパクトに設計できるのが最大のメリットだが、2階建て構造のために背が高くなり、特殊な構造なためコスト高になるというデメリットがあり、現在はほとんど採用されていない。
1978年にデビューしたチェイサーの後継「パルサー」でもイシゴニス式を採用したが、1981年のマイナーチェンジで一般的なジアコーサ式に変更。以降、国産量産車でイシゴニス式FFを採用した例はない。
若き日の星野一義選手が、”チェリーの星野“と呼ばれてレースで活躍
販売は期待したほど伸びなかったチェリーだが、一方で高性能グレードX1を中心に一部の走り屋には熱狂的に支持され、また日産のワークスマシンとしても数々のレースで活躍した。
1971年10月に開催された富士マスターズ250kmレースのツーリングAクラスで1-2フィニッシュを飾り、当時日産ワークスの大森ワークスに所属していた、まだ駆け出しの星野一義選手がチェリーを駆けて活躍したのは有名である。
他のドライバーがFF特有の挙動に苦しむなか、星野選手はタックインを巧みに使いながらドライブし、“チェリーの星野”として注目された。星野選手は、その後F2やグランドレースにステップアップし、誰もが認める“日本一速い男“の称号を得たのだ。
日産チェリーが誕生した1970年は、どんな年
1970年には、日産チェリーの他にスズキの「ジムニー」も登場した。ジムニーは、軽自動車初の本格4WDオフロード車であり、現在も唯一無二の軽オフローダーとして変わらぬ人気を獲得しているロングセラーモデルである。
その他、日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げ成功、日本初の国際博覧会の大阪万博(Expo’70)が開催、よど号ハイジャック事件が発生、そして日本の呼称が“ニッポン”に統一された。
当時、都市部で光化学スモッグが頻発するようになり、自動車による排ガス公害が社会問題化し、排ガス規制強化の動きが高まったのはちょうどこの頃である。その他、ビートルズが解散し、トミーの「トミカ」が発売、ケンタッキーフライドチキンの日本1号店が名古屋にオープンした。
また、ガソリン54.5円/L、ビール大瓶142円、コーヒー一杯95円、ラーメン100円、カレー150円、アンパン25円の時代だった。
日産として初めてのエンジン横置き方式のFF大衆車「チェリー」。今では珍しい扱い難いイシゴニス式FFながら、俊敏な走りでマニアを魅了した革新のFF車、日本の歴史に残るクルマであることに間違いない。