スズキ「アルト」は、どのようにして衝撃の低価格47万円を達成したのか【歴史に残るクルマと技術043】

スズキ・アルト
スズキ・アルト
スズキ(当時は、鈴木自動車)は1979(昭和54)年、物品税がかからず価格が安くできる商用車でありながら、乗用車のようなスタイルの“軽ボンネットバン”「アルト」を発売。商用車にすることで物品税がかからないため、衝撃的な47万円の低価格で登場した

●日本初の軽乗用車「スズライト」から始まったスズキの軽自動車

1920年に鈴木式織機として創業したスズキは、将来を見越し自動車事業への転身を計画。2輪車で成功を収め、1955年に日本初の本格的な量産軽乗用車「スズライト」で4輪車事業に参入した。
その後も軽自動車のパイオニアとして、スズライトから「スズライト・フロンテ」を経由し、1967年に「フロンテ360」へと進化させた。フロンテ360は、空冷3気筒2ストロークエンジンを搭載し、軽自動車とは思えぬ軽快な走りが人気を呼んで大ヒットしたのだ。

「スズライト」
1955年に登場した日本初の軽乗用車、日本初のFF車「スズライト」

しかし、1970年代前半のオイルショックや排ガス規制の強化により大きな打撃を受けたのは、エンジン排気量の小さい軽自動車だった。なかでもスズキは、2輪車で培った2ストロークエンジンにこだわり過ぎ、対策が遅れたという経緯から販売は大きく落ち込んだ。
1976年、軽自動車の排ガス規制対応によるコスト上昇や出力低下の救済策として、軽自動車の規格改定が行なわれ、排気量の上限が従来の360ccから550ccに拡大。これにより、軽自動車が小型車に近い実用的なクルマとなり、1970年代後半には軽自動車は再び活気を取り戻し始めた。

●アルトが開拓した軽ボンネットバン

スズキ・アルト
スズキ・アルト

排ガス規制対応で後れを取ったスズキの新社長となった鈴木修氏が、次期車「アルト」のコンセプトとして考え出したのが、商用車でありながら乗用車スタイルの軽自動車“軽ボンネットバン”である。
商用車にすることのメリットは、物品税が非課税のため販売価格が下げられること。物品税とは、生活必需品は非課税で贅沢品には課税するというもので、軽乗用車については当時15.5%の物品税が課せられていたが、軽商用車は非課税だったのだ。

スズキ・アルト
1979年に47万円の低価格でデビューしたスズキ「アルト」

定員は4人ながら実質2人乗りという荷室が広いアルトは、ワングレードのみ。車両価格は驚異の47万円、月販台数は1.8万台を受注する空前の大ヒットモデルになり、1980年代の軽自動車の新しいブームを作り出した。
ちなみに、当時の大卒初任給は11万円程度(現在は約23万円)なので、47万円は単純計算では現在の価値で約98万円に相当、それでも当時としては驚異的な低価格だった。

軽ボンネットバンが誕生した背景には、モータリゼーションが一段落し主婦層が足として利用するセカンドカー重要の増加、また日常で使用する場合の乗車人数は2名以下であること、女性ドライバーは乗用車か商用車かを意識しないといった市場調査の結果があった。

●アルトの徹底したコスト低減策

アルトは、FFの5代目「フロンテ」をベースに2ドア化して商用車仕様に変更。商用車規格に合わせて法定の荷室面積を確保するため、後席は可倒式を採用。多くのユーザーが後席を使わないなら、後席の領域を減らしてでもコストを下げる方が優先という大胆な戦略だ。

さらに、ウインドウウォッシャーは電動でなく手押しポンプで、ラジオはオプション設定、左側ドアのカギ穴やシガーライター、フロアカーペット、リアウインドウの熱線デフォッガーなどを省き、パワートレインは最高出力28psの550cc水冷3気筒の安価な2ストロークエンジンと4速MTの組み合わせなど、徹底的なコストダウンが行なわれた。

大ヒットしたアルトは、排ガス規制対応に遅れて販売不振に陥っていたスズキの救世主となり、またスズキを軽自動車のトップメーカーに押し上げる原動力になった。

●新たな税制改革をキッカケに軽ボンネットバンの人気が減速

イハツ「ミラクォーレ」
1980年にデビューした軽ボンネットバンのダイハツ「ミラクォーレ」

アルトの大ヒットを受けて、ライバルのダイハツ「ミラクオーレ」やスバル(当時は富士重工業)三菱自動車工業も軽ボンネットバンを相次いで投入、1980年代は軽ボンバンブームで軽市場は活況を呈した。

ところが、1989年に物品税が廃止されて消費税が導入されたため、商用車の割安感が下がり、軽ボンネットバンブームは一気に下降線を辿ることに。しかし実際には、物品税以外にも軽乗用車に比べ任意保険軽自動車税はほぼ半額、自動車重量税も安いので、全くメリットがなくなったわけではなかった。
したがって、物品税廃止は軽ボンネットバンの人気減速のキッカケに過ぎず、1990年代に軽自動車に高いレベルの居住性や品質などが高まったことが主因と思われる。それを証明するように、1993年にはスズキ「ワゴンR」が登場し、現在も続くハイトワゴンブームが巻き起こったのだ。

●スズキのアルトが誕生した1979年は、どんな年

日産セドリックターボ
1979年に登場した日産セドリックターボ

1979年には、日産自動車の「セドリック/グロリア」に国産車初のターボエンジンが搭載された。国内乗用車として初のターボチャージャーを搭載したセドリックターボは、ターボ時代の火付け役となり、1980年代を迎えると続々とターボモデルが登場し高性能時代が幕開けた。
また、第1回パリ・ダカールラリー(パリ・ダカ)が開催された。この記念すべきパリ・ダカは、12月26日にパリを出発し、翌1979年1月7日にかけて167台が砂漠を駆け抜けた。優勝は、ランドローバーの「レンジローバー」であり、これによりランドローバーの名は世界に轟き、高級オフローダーとしての地位を不動にした。

クルマ以外では、スリーマイル島原発事故が発生、ソ連のアフガニスタン侵攻が始まり、ソニーの「ウォークマン」が発売され、TVドラマ「3年B組金八先生」の放送が始まった。また、ガソリン124.8円/L、ビール大瓶228円、コーヒー一杯238円、ラーメン290円、カレー356円、アンパン76円の時代だった。

スズキ・アルトの主要諸元
スズキ・アルトの主要諸元

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潔いシンプルな設計でコスト低減を追求し、驚異の車両価格47万円で売り出された「アルト」。軽ボンネットバンという新しいカテゴリーを開拓した、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…