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■伝説となった第1回自動車クラブ選手権
1965年(昭和40)年7月18日、新設された船橋サーキットのオープンニングレースとして第1回全日本自動車クラブ選手権が開催された。ライバル車の「トヨタS800」と「ホンダS600」の戦いであり、またそれを操る2人のライバルドライバーの浮谷東次郎選手と生沢徹選手の戦いでもあった。結果は、トヨタS800を駆けた浮谷選手の最下位からの大逆転という、今も語り継がれる伝説のレースとなった(GT-Iクラス)。
●スポーツモデルを象徴するホンダのSシリーズ
ホンダ初の乗用車は、スポーツモデルを象徴するSシリーズの第1弾にもなった1963年にデビューしたオープンスポーツ「ホンダS500」である。
S500は、最高出力44psの531cc直4 DOHCエンジンを搭載して優れた走りを発揮したが、海外進出を意識してさらに高出力化が必要という判断から、翌1964年には排気量を600ccに拡大した「S600」が登場。最高出力が57psに向上、最高速度は145km/hと、海外でも通用する走りに進化した。
2年後の1966年には、さらに排気量を拡大した「S800(エスハチ)」が登場。排気量が800ccとなったS800は、最高出力が70ps/8000rpmまで向上し、最高速は160km/hに達した。
●ホンダSシリーズに対抗して登場したトヨタスポーツ(S)800
「トヨタS800(ヨタハチ)」は、ホンダのSシリーズに対抗して1965年に登場した。空力を考慮した流麗なスタイリングを採用して、そのCd値は驚異の0.30を達成し、また軽自動車並みの580kgの軽量化を実現。この優れた空力性能と軽量化こそが、トヨタS800のアピールポイントだった。
パワートレインは、790cc 2気筒空冷水平対向OHVエンジン、最高出力45ps/5400rpmはスポーツモデルとしては決して高くないが、優れた空力性能と軽量化によって俊敏な走りを実現した。
●トヨタS800とホンダS600の対照的なアプローチ
トヨタS800とホンダS600の主要スペックは、以下の通りである。
・トヨタS800(ヨタハチ):優れた空力性能と軽量ボディがストロングポイント
ボディサイズ:全長3585mm/全幅1465mm/全高1175mmエンジン:790cc 2気筒空冷水平対向OHVエンジン
最高出力:45ps/5400rpm、最大トルク:6.8kgm/3800rpm、最高速度:155km/h車体重量:580kg
・ホンダS600:バイク譲りの高回転・高出力のDOHCエンジンがストロングポイント
ボディサイズ:全長3300mm/全幅1430mm/全高1200mm
エンジン:606cc直4 DOHCエンジン
最高出力:57ps/8500rpm、最大トルク5.2kgm/5500rpm、最高速度:140km/h以上
車体車重:720kg(クーペは734kg)
●伝説となった第1回全日本自動車クラブ選手権
今は無き船橋サーキット。1965年のこの日、T-I、T-II、GT-I、GT-IIクラスの4レースが開催され、若き天才ドライバーの浮谷東次郎選手(トヨタS800)と生沢徹選手(ホンダS600)がGT-Iクラスで激突。午前の予選は生沢選手がトップをとり、午後4時から30周の決勝レースがスタートした。
5周目では、生沢選手2位、浮谷選手3位だったが、ここでアクシデントが発生した。両車がカーブで接触、生沢選手はそのまま走行できたが、浮谷選手はフェンダーが潰れて24秒のピットインを余儀なくされ、最下位に転落してしまった。
しかし、ここから浮谷選手の伝説となったごぼう抜きの快進撃が始まり、徐々に順位を上げてなんと20周目には1位の生沢選手を追い上げる2位まで順位を上げ、そして23周目でついに生沢選手を捉えてトップに立つと、その後は独走してフィニッシュした。
この奇跡ともいえる逆転劇によって、トヨタS800と浮谷選手の名は世に轟いたが、何と無念なことに若き天才ドライバー浮谷選手は翌月、練習中の事故でこの世を去ってしまった。
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クルマの速さが、エンジンパワーだけでないことを証明した第1回全日本自動車クラブ選手権。高性能や低燃費というとエンジンが注目されやすいが、ボディの軽量化と空力性能の影響も大きい。そのため、最近は高剛性で軽いハイテン(高張力鋼板)やCFRP(カーボンファイバー強化樹脂)などの新素材がクルマのボディに積極的に使われている。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。