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■日産リバイバルプランの目玉としてフェアレディZ復活
2002年(平成24)のこの日、日産自動車のフラッグシップスポーツ「フェアレディZ」の5代目(Z33型)が2年ぶりに復活。4代目(Z32型)の3.0Lターボエンジンから、排気量を拡大した3.5L NA(無過給)エンジンに変更し、低速から力強い加速を実現する大人のスポーツカーへと変貌した。
初代フェアレディZ(S30型)はトヨタ2000GTに対抗し誕生
日本でモータリゼーションが急速に進展した1969年、トヨタから発売されたスーパースポーツ「2000GT」は、市場に大きなインパクトを与えた。
ライバルの日産は、「トヨタ2000GT」に対抗するため、高価なスポーツカーではない誰でも手の届く低価格のスポーツカーを目指し、1969年10月に「フェアレディZ」(S30型)をデビューさせた。
スポーツカーらしいロングノーズ&ショートデッキの美しいボディに、2.0L直6 SOHCおよびハイグレードにはDOHCエンジンが搭載され、最高出力160ps/最大トルク18.0kgmを発生し、最高速は210km/hを誇った。また、コクピットには、眼前に2つ、センターコンソールに3つのメーターを配置するという凝りようだった。
フェアレディZは、流麗なスタイリングとパワフルな走り、リーズナブルな価格によって日米で大ヒット。ここに歴史を飾るスポーツカーが誕生したのだ。
その後も進化し続けるも4代目で一旦生産が途切れる
初代の後を継いで1978年に登場した2代目(S130型)は、キープコンセプトでボディをやや大型化し居住性を重視した、より快適で使いやすいGTカー風に変貌。1983年に登場した3代目(Z31型)は、直6から新世代V6に変更し、リトラクタブルヘッドライトを纏った精悍なフロントマスクで“較べることの無意味さを教えてあげよう”との名台詞でトヨタを挑発したのは有名な話である。
そして、1989年に登場した4代目(Z32型)は、超スラントヘッドライトやショートオーバーハングなど、洗練されたスタイリングが特徴。エンジンは、3.0L V6 DOHC(VG30)でNA(無過給)とツインターボの2機種が用意され、国産初の出力自主規制値280psに達成したことで知られた。
ところが、1990年代後半の日産は販売不振から経営危機に陥り、1999年にはルノーとの提携といった荒波の中、4代目は2000年8月に生産を終え、フェアレディZの名前は一旦途絶えることになった。
日産リバイバルプランの目玉としてフェアレディZが復活
生産が途絶えたフェアレディZだったが、日産のフラッグシップスポーツの存続を求める声の高まりを受け、日産リバイバルプランの車種展開の中で、2002年のこの日復活を果たした。
復活した5代目(Z33型)は、空力性能に優れた流麗なスカルプチャーデザインを採用。パワートレインは、出力規制値280psを発揮する3.5L V6エンジン(VQ35DE)と6速MTおよび5速ATの組み合わせ。
車両価格は、ローグレードが300万円(MT)/310万円(AT)~ハイグレード360万円(MT)に設定。ターボエンジンを搭載していた先代に対して、同じ最高出力ながら大排気量のNA(無過給)を搭載し、太い低中速トルクにより、スムーズかつ力強い走りが楽しめる大人のスポーツカーに仕上がっているのが特徴だった。
そして後を継いだ2008年にデビューした現行フェアレディZ(Z34型)は、初代フェアレディZモチーフにして、最高出力336ps/最大トルク37.2kgmを発揮し大きな話題を集めた。
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低迷した日産がルノーとの提携によって再生を目指した2000年当時、暗い雰囲気を一掃した明るいニュースが5代目フェアレディZの復活だった。スポーツカー冬の時代だが、花火を打ち上げるならやはり憧れの高性能スポーツだろう。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。