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■カローラとスターレットの中間を狙った新世代コンパクトカー
1978(昭和53)年8月3日、トヨタ初のFF車としてターセル/コルサの兄弟車がデビューした。1970年代徐々にFF化が進む中で、後れを取っていたトヨタが満を持して投入した初のFF車、しかもエンジンが横置きでなく縦置きという点がユニークだった。
積極的にFF化を進めたホンダ、やや遅れたトヨタ
自動車が誕生した時点では、リアにエンジンを搭載して後輪を駆動するRRレイアウトが一般的だったが、騒音や振動が課題だった。それを解消するために登場したのがFRレイアウトで、すぐに駆動方式の主役となった。
一方で、初めて本格的にFFレイアウトを量産化したのは、1934年にデビューしたシトロエン「7CV」である。日本車も当初はFRが主流だったが、初めてFFを採用したのは1955年に登場したスズキの「スズライトSS」で、日本初の4人乗りの本格的な軽自動車でもあった。一方で初期の軽自動車「スバル360」、「三菱500」、マツダ「キャロル360」などは、機構が簡単なRRを採用していた。
その後も長くFR主流の時代が続いたが、FFの弱点であったステアリングの操作性や信頼性が改善されると、居住性に優れたFFレイアウトをホンダが1967年の「N360」、1972年の「シビック」に採用。日産自動車は1970年「チェリー」で初採用し、FF化に慎重だったトヨタが初めて採用したのが、1978年の「コルサ/ターセル」だったのだ。
トヨタ初のFFは、エンジン縦置きの特徴的なFFレイアウト
ターセルはカローラ店、コルサはトヨペット店で販売された兄弟車で、違いはグリルなど細微な部分だけである。ハッチバックの3ドアと、セダンの2ドア/4ドアの3つのボディスタイルが用意され、当時人気の「カローラ」と「スターレット」の中間の新しい大衆車という位置づけだった。
エンジンは、最高出力80psの1.5L直4 SOHCエンジンと4速ATおよび5速MTの組み合わせ。トヨタ初のFF車だが、エンジンは一般的な横置きでなく、エンジンを縦置きに搭載し、その下部にトランスミッションとファイナルギアを配置するという特徴的なものだった。エンジン縦置きを選択したのは、FRのカローラとのエンジンの共用化などを優先させたためだが、結果として横置きに比べてメンテナンスが容易でトルクステアが少ないというメリットがあった。
車両価格は、標準グレードで70.5万円(ターセル)/71.1万円(コルサ)。当時の大卒初任給は10.3万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約157万円/159万円に相当する。
その後1980年代に入り、「カローラ」や「コロナ」、日産の「サニー」、「ブルーバード」など主力モデルが次々にFF化。これを起点にして、小型車だけでなく徐々に大型モデルでも採用されるようになり、2000年を迎える頃には、主流はFRからFFへと完全に移行したのだ。
テレビCMにスーパーアイドル山口百恵を起用
発売当初のターセル/コルサの販売は、決して順調ではなかった。そのテコ入れとして、1年後にテレビCMに当時絶頂期を迎えていたスーパーアイドルの山口百恵が、“百恵の、赤い靴”というキャッチコピーで登場。CMは大いに注目を集めたものの、当のターセル/コルサの販売は期待通りに伸びなかった。
若者や女性のエントリーモデルの扱いやすいクルマという狙いがスターレットと被ったため、その違いが分かりづらかったのだろう。ターセル/コルサは、その後モデルチェンジしたが、1999年にスターレットとともにヴィッツに統合され、その名は消えてしまった。
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1970年代から1990年代頃までは、TVではクルマのCMが盛んに流され、イメージキャラクターに当時の人気俳優やアイドルを起用するのが定番だった。
日産の6代目(R30)「スカイライン」には米俳優ポール・ニューマン、「マーチ」に近藤真彦(マッチ)、「ブルーバード」の沢田研二、マツダ「カペラ」は仏俳優アラン・ドロン、トヨタは「コロナ」に英俳優ロジャー・ムーア、「カローラII」に米国テニスプレイヤのジョン・マッケンロー、「クラウン」に吉永小百合等々、中にはクルマよりCMやCMソングの方が人気となったものもあった。平成生まれの人には、ピンとこないかもしれないが…。
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