走行月一回。動態保存されるボンネットバス | 江戸東京たてもの園のいすゞTSD43

江戸東京たてもの園内を周回するボンネットバス。

東京・小金井公園内の「江戸東京たてもの園」にボンネットバスが保存されている。

クリーム色のボディに赤い帯。なつかしい都バスカラー。行先表示には「上野廣小路」とある。入念に塗装されたボディにはサビひとつなく、今にも中央通りを走り出しそうな印象だ。

青山車庫で活躍した都電7500形とボンネットバス。昭和の風景がよみがえる。

前折戸のロックを解除して高いステップを登る。バリアフリーなどという言葉のなかった時代のバスである。ドアは運転台左側のレバーを操作し、リンケージを介して開閉する仕組みだが、車内に入ってすぐに気がつくのは車掌のためのスペースがないことだ。ボンネットバスのなかでも、ドアが中央寄りにあるタイプは車掌の乗る区画が設けられているが、運転台のすぐ横にドアがあるバスにはそれがない。

昭和31年運輸省令第44号「旅客自動車運送事業運輸規則」第15条には「事業用自動車(乗車定員11人以上のものに限る)には車掌を乗務させなければ、これを旅客の運送の用に供してはならない」とある。車掌は踏切や後退時の誘導という重要な仕事があったからだが、このボンネットバスは車内スペースの関係で専用の車掌区画がなかったのだろう。(ワンマンバス導入時にこの法律は空文化したが、いまでもこのバスを仮ナンバーをつけて整備工場に運ぶときは「車掌役」が乗らないと運行できないという)。

ボンネットバスの運転台。フロアシフトレバーの手前に4WDセレクトレバー。左側が4WDセレクト、右が4WD時のロー&ハイギヤセレクター。左側のレバーはドア開閉リンケージ

運転台には長いシフトレバー、グリップロックの駐車ブレーキに加え、2本の短いレバーがあって、2WD⇔4WD切替と4WD走行時のギヤ選択(LあるいはH)を行なう。

今日の走行コースは江戸東京たてもの園の中。園内は公道ではないので仮ナンバーも不要だ。敷地内を周回するといっても、直線路はごく短く、直角の角々をひんぱんに曲ることになる。

走行に先立って窓という窓を開けて回る。上半分が固定されたバス窓だが、さほど大きくない窓を開けるのはちょっとしたコツがいる。窓枠と窓に隙間があるから、両手で窓を開けるときに少しでも左右の力がずれると窓が引っかかって開かない。 窓をまっすぐ上に上げるコツをつかむまで灼熱の車内で奮闘する羽目となった。

セレクティブ4WDシステム。フロントホイールに副変速機付きのトランスファーを備える。

なつかしいエンジン音を立てて走り出すと、路面のちょっとしたうねりがダイレクトに伝わってくる。園内の周回路はごく普通の舗装に見えるが、自動車教習所なみのクランクが連続しているから最高速度は40km/hそこそこ。それでも振動は激しく、ことにダンピングがほとんど効いていない板ばねサスペンションだから、振動が収束することはない。

昨年、取材した北海道・宗谷バスのベテラン運転手の話を思い出した。

「昭和40年ごろ、稚内の市街地を出て空港までは舗装されていましたが、その先はホコリがもうもうと舞う砂利道でした。国道238号線は改良されるまでカーブが多くてひどいものでした。枝幸まで往復するとバスはホコリで真っ白。車内にも入ってくる。それがシートに吸い込まれて、砂利道の振動で車内に舞い上がるわけです。いつも車内はホコリで霞んでましたね。お客さんも辛抱強かった。それが当たり前の時代でした。あれだけガタガタ揺れても不思議と酔う人はいなかったですよ」

かつて、バスの振動とホコリをじっと我慢した人たちにとって、乗り心地のいい鉄道の開通こそは悲願だったに違いない。

クロスシートが並ぶ車内。ロングシートではないことから都市バスではないことがわかる。

ボンネットバスはクランク状の直角コーナーを次々とクリアしていく。重いステアリングをロック・ツー・ロックに近い大角度で回しては戻し、シフトチェンジしては間髪をおかず次のコーナーに入る。ゆさゆさとボンネットバスは進む。その愛らしい姿とは裏腹に、ボンネットバスの運転はかなりの筋力を要する重労働だ。

型式TSD43のセレクティブ4WDボンネットバス

このボンネットバスはセンターデフのないセレクティブ4WDである。フロントエンジンからプロペラシャフトが常時トルクを後輪に伝える一方、フロントホイールには副変速機付きのトランスファーを介して動力を伝える仕組みだ。

モデル名であるTSD43の文字が見える。
いすゞTX80
いすゞBX91

都バスカラーをまとったボンネットバスの型式はTSD43である。いすずが製造したバスの歴史を繙くと、その始まりは昭和8年に製造されたBX35(16人乗り)に行き着く。トラックのシャシーにボディを架装するバスの作り方は戦後も引き継がれ、昭和16年製のトラックTX80シャシーに26~30人乗りのボディを載せたBX91が登場したのは昭和23年である。翌年にはホイールベースを5mに延長したシャシーを使ったBX95がデビューし、全国の路線バス、観光バスとして第一線を走った。BX80系のボンネットバスは、高い真空圧を発生させるニューマチックガバナーを備え、それを利用したブレーキ真空倍力装置(マスターバック)が装備されるなど安全面にも配慮されている。なお、BX90系に搭載されていたディーゼルエンジンDA43は、直列6気筒、排気量5103cc、予燃焼室付きで最高出力は85ps/2500rpmだった。

DA640予燃焼室式ディーゼルエンジン。水冷4サイクル直列6気筒、排気量6.37L、最高出力130ps/2600rpm、最大トルク41.5kgm/1400 rpm。

いすゞのボンネットバスはその後も進化を続けたが、一方で地方の非舗装路や積雪地帯で使用する全輪駆動の特装バスが出現する。昭和27年に登場したTS11はいすゞ初の四駆バスで、富士山麓鉄道に納入された車両は、昭和27年、天皇・皇后陛下の富士登山に際してお召バスに任じられる栄誉に浴した。ちなみに、戦災で壊滅的な打撃を受けた都バスは、アメリカ軍払い下げのGMC製トラックを改造した四輪駆動、六輪駆動バスを走らせた歴史がある。

方向指示器はなつかしい収納矢羽根式。
いすゞ自動車の七宝エンブレム。社の前身は鉄道省と東京石川島製造所など複数のメーカ-の連合体。
オーナーのK氏によるとボンネットバスの運転は筋トレが欠かせない。

江戸東京たてもの園で余生を送る車両は、エンジンを新開発のDA640(6.7L、135ps)に換装したTSD43だ。この四輪駆動ボンネットバスは、多くのバスや商用車を収蔵している福山自動車時計博物館が所有していたものである。

取材協力:江戸東京たてもの園
文・写真:椎橋俊之(2024.7.22)

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