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■パワートレインを一新して安全性能を強化した2代目ウィンダム
1996(平成8)年8月21日、トヨタの2代目「ウィンダム」がデビュー。ウィンダムは、米国の高級車ブランドであるレクサスの「レクサスES」を日本に投入したアッパーミドルの高級セダンである。基本的には、先代のキープコンセプトながら、パワートレインを一新して燃費を向上させ、世界トップレベルの安全性能を実現した。
海外向けの高級車ブランド“レクサス”
バブル景気で絶好調だった日本メーカーは、まずホンダが1986年に米国で海外向け高級車ブランド“アキュラ”を立ち上げ、1989年にはトヨタが同様の高級車ブランド“レクサス”、日産自動車が“インフィニティ”を設立した。小型車の成功で世界を席巻した日本車だが、“安くて丈夫”といったイメージを払拭し、世界の高級車市場に参入するには高級ブランドの立ち上げが必要だったのだ。
レクサスのクルマづくりは、メルセデス・ベンツやBMWに対抗するため、それまでのトヨタ車とは一線を画し、すべての製造過程の加工精度を上げ、スペシャルな塗装とインテリアも厳選された高級素材を使用し、国内モデルとはまったく異質なものとした。
レクサスの設立と同時にデビューという大事な役目を任されたのが「レクサスLS400」であり、その1ヶ月後には「セルシオ」の車名で日本にも投入された。
レクサスESがウィンダムを名乗り日本デビュー
1991年には、トヨタはレクサスに続いて米国で「レクサスES」を名乗ったアッパーミドルの高級セダンを「ウィンダム」の車名で日本に投入。ウィンダムは、当時流行りのサッシュレス4ドアハードトップを採用し、米国サイズの落ち着いた雰囲気の3ナンバーセダンである。
もともとレクサスブランドの主力モデルとして開発されたため、徹底した静粛性と快適性が追求され、特に充実した内装や快適装備がアピールポイントだった。メーターは、表示の明るさが変化する自発光式、エアコンは液晶パネルに温度のデジタル表示や風量のバーグラフ、吹き出しモードのイラスト表示など、操作性と視認性の向上が目を引いた。
パワートレインは、200psを発揮する3.0L V6 DOHCエンジンと電子制御4速ATの組み合わせだが、後に175psの2.5L V6 DOHCを追加。安全面では、4輪ABSやTRC(トラクションコントロール)、ユニークな装備として超音波振動を利用したドアミラーの雨滴装置が標準装備された。
ウィンダムは、アクティブなエリートが乗るというイメージが定着し、安定した販売を記録した。
燃費向上と世界トップレベルの安全性能を実現した2代目
1996年のこの日、堅調に推移した初代を受けてウィンダムは2代目に移行。基本的には、キープコンセプトで初代のイメージを引き継ぎながらも、随所に上質化が図られた。
スタイリングは、エレガントな4ドアハードトップスタイルを採用し、パワートレインは新たに開発された215psの3.0L V6 DOHCエンジン&200psの2.5LV6 DOHCの2機種と電子制御4速ATの組み合わせで、新開発エンジンによる燃費向上がアピールポイントのひとつだった。
また安全性能についても進化させ、ボディはGOA(全方位衝突安全ボディ構造)、デュアルSRSエアバッグの標準装備、さらに上級モデルにはエンジン出力とブレーキを統合制御するTRCが装備された。
車両価格は、標準グレード297万円(2.5L)/336.6万円(3.0L)に設定。当時の大卒初任給は19.5万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で350万円(2.5L)/397万円(3.0L)に相当する。
装備を充実させた2代目ウィンダムだったが、斬新さに欠けて控えめな印象が強かったため、販売は伸び悩み、続く3代目も北米では人気を獲得したが、日本では人気を回復することができず、結局2006年にカムリと統合される形で生産を終えた。
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ウィンダムは、ハイステータスの比較的若いエリート層が選ぶクルマというイメージの定着に成功した。しかし、2000年を迎える頃には、その若いエリート層もセダンより実用性の高いSUVやミニバンを選ぶようになったのだろうか、販売に苦しんでしまった。
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