目次
■先進的なFRスポーツクーペを目指して先進技術を搭載
1983(昭和58)年8月23日、日産自動車の4代目「シルビア」がデビュー。1980年代は、厳しい排ガス規制から解放され、高性能・高ハイテク化の時代が到来、ライバルがひしめく中で4代目シルビアも高性能エンジンを搭載した先進技術満載のFRスポーツクーペをアピールした。
走る宝石の異名を取った初代シルビア(CSP311型)
1965年に誕生した初代シルビアは、日産初の高級クーペだった。
最先端の流体力学を取り入れ、鋭角的に削ぎ落したクリスプカットと称するボディラインは、当時の国産車にはない流麗な美しさを放ち、インテリアもソフトな発砲レザーを用いるなど高級感を演出。エンジンは、1.6L直4 OHVが搭載され、優れた走りも発揮した。
しかし、課題はボディの製造工程にあった。その美しいボディを成形するためにハンドメイドの部分が多く、そのために価格は120万円。フラッグシップ「セドリック」の115万円よりも高額で、結果として販売数は限定的だった。
人気のセリカ対抗馬として登場した2代目シルビア(S10型)
シルビアの名前は一旦途絶えたが、初代の生産終了から7年経った1975年に2代目シルビアが復活を果たした。
直線的なフォルムの初代に対し、曲線を多用した躍動感のあるアメ車風フォルムに変貌。スタイリングは大きく変わったが、もともと目標生産数が少なかったことから、コスト低減のため多くの部品が流用され、エンジンは「ブルーバードU」の1.8L直4 SOHCエンジンが使われた。
2代目シルビアは、元祖スペシャリティカーのセリカに対抗するために登場したが、セリカの勢いを脅かすことなく、僅か3年半で生産を終えた。
角目4灯のシャープなスタイリングで人気を獲得した3代目(S110型)
1979年に登場した3代目シルビアは、走りを重視したスペシャリティカーに相応しい直線基調のウェッジシェイプを採用。低いノーズラインと角目4灯のフロントマスク、傾斜したフロントウインドウ、リアのオペラウインドウが個性的だった。
当初は2ドアハードトップのみだったが、後にハッチバッククーペも追加された。インテリアは透過照明のインストゥルメントパネルやムーディなランプなど、ラグジュアリー感を演出。エンジンは、1.8Lと2.0Lの直4 SOHCをベースに、その後ターボモデルやR30スカイラインと同じDOHCエンジンが追加された。
シャープなスタイリングとお洒落なインテリアが多くの若者に支持された3代目シルビアは、人気モデルとなった。
高性能化とハイテク化を追求したが、販売面では苦戦した4代目(S12型)
そして1983年のこの日、4代目シルビアがデビューした。1980年を迎える頃には、オイルショックと厳しい排ガス規制を乗り越え、クルマの高性能化とハイテク化の時代が到来。4代目も、人気を獲得した3代目以上に高いレベルのスポーツクーペを目指した。
低いノーズにハイデッキのウェッジスタイルは先代を継承したが、フロントマスクは先代の角目4灯からリトラクタブルヘッドライトに変更され、キャッチコピーは“白い稲妻”である。
パワートレインは、最高出力150psの2.0L直4 DOHCのNA(無過給)と190psのターボ仕様、1.8L直4 SOHCエンジンのNAとターボ仕様の4種エンジンに、5速MTおよび4速ATの組み合わせ。さらに、高級感を意識したインパネやマイコン制御オートエアコン、高弾性ウレタンを内蔵したシート、国産車初のチルトアップ機構付電動ガラスサンルーフなど先進装備によってスペシャリティ感をアピールした。
クラス最強の190psを誇るトップグレード「ターボRS-X」が追加されたが、ライバルの「セリカXX2000ターボG」の211万円に対して、254万円とかなり高額な設定だった。そのパワフルな走りは若者から人気を獲得したが、当時はライバルも多かったため期待したほど販売は伸びなかった。
ちなみに当時の大卒初任給は、13万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値ではトップグレードのターボRS-X約449万円に相当する。
・・・・・・・・
シルビアの中で最も人気を獲得したのは、今もデートカーの代表モデルとして話題になることが多い、1988年に登場した5代目(S13型)である。4代目は、ヒットした3代目と5代目の間に挟まれて、やや影が薄いか? スポーティで個性的なスタイリングだが、好き嫌いが分かれたのであろう。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。