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■元航空機技術者が手掛けたスバル初の小型乗用車
1965(昭和40)年10月21日、スバル(当時は富士重工業)がスバル初となる小型乗用車「スバル1000」を発表した(発売は翌1966年5月)。元航空機技術者が中心となり、スバルのコア技術、水平対向エンジンやFFレイアウトなど、先進技術を満載した小型乗用車だった。
名車スバル360を誕生させたスバルの起源
中島飛行機製作所を起源とする富士重工業は、1953年に飛行機と新たな自動車開発のために設立された。そのとき富士重工業で自動車開発の指揮を執ったのは、中島飛行機で戦闘機用エンジンを設計していた百瀬晋六氏である。
彼が最初に手がけたのは、国産初のモノコックボディにエンジンをリアに搭載した「ふじ号」、同じ全長で主流だったボンネットバスよりも多人数乗車が可能で、さらに静粛性に優れていた。
その後、1955年に日本政府が提唱した“国民車構想”に呼応して開発されたスバル初の乗用車「スバル360」を1958年に市場に投入。フルモノコックボディの愛らしいスタイリングとRR(リアエンジン・リアドライブ)レイアウトで“テントウ虫”の愛称で大ヒットした。
そして、満を持して登場したスバル初の小型乗用車がスバル1000だった。
水平対向エンジンを搭載したスバル1000
スバル360に続いた小型乗用車スバル1000も、スバルらしい先進技術が満載だった。スタイリングは、オーソドックスなファストバック風の4ドアセダンだったが、最大の特徴は現在のスバルのコア技術である水平対向エンジンを初めて採用したこと。さらに、駆動方式はスバル360のRRから一転して、当時としては画期的なFFレイアウトを採用した。
最高出力55psを発揮する1.0L 直4水平対向OHVエンジンは、4MTと組み合わせて最高速度150km/hを記録。その他にも、4輪独立サスペンションやブレーキをドライブシャフトのデフ側に置くインポート・ブレーキ、冷却性能を向上したデュアルラジエターなど、小型車として贅沢かつ斬新だった。
技術的に優れていたスバル1000だったが、販売は苦戦を強いられた。その理由のひとつが、価格が高いことだった。標準仕様で日産「サニー」が41万円、トヨタ「カローラ」は43.2万円。一方、スバル1000は49.5万円。当時の大卒の初任給は、2.5万円(現在は約23万円)程度だったので、単純計算では現在の価値でスバル1000は約455万円に相当する。ライバルとの価格差6.3万~8.5万円は、大きかったのだ。
さらにカローラ(C)とサニー(S)は、当時“CS戦争”と呼ばれた熾烈な販売合戦を繰り広げていたのに対し、販売力でスバルが2社に大きく差を付けられたことも後れを取った要因だった。
次期車レオーネでスバル看板技術シンメトリカルAWD誕生
1971年にスバル1000の後を継いで小型乗用車「レオーネ」がデビュー。当初は水平対向エンジンとFFレイアウトの組み合わせだったが、1975年に乗用車初の4WD搭載車「レオーネセダン4WD」が登場した。
これにより、現在のスバルブランドを象徴する“シンメトリカルAWD(水平対向エンジン+4WD)”が誕生した。シンメトリカルとは対称なという意味で、低重心の水平対向エンジンを縦置きにすることで、パワートレインが一直線、ボディの縦方向に左右対称に配置できるのが最大の特徴である。
これにより、優れた悪路走破性と高速安定性、軽快なハンドリングが実現され、走り好きの多くのスバリストたちを魅了しているのだ。
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当時の富士重工業は、技術を追求するあまり技術至上主義と揶揄されたこともあったようだ。しかし、それこそが現在の唯一無二の水平対向エンジンやシンメトリカルAWD、アイサイトなど、スバルブランドの礎になったのだ。
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