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■街乗りも似合う4WDオフローダーとなった2代目ビッグホーン
1991(平成3)年12月3日、RVブームの先駆けとして1981年に誕生したいすゞ自動車の4WDオフローダー「ビッグホーン」の2代目がデビューした。全車3ナンバーとなった2代目は、街乗りでも似合う洗練されたスタイリングと、より力強さを増した走りで人気を獲得した。
かつては人気の乗用車を生産していたいすゞ自動車
現在いすゞは、日野自動車と双璧をなすトラック・バスなどの商用車専門メーカーだが、1960年~1980年にかけては、数々の名車と呼ばれる乗用車を世に送り出していたメーカーだった。
いすゞの前身である東京石川島造船所(現・IHI)は、英国ウーズレー社と提携して開発した乗用車「ウーズレーA9型」で1922年に自動車製造事業に進出。戦時中は、日本政府の意向で軍需用のディーゼル車や商用車を製造したが、戦後には乗用車製造を再開した。
まず、国産初のGTを名乗ったベレット1600で有名な「ベレット(1963年~)」、今でも流麗な美しさが賞賛される「117クーペ(1968年~)」、“街の遊撃手”のキャッチコピー(2代目)で人気を獲得した「ジェミニ(1974年~)」、スタイリッシュなデザインが光ったクーペ「ピアッツァ(1981年~)」といった数々の名車を世に送り出した。ちなみに、人気を獲得した117クーペ、2代目ジェミニ、初代ピアッツァは、イタリアの巨匠ジウジアーロのデザインだった。
しかし、いすゞは1993年にSUVを除く小型乗用車の開発・製造から撤退して、2002年には国内での乗用車生産から完全撤退したのだ。
国産車SUVの先駆けとなったビッグホーン
1980年代初頭、米国ではすでにアウトドアに対応したクルマとして4WDオフローダーが普及しており、日本でも徐々にアウトドアを楽しむ人が増えていた。これに目を付けたいすゞは、1981年に4WDオフローダーのビッグホーンを市場に投入した。
そのスタイリングは、レンジローバー風の2ドアバン(商用車)で大径タイヤを履き、副変速機付きの4WDを搭載。サスペンションもダブルウイッシュボーン/ションバースプリングとして走破性に優れた走りを見せたが、当初は人気を獲得できなかった。一方で、1982年に三菱自動車「パジェロ」が発売され、人気を獲得していた。
ビッグホーンの人気が出始めたのは、1984年に2.2Lのディーゼルターボを搭載した乗用車ワゴンを投入してからであり、1987年にはドイツのチューンアップメーカーのイルムシャー社と提携して商品化したスポーティな「ビッグホーン・イルムシャー」などを設定して人気を獲得した。
初代モデルは、三菱「パジェロ」やトヨタ「ランドクルーザー」のように大ヒット作とはならず、後のRVブームに繋がる先駆けとなったモデルだった。
洗練されたスタイリングと走りで人気を獲得した2代目ビッグホーン
1991年12月のこの日、ロングボディがモデルチェンジして2代目に移行。ボディサイズが全車3ナンバーサイズとなり、翌1992年3月からはショートボディが投入された。
スタイリングは、街乗りでも似合うように上品な雰囲気を強調し、インテリアも3ナンバー化したことでシンプルかつ快適な室内スペースが実現された。強靭なフレーム構造を受け継ぎ、リアサスペンションが4リンク/コイルスプリングへと進化し、乗り心地や走行安定性も向上した。
パワートレインは、最高出力200ps/最大トルク27kgmを発揮する3.2L V6 DOHCガソリンと125ps/28kgmの3.1L直4 OHVインタークーラー付ディーゼルターボの2種と、5速MTおよび4速ATの組み合わせ。駆動方式は、パートタイム4WDが採用された。
車両価格は、249.3万~296.7万円。当時の大卒初任給は17.5万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約328万~390万円に相当する。
力強い走りと悪路走破性に優れた2代目も堅調な販売を記録したが、2002年にいすゞが国内での乗用車生産から完全撤退したことに伴い、ビッグホーンは惜しまれながら生産を終了した。
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2代目ビッグホーンは、三菱「パジェロ」とトヨタ「ハイラックスサーフ」の人気には及ばず、両車の影に埋もれがちだが、RVブームを巻き起こしたオフローダー4WDの先駆車という重要な役目を果たし、現在も多くのファンがいる。
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