隣のクルマが小さく見えます! 日産「ダットサン・サニー」2代目は44万円~【今日は何の日?1月6日】

2代目日産「サニー」
2代目日産「サニー」
一年365日。毎日が何かの記念日である。本日1月6日は、マイカーブームをけん引した日産「サニー」の2代目が誕生した日だ。初代サニーは大ヒットするも、半年後にデビューしたトヨタ「カローラ」に販売トップの座を奪われたことから、トップ奪回のため排気量を1.0Lから1.2Lに拡大してカローラに対抗した。
TEXT:竹村 純(Jun TAKEMURA)/PHOTO:三栄・カローラVSサニーのすべて

■カローラに対抗してサニーが2代目にモデルチェンジ

1970年(昭和45)年1月6日、日産自動車からサニーの2代目「ダットサン・サニー」がデビュー。1966年に市場デビューを果たしたサニーとトヨタ「カローラ」は、大ヒットして日本に“マイカーブーム”を巻き起こした。カローラと激しいトップ争いを繰り広げるなか、サニーは一足先にモデルチェンジを行ない2代目へと移行した。

2代目日産「サニー」
2代目日産「サニー」

誰もが入手できる小型大衆車を目指したサニー

日産初代サニー「ダットサン・サニー」
1966年4月にデビューした日産初代サニー「ダットサン・サニー」

1960年代、日本は前例のない高度経済成長を迎え、クルマの数が増えてモータリゼーションに火が付いた。この状況でまず市場が求めたのは、安価で家族が楽しめる1.0Lクラスの小型大衆車だった。

これに応えるため日産は、ブルーバードの下に位置する小型大衆車「ダットサン・サニー(B10型)」を1966年4月に市場へ投入した。その特徴は、軽量ボディを生かした優れた動力性能と、ノーズが長く傾斜したリヤウインドウで構成されるファストバックのような斬新なスタイリングだった。

新開発の一体成型システムで剛性を確保しながら、外板も極力薄肉化を図り、車両重量は軽量625kgを達成。エンジンは、排気量1.0Lの最高出力56psを発揮する直4 OHVで、最高速は135km/hを超え1.5Lクラスの優れた走りを見せた。

車両価格は、標準グレード41万円/デラックス46万円。発売後、サニーは5ヶ月で3万台を超える販売を記録し、その年の12月には月販台数が1万台の大台を突破する大ヒットとなった。

半年後に“プラス100ccの余裕”と謳ったカローラ登場

トヨタ「カローラ」
1966年11月にサニーより半年遅れでデビューしたトヨタ「カローラ」

そして半年後の同年11月には、トヨタの初代カローラ(KE10型)が“プラス100ccの余裕”のキャッチコピーで登場。サニーより100cc排気量が大きい最高出力60ps を発揮する1.1L直4 OHVエンジンを搭載。スタイリングは、当時最先端のセミファストバックが採用された。

車両価格は、サニーより若干高い標準グレード43.2万円/デラックス49.5万円に設定。“80点+α”という開発コンセプトのもと、すべての性能をバランスさせたカローラは、半年遅れながら大ヒット中だったサニーの販売台数を凌いで大衆車トップの座を獲得したのだ。

サニーとカローラは、大衆車という言葉を作り出し、日本のモータリゼーションをけん引し、その後長く“C(カローラ)S(サニー)戦争”と呼ばれた熾烈な販売競争を繰り広げた。

2代目はサニー“隣のクルマが小さく見えます”と逆襲

1970年1月のこの日、サニーは初のモデルチェンジで2代目(B110型)を発売。そのキャッチコピーは、“隣のクルマが小さく見えます”、初代カローラの“プラス100ccの余裕”のお返しだった。

2代目日産「サニー」
2代目日産「サニー」

初代より大きく、直線基調の豪華なイメージに変身し、クラス最大級の室内スペースを誇った2代目サニー。パワートレインは、新設計の最高出力68ps/最大トルク9.7kgmを発揮する1.2L直4 OHVと4速MTおよび3速ATの組み合わせ。さらに同年4月には高性能「1200GX」用のエンジンとして、83ps/10.0kgmの高性能エンジンも追加された。

2代目日産「サニー」
2代目日産「サニーにインテリア

車両価格は、セダンの4速MTの標準グレードが44万円/デラックス50.5万円。当時の大卒初任給は3.7万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約273万円/314万円に相当する。

2代目日産「サニー」
日産2代目「サニー」のコクピット

対するカローラは、4ヶ月遅れの1970年5月に2代目(KE20型)にモデルチェンジ。同じくボディを大きくして曲面構成を取り入れたスタイリングを採用し、エンジンは1.2L直OHVで77ps/73ps/68psをラインナップした。

トヨタ2代目「カローラ」
1970年5月にデビューしたトヨタ2代目「カローラ」

その後もサニーとカローラは、ともに排気量1.4L搭載車を用意、カローラは1972年に1.6L DOHCを搭載した「カローラレビン/スプリンタートレノ」を発売するなど高性能化でもライバル関係は続いた。

日産ロータリー サニー
1972年、テストのためにサニーにロータリーエンジンが搭載されたこともあった

販売台数は、1971年はサニー36.7万台/カローラ46.3万台、1972年は45.2万台/カローラ49.7万台と2代目もカローラがサニーを圧倒、その後もサニーは健闘するも販売面ではカローラに敵わなかった。

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初期のサニーとカローラは、サニーが先行して後からカローラが被せるという流れだった。意図的だったのかは分からないが、結果的には様子を見ながら市場を分析しながら切り開いていくという二番手戦略が、サニーにないカローラの魅力を生み出したのかもしれない。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。

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著者プロフィール

竹村 純 近影

竹村 純

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までを…