ハノイの新たな観光スポット「ベトナム軍事歴史博物館」とは?

ベトナムの首都ハノイにある「ベトナム軍事歴史博物館」は、1945年にホー・チ・ミン主席が「文化遺産の保全」を目的とした指示を行なったことに始まる。1954年頃より博物館のための活動が本格的スタートし、1956年に設立された。

2024年11月にリニューアルオープンした「ベトナム軍事歴史博物館」の入口。カフェも併設されており、かなり賑わっていた。

ただし、一般公開されたのはベトナム人民軍創立15周年を記念となる1959年の暮れとのこと。そのため、ハノイでは最も歴史ある博物館となるが、なんと2024年11月にベトナム人民軍創立80周年を記念し、新たな場所でリニューアルオープンしたとのこと。つまり、新たなハノイ観光スポットでもあるのだ。

「ベトナム軍事歴史博物館」の母屋。その巨大さに度肝を抜かれた。

タクシーで現地に向かったのだが、その巨大さに驚かされた。なんと敷地面積は74ヘクタール(約22万3850坪)なので、東京ドームの約16倍にもなる計算だ。正面入り口からは45mの高さの「勝利の塔」と、地上4階と地下1階の立派な博物館の母屋が見える。

母屋は地上4階と地下1階。デザインは、羽ばたく鳩らしく、平和への願いも込められている。
広場に聳えるのが「勝利の塔」。高さは45mもある。1954年にベトナム民族がフランスからの独立を勝ち取ったことを示した象徴だそう。

収蔵物は15万点を超えるという。ワクワクしながら入場券を購入。入場料は4万ドン!と聞くと高価に聞こえるが、約230円というリーズナブルさだ。

「ベトナム軍事歴史博物館」の入場券。QRコードによる自動ゲートがあるのかと思いきや……。

入場券にはQRコードが記載されており、入り口には自動ゲートもある。進んでいるなぁ……と思ったら、入り口に立つお兄さんが入場券を少しモギる。どうやら自動ゲートの運用はしていないらしい。そんなルーズさも、ベトナムの大らかさが感じられて悪くない。

ミリタリーファン垂涎のアメリカ&ソ連製兵器がズラリと並ぶ屋外展示

肝心な展示だが、野外展示から見どころ満載だ。スケールの大きさに驚かされるのが、飛行機の部品を組み合わせたモニュメント。撃墜したフランス軍や米軍の飛行機の部品が使われているらしく、異なるサイズやデザインの飛行機のボディやエンジンなどが見受けられる。

米軍や仏軍の軍用機のスクラップを積み上げて作られたモニュメント。手前は爆弾や砲弾が並んでいる。

ちょっと現代アート的でもあるから、モニュメントを前に記念写真を撮る人も多い。もちろん、ベトナムの方にとっては、特別な思いもあるのかもしれない。

モニュメントには、軍用機のボディ以外にエンジンも見られる。迫力があるだけでなく、戦争についても考えさせられる存在だ。
モニュメントに使用されているエンジンはプロペラ付きの空冷二重星型(写真中央)やジェット(写真左)などが見られた。

それ以外にも屋外には、多くの戦闘機や戦闘ヘリ、戦車などが展示され、簡単な説明が添えられている。軍事マニアにも刺さるものがきっとあるはず。特にMiG戦闘機やZSU対空戦車、GAZトラックなどソ連製の軍用品が多くみられるのは、貴重なのではないだろうか。

屋外に展示される米軍の兵器

米軍の軽攻撃機A-37Bドラゴンフライ。
米軍の攻撃機A-1(AD)スカイレイダー。元々は海軍の空母艦載機だったが、写真のように空軍でも使用された。
A-1(AD)スカイレイダーの早期警戒または電子戦仕様。
C-130ハーキュリーズ輸送機。ちなみに、米軍でも自衛隊でも未だに使用されている長寿モデル。
F-5Aフリーダムファイター。南ベトナム軍にも供与された。
F-5Aを別角度から。後方にはCH-47チヌークも見える。
米軍の汎用ヘリコプター・UH-1イロコイ、通称”ヒューイ”は『地獄の黙示録』や『プラトゥーン』などのベトナム戦争映画でもおなじみ。
ベトナム戦争における米軍の主力戦車M48パットン。
M107 175mm自走カノン砲。北ベトナム軍が1972年の春季大攻勢で鹵獲したもの。後方には”戦場のタクシー”と呼ばれたM113装甲兵員輸送車も見える。

米軍機に関しては機種によっては南ベトナム軍にも供与されており、米軍から鹵獲したものか、南ベトナム軍から鹵獲して展示用に米軍カラーとしているのかは不明(編集部注)

屋外に展示される北ベトナム軍のソ連製兵器

ソ連製のMiG-17F。2047号機は1972年のドンホイの戦いで米海軍の艦船を攻撃した3機のうちの1機だとか。機種には7つの撃墜マークが描かれている。
Su-22M戦闘爆撃機。ベトナムがSu-22を導入したのは1979年からなので、ベトナム戦争(1975年終戦)のものではない。
An-26輸送機。ベトナムは50機導入しており、カンボジアとの戦争(1979年〜1989年)に使用している。
PT-76は水陸両用の軽戦車。555号車はベトナム戦争中に大活躍した車両ナンバー。
T-34/85戦車(左)とT-54戦車。T-34は第二次世界大戦時のソ連の主力戦車で、戦後は東側諸国に広く供給され、長く使われた。
ZSU-57-2対空戦車。ベトナム戦争中にソ連から100両供給され、ベトナム戦争後は500両が運用された。
対空ミサイルと組み合わせて使用されたP-15トローバ警戒レーダー(NATOコードネーム”フラットフェイスA”)。搭載しているのはZIL-157トラック。
ZIL-157トラック。ソ連では1958年からソ連崩壊後の1994年まで使用された。
GAZ-66トラック。ソ連で開発され、1964年~1999年の間に10万台近くが生産された。

兵器が国宝になるベトナムの歴史

館内で最初に来場者を出迎えてくれるのが、国宝のひとつ!なんとMiG-21戦闘機4324号機だ。吹き抜けのエントラントに飾られる同機は、14機の米軍機を撃墜したという。当日は上層階への入場が規制されていたため、目前で眺めることができなかったのは残念だが、まるで頭上を飛んでいるような展示は、迫力満点だ。

エントランスの空中に展示されるMiG-21PF(4324号機)。機種の星のマークが撃墜数を表している。ちなみに、同機を操縦したパイロットは12人おり、そのうち9人の撃墜数が合わせて14機とのことだ。

館内の展示は年代別に分かれており、当時の歴史を写真や資料と共に解説。展示品には、戦闘服や重火器、装備品などの軍用品が多い。そのピストルなどを見ていても、作りがシンプルであり、当時の事情を感じさせてくれる。

1954年〜1975年のベトナム戦争エリア。このように展示は、時代順と出来事で分けられている。

屋内展示の目玉は、やはり国宝である。それは1974年4月30日のサイゴン陥落の際、大統領官邸に突入した戦車のひとつであるソ連製T54B型843号車なのだ。ベトナムの新たな歴史を切り拓いた時代の証人といえる存在である。突入の際には、中国製T59型390号車も使われており、こちらも国宝に指定されている。

国宝となっているT54B型戦車(843号車)。

館内には、もう一機、国宝指定されるMiG-21戦闘機5121号機があり、同機はベトナム戦争でB52爆撃を撃墜したという。その破片と思われるものも展示されていたが、同機が撃墜したものかは不明。ただリアリティを感じさせるのは十分なものだ。

こちらも国宝のMiG-21戦闘機(5121号機)。B-52を含む5機撃墜の記録がある。
米空軍のB-52爆撃機の残骸。1972年のクリスマス爆撃「ラインバッカーII作戦」で撃墜されたもの。同作戦では193機のB-52が投入され、12日間の作戦期間中に34機が撃墜されたと言われる。
ベトナム戦争に大々的に投入されたソ連製地対空ミサイルS-75(NATOコードネーム”SA-2ガイドライン”)も展示されていた。

展示内容にはクルマもあり!博物館はまだまだ発展中

館内で唯一の乗用車の展示は、ルノー・ジュヴァキャトル。1968年1月31日のベトナム戦争最大の軍事作戦のひとつ「テト攻勢」で使われたものらしい。これ以外のクルマは、ジープやトラックなどの軍用車のみであった。

ルノー・ジュヴァキャトル。1937年に登場した、ルノーで初めてフロントにサスペンションを搭載したモデルだった。
第二次世界大戦前のクルマだけに、ベトナムがフランス植民地だった時代の影響を感じさせる。
サイゴン陥落の際、ベトナム共和国最後の大統領となったズオン・バン・ミンをラジオ局まで運んだとさせるジープ。ミン大統領の降伏声明が放送したことで、ベトナム戦争が終結した。
USAF=空軍仕様のものだが、北ベトナム軍が入手し、そのまま使われていたのだろう。
ジープの運転席。
コーションラベルは当時ものだろうか?
ZIL-157トラックの展示。戦争当時の現場を再現した展示となっていた。

館内は地下を含め、5階に分かれているが、展示エリアとして公開されているのは1階のみ。そのエリアだけでも年代別の展示が完結しているため、館内には資料の収蔵や研究施設などもあるのだろう。ただこれだけの大きさがあるだけに、今後の展示内容の充実にも期待が膨らむ。

館内はとても綺麗で、年代毎にベトナムの戦争や政治などの歴史が紹介されている。

博物館裏にも広大な敷地があり、そこには庭園を建設中。近い将来は、公園としても楽しめるようになりそうだ。現状、博物館には小さなカフェとお土産コーナーがあるだけ。きっと休憩スペースも拡大されるのだろう。ただ、近くにある大型ショッピングモールがあるので、そちらでランチやお茶を楽しむこともできる。

「ベトナム軍事歴史博物館」の案内図。中央の黒いエリア(B1、B2、C)が母屋。施設裏の公園エリアは、工事の真っ只中であった。
博物館施設前からハノイの中心部を眺める。エッフェル塔風の建造物が見えるのも、何か不思議で面白い。市内には実際にフランス統治下の建物も多く残されている。