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昭和末期のTOYOTA 2000GTの相場は400万円
愛知県長久手市にあるトヨタ博物館は、1989年4月に開館。1999年4月には開館10周年を記念して新館もオープンした。建物の延べ床面積は、本館(3階建て)が1万1000平方メートル(約3300坪)、新館(3階建て)が8250平方メートル(約3300坪)。トヨタ車だけでなく、世界の自動車メーカーの歴史ある自動車を数多く収蔵し、展示する日本最大の自動車博物館だ。もちろん、TOYOTA 2000GTも展示されている。
トヨタ博物館の展示車のレストアは、その多くを豊田市にある新明工業が担当している。レストアを指揮した新明工業・顧問の石川實は、開館当時の様子をインタビューにこう語っていた。
「トヨタ博物館のプロジェクトは、開館5年前から動き始めてました。欧州には古い自動車の市場があって、取引が盛んでしたから、欧州車はそこで調達できました。問題は国産車です。国内には古い自動車の市場はありませんから、個別に収集することになりました。ただ、トヨタが博物館を造るために古い国産車を集めていると分かると、値段が吊り上がる懸念がありました」
収蔵車として必要なクルマは、自動車雑誌の売買欄などに「このクルマを探しています」と個人名で投稿するなど、トヨタの名を伏せて様々な方法で集めたという。雑誌の売買欄とは、いかにも昭和の時代を感じさせる収集方法だ。
「日本初の5ドアハッチバックのコロナ5ドアセダン(RT56型)を名古屋のある会社が持っていることがわかって、私が家内を連れて買いに行ったことがありました。『このクルマを売ってください』と交渉するのですが、相手は『80万円なら』というのです。しかし、その言い値は相当高い。
そこで私が『もうちょっと負けてください。買いますから』と言うと、家内が横で『お父さん、高いからやめてよ』というような、下手な芝居をしたこともあります(笑)。TOYOTA 2000GTは、私が買いに行った頃は400万円くらいでしたね。400万円でも『高い』ということで、買ってこなかったこともありました。
ところが、『トヨタ博物館ができる』と地元・名古屋の中日新聞がスクープしたんです。するとTOYOTA 2000GTの値段が600万円に上がりました。それから1年で800万円、1989年の開館時には1000万円になっていました。ちょうどバブル景気の真っ盛りだったので、それで値段が押し上げられたんですね」と、石川は振り返っていた。
今や、TOYOTA 2000GTの中古車価格は「応談」と表示されていることがほとんどだが、「形があるだけで3000万円、程度のいいものは1億円」ともいわれている。2022年3月にアメリカのオークションでシェルビー・レーシングのTOYOTA 2000GT(MF10-10001)が、なんと253万5000ドル(現在のレートで約3億4200万円)で落札されている。
レプリカのベースはシェルビー・レーシングの1台
トヨタ博物館には、5台のTOYOTA 2000GTが収蔵されている。1967年の前期型、1967年の前期型・左ハンドル、1969年の後期型、1966年の「ボンドカー」、そして1966年の「スピードトライアルカー」のレプリカだ。また、2021年には、俳優・唐沢寿明氏から「TOYOTA 2000GT Roadster」が寄贈された。
ボンドカーは紛れもなく当時のクルマである。しかし、トライアルカーはレプリカだ。試作1号車をベースにした記念すべきトライアルカーの実車は、一時トヨタに保存されていたものの、その後は行方不明になってしまった。廃棄もしくはプライベートチームに放出された可能性が高いが……。結局、アメリカで活躍したシェルビー・レーシングの3台のうちの1台をベースにレプリカを作ることになった。石川はトヨタがアメリカから持ち帰ったその1台を引き取りに行った。
「当時、富山県小矢部市あった日本自動車博物館に展示されていた、白と紫のカラーリングのシェルビー・レーシングのTOYOTA 2000GTを引き取りに行きました。しばらく新明工業にそのまま保管していたのですが、トヨタ博物館の収蔵車にトライアルカーが必要だということになり、そのクルマをベースにレプリカを造ることになったんです。確か、開館まで半年くらいの時でしたね。ただ、結構いい成績を収めたクルマだと聞いていたので、ベース車にするのは少々惜しい気がしました」と石川は語った。
もともと、第3回日本グランプリ用マシンとして改造されていた試作1号車をベースに、造り直されたのがトライアルカーである。そんな理由もあって、同じレーシングカーであるシェルビー・レーシングのマシンをベースに選んだらしい。
トヨタ博物館のレストアを担当していた新明工業では、100台もの車を順次作業していたという。トライアルカーはその中の1台だったのだ。しかし、他のクルマと違い、単に美しくレストアして走れるようにするだけではない。トライアルカーのレプリカとして造り直さなければならない箇所が多数あったのだ。しかも、トライアルカーは試作1号車をベースとしていたので、生産車がベースのシェルビー・レーシングのものとはボディ形状が違う個所もある。
そこで石川は旧知の仲であり、トライアルカーをもっともよく知る元チーム・トヨタのキャプテン、細谷四方洋に資料・部品収集と監修の協力を仰いだ。博物館にふさわしい、最高のレプリカを造るという真剣な作業が始まった。(続く)