「クルマの楽しさを伝えたいと、メカドックを描き始めました」
編集部:漫画を描き始めたきっかけから教えてください。
次原:母親が絵を描くのが好きだったこともあって、高校時代はペンとインクでイラストを描いていました。
編集部:でも、クルマを描くのは難しい気がするのですが……。
次原:難しいです(笑)。アシスタントの力を借りて頑張って。『レストアガレージ251〜車屋夢次郎〜』では取材に行ってとにかく写真を撮りまくりました。
編集部:クルマ好き世代、ど真ん中ですよね?
次原:子どもの頃、1970年代とか1980年代は「免許を取れる年齢になったらすぐに取ってバイクやクルマに乗りたい」というのが当たり前だったので、自分もそう。実際乗ってみても楽しかった。とくに操るのがね。
編集部:当時、好きだったクルマはありますか?
次原:高校生になると友達がクルマに興味を持ち出して、自動車雑誌を読むようになったり。最初に気になったのはヨタハチ。その次が初代のダルマセリカでした。実際に買ったのはS12型シルビアが初めてで、初代MR2と2台持ちしていたこともありました。そして4WSのハイキャスに興味があってS13型のシルビアに乗ったし、水平対向エンジンと4WDに惹かれて、その後はずっとスバル車です。
編集部:やはりメカなんですね。知識はどうやって得たのですか?
次原:手塚治虫先生の『マンガの描き方』を夢中で読んでいたら大学受験に失敗しちゃった(笑)。それで自動車整備の専門学校に進みました。だから、2級整備士の資格を持っています。ただ、卒業直後に連載デビューしたので就職はしていません。
編集部:チューニングについてもかなり詳しいですよね。
次原:実は知識はなくて、雑誌などを参考にしていました。取材にも行っていない(笑)。こういうのが流行っているんだとかね。ただ、エンジンなどの勉強をしていたので、チューニングの意義や目的は理解していました。
編集部:今あらためて見ると、作中でターボの仕組みなどがとても詳しく出てきたりと、大人でも理解できるかどうかレベルです。
次原:ちょっと背伸びするぐらいがちょうどいい。伝わるかどうか、自分がわかるように描いたら伝わるかなと思っていました。それに子どもって侮れなくて、意外に分かってくれるんですよ。
編集部:たとえば東日本サーキットレースは3つのサーキットつなげて全部封鎖しているから大丈夫みたいに、勝負はかなり非現実的だったりしますが、登場車は技術的にしっかりしている。そのバランスがメカドックの魅力だと思うのですが。
次原:走るクルマ同士で会話したりしてね(笑)。リアルマンガをやってもつまらない。素敵なウソがあって初めてドラマが始まります。同じ時代だと、北斗の拳やドラゴンボールなどもそう。自分の場合は高所恐怖症でスピードも出せないタイプ。だから、憧れとして速いクルマを描くと思うんですよね。現実ではありえないけど、でもあったら面白いっていうのが漫画の面白さなんですよね。
編集部:実際にモデルとなった人やショップもないんですよね。
次原:ないです。ただ、福岡から上京したときに近所に「死喰魔(シグマ)」というショップがあって、チューニングショップの参考にと訪問したことはあります。
編集部:チューニング以外にもドレスアップも出てきますね。
次原:当時、ドレスアップブームがありました。それでバリエーションとしてあってもいいかなと。個人的にはチューニングより先にカスタムカーの方が興味があったような記憶があります(笑)。
編集部:クルママンガは世界へと羽ばたくみたいに、終わり方が難しい気がします。メカドックは町のショップのままですが、なにか思いはあったのでしょうか?
次原:やっぱり仲間内でのドタバタの方が楽しい。町工場はまさに夢工場なんだよ、という気持ちですね。もしかしたら世界に行っているかもしれないし、そのままショップをやっているのかもしれない。想像を描きたいと思っていたので、終わりはあのような感じになりました。
編集部:最後に、今メカドックを描くとしたらどうなりますか?
次原:いやぁ無理でしょう(笑)。メカドックの楽しさは、当時のクルマや時代背景の中でしか描けないんじゃないかなぁ。
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STYLEWAGON(スタイルワゴン)2024年11月号
[スタイルワゴン・ドレスアップナビ編集部]